第十六話 航過飛行

「やっぱり今日も晴れとるわ……」


 エプロンに出て空を見上げれば、案の定の晴天だ。俺の横に立った葛城かつらぎは、空を見上げて嬉しそうな顔をしている。


「まあそうなるでしょうね」

「なんやつれないわ、葛城君や」

「しかたないじゃないですか。影山かげやま三佐が飛ぶ時は必ず晴れるんですから。もういい加減にあきらめましょうよ」

「いやや。俺はあきらめへんぞ。濃霧で訓練がキャンセルになった日もあったんや。絶対に雨の日があってもいいはずや。なにがなんでも一度はポンチョ着るんや」


 葛城が呆れたように笑った。


「あきらめないポイントが間違っているような気が」

「そんなことあるかい」


沖田おきた二佐、展示飛行予定時刻まであと三十分です」


 離陸準備をしていると総括班の隊員が、ハンガー前に出てきて隊長にそう知らせた。


 今日の展示飛行は、いわゆる航過飛行こうかひこうと呼ばれるものだ。松島まつしま基地から目的地まで飛び、地上に降りることなくその空域で編隊飛行を披露ひろうする。目的地はイベントが開催されている、とある地方都市上空。課目は、編隊隊形をいくつか見せる直線飛行と、俗に〝かきもの〟と呼ばれるサクラの予定だ。


「了解した。全員、コックピットへ」


 隊長の指示に、俺と葛城だけではなくその場にいたライダー達が、いっせいに自分の機体へと向かった。


 この展示形態は航空祭と違い、あちらのイベントのタイムテーブルに合わせて会場上空に到達しなければならないので、常に時計とのにらめっこ状態だ。飛び立つまでの時間、離陸してから会場までの時間、それぞれの展示課目のすべてが秒単位で決められていた。それもあって、今回の飛行のタイムキーパー役でもある飛行班長の吉池よしいけ三佐は、さっきから難しい顔をして、腕時計とタイムテーブルを交互に見ている。飛行班長の頭の中では、すでに今回の展示飛行は始まっているのだ。


「今日の班長、めっちゃ怖い顔しとるわ」


 一番機の元に歩いていく三佐の顔を、横目で見ながらつぶやく。キーパーの神森かみもりが俺の言葉にうなづいた。


「昨日の予行であっちの進行が思っていた以上に早くて、ブルーの到着までに間が空いてしまったせいですよ。離陸を早めるべきか予定通りにすべきかで、迷っているとおっしゃっていました」

「早めるゆーたかて一分か二分、下手したら何十秒の世界やろ? そんなんあっちに任せておけばええやん。あっちもプロの司会者なんや、こっちが到着するより早くプログラムが進んだら、適当に間をもたすやろ」


 いやいやと首を振る神森。


「そうなんですが、そこで人任せにできないのが吉池三佐の性格なんですよ。飛ぶからには、こちらも完璧に飛ぶってやつなんだそうです」

「それ、隊長の言葉とちゃうのか?」

「班長のお言葉です」

「なんとまあ」


 班長が隊長に声をかけて、二言三言話す。そして隊長はその言葉にうなづくと、班長に後席に乗るようにうながした。どうやら、予定通りの時間でテイクオフすることに決まったようだ。


「昨日の予行は雲が低かったみたいですけど、今日はどうでしょうね」

「あっちの会場にいる後藤田ごとうだ青井あおい班長によると、低くはないがそこそこ雲がわいているそうや。今回は航過展示やから、それほど影響はないやろうって話やった」

「それはなにより」

「俺は雨でもええんやけどな」

「またまたそんなこと言って」


 コックピットに落ち着くと、ハーネスを装着する。


「あちらではたくさんの人が、ブルーが飛んでくるのを楽しみに待ってますよ」

「せやけど飛びたないねんで俺は」

「はいはい、わかってます」


 神森はニコニコしながら、ハーネスの確認をした。


「いま適当に答えたやろ?」

「そんなことないですよ。ちゃんと聞いてますから御心配なく」

「今のかてぜったい適当やろ~~」

「聞いてますって」

「ほんまかいな~」


 昨日の予行も事前に周知されていたせいか、たくさんの写真がSNSで流れていた。信号待ちの車から、会社の窓から、洗濯物を干していた自宅のベランダからなどなど、ありとあらゆる場所からのブルーの写真であふれていた。変わったところでは、電車の中からってのもあったな。きっと今日はそれ以上の人達が、カメラを持って空を見上げるはずだ。


「あれだけの人が楽しみにしているんやからなあ……」

「ほら、飛びたくなってきたでしょ」

「残念ながら飛びたない気分のまんまやで」

「まーったく、困った先輩ですよ」


 それまで黙って五番機の前に立っていた坂崎さかざきが、空を見上げながら大袈裟おおげさな身ぶりで嘆いてみせる。


「今回は編隊飛行とかきもんだけなんや、そこはもう、後藤田に任せてもええと思うんやけどなあ。せっかくあっちでご当地おにぎりを探すチャンスやったのに、飛ばんならんやなんて無念やわ」


 ブルーインパルスの主だった任務は広報活動だ。派手なアクロばかりに目をやりがちだが、イベント会場での広報もある。今日の現地会場には、総括班長の青井と後藤田、そして何名かの総括班の隊員が出向いていた。今ごろ後藤田はサイン攻めと写真攻めにあっていることだろう。


「地上での広報活動は後藤田一尉達の任務ですよ。影山三佐の今の任務は飛ぶことです。なにせ正規の五番機ライダーは、今のところまだ三佐ただ一人ですからね」

「はー、飛びたないわー……はよう後藤田が、脱デッシーしてくれたらええんやけどなあ」


 とは言え、後藤田が訓練を開始してまだ一ヶ月。隊長の目からすると、展示デビューはまだまだ先のことらしい。


「だからって、スパルタは感心しませんよ」

「俺の指導のどこがスパルタなんや。こんな優しい師匠はおらんやろ」

「……そう思っているのは三佐だけだったりしてね」

「なんやて?」

「いいえ、なにも」


 帽子をぬいでヘルメットをかぶる。


「はー、飛びたないで、ほんま」


『管制塔より直近の気象状況をお知らせします。現在、会場上空は晴天。西よりの風2メートル。雲はありますが視程してい雲底うんていともに、予定されている展示飛行には問題なしということです』

『了解、管制塔。全機、エンジン、スタート』


 隊長の指示でT-4のエンジンにを入れる。プリタクでも全機に異常はなく、そのまま一番機を先頭に滑走路へと出た。


『上空オールクリア。ブルーインパルス01から06、そのまま離陸してください。お気をつけて』


 管制からのゴーサインが出たところで、隊長の指示に従い6機が順番に離陸する。目的地は電車や車で移動すれば何時間もかかる場所だが、戦闘機や練習機で飛べば10分たらずの距離だ。あっという間に東松島の町なみから離れた。いくら飛びたくなくても、もう無駄なお喋りをすることはできない。すでに展示飛行は始まっている。


『会場上空まであと1分。影山、一声どうだ』


 イベント会場がある地方都市上空に差し掛かろうとしたところで、隊長の声が耳に届いた。まったく笑い成分のない声色。これでも、からかい半分で俺に声をかけてきてるんやで。信じられへんやろ? そして隊長がこんな言葉をかけてくる時は、どこぞの芸人のネタにある〝押すなよ?〟と同じってことや。


「ほな遠慮なく。さっさと飛んでさっさと帰るで。それと今うっかり思い出してもうたんやけど、今朝はあわただしすぎて嫁ちゃんのおにぎり食い忘れたわ、最悪や。以上」

『了解した。スモーク、オン。メイク、デルタ』


 なにもなかったかのような冷静な隊長の声に、いっせいに6機が所定の位置について編隊を組んだ。な? 隊長だけでなく他のライダーもやけど、冷静さを失わへんのもここまでくるとちょっとした才能やろ? 葛城によるとこれは〝慣れって恐ろしい〟ってやつらしい。


 会場上空を旋回し、編隊を組み直しながら飛行する。普段の航空祭では単独飛行をすることが多い五番機も、今日は常にチームとして飛んだ。デルタ、スワン、グランドクロス、リーダーズベネフィット。そして最後は、6機が大きな円を空に描いて咲かせるサクラ。サクラを描くころには、周辺の空に浮かんでいた雲はすっかり消えていた。下から見る、真っ青なキャンバスに咲いた白い桜はきっと見事なものだろう。


『ミッションコンプリート。これより帰投する』


 たったこれだけのために多くのスタッフが動き、会場にはたくさんの見物客が集まるのだ。ほんま、ブルーインパルスって大したもんやで。


「帰ったらデザートのおにぎりや」

『家に帰るまでが遠足だぞ、影山』


 うっかり口にした言葉に対して、即座に隊長の突込みが入った。突っ込みが入ったことよりも、遠足のたとえを隊長が出してきたことのほうが驚きなんやけどな。



+++++



「影山ー、おみやげ買ってきたよ」


 夕方、俺達から遅れて基地に戻ってきた青井が、ニコニコしながらやってきた。


「お疲れさん、班長。おみやげってなんや? 俺、なんも頼んでへんかったよな?」

「向こうで偶然、御当地おにぎりってのを見つけてさ。食べたいだろうと思って買ってきた」


 差し出されたのは、コンビニのレジ袋ではなくそれなりにしっかりした紙袋だ。


「コンビニのやないやん」

「あっちのスタッフさんが、御当地素材を使ったおにぎり専門店があるって教えてくれてね。そこで頼んでおいたんだ。こっちが影山の分。ツナマヨも入ってるから、それはみっくんに食べさせてやって。昼御飯で食べたんだけど、なかなかうまかったよ」

「そのもう一つの袋は?」

「うちの分」


 青井は、手にさげているもう一つの紙袋を軽く振りながら笑った。


「それをきっかけに、新しい青井家のおにぎりが爆誕したりしてな」

「それを期待しているのもあるかな」


 青井が嬉しそうに笑う。


「のろけてやがる……」

「そんなことないよ。うちの奥さん、形だけじゃなくて、そろそろ具材でもチャレンジしてみたいって言ってたからさ。こういう専門店のおにぎりもたまには必要だろ?」

「やっぱりのろけてやがる……」


 だがしかし、うちの嫁ちゃんも似たようなことを言い出しそうだよな。おにぎり専門店のおにぎりか。早く持って帰って、嫁ちゃんとチビスケに見せてやらな。


「せやかて班長んとこのおにぎりの売りは、具よりも見た目やろ。レッドインパルスをイメージしたピラフおにぎりは、うちのチビスケにも好評やったで。班長んとこの嫁ちゃんには、そっち方面で極めてほしいんやけどな。チビスケは、ブルーインパルスおにぎりを心待ちにしとるで」

「売りってなんだよ売りって。まあ言いたいことはわかるけどさ。でもさすがに、ブルーインパルスのイメージは無理だと思うんだ。味はともかく、青いおにぎりなんて怖すぎる」

「もしかして試したんか?」


 俺の質問に、青井は困ったような笑みを浮かべた。


「持ってきてないけどね。青はやめてせめて野菜の緑にしたらって言うんだけど、なかなかあきらめてくれなくて困ってるよ。今はこれで勘弁してって、みっくんに言ってくれると助かるんだけどな」


 青井は別の袋から、なにか取り出した。


「ブルーインパルスクッキー……こんなもんまであるんか」

「イベント会場を見て回ったら、いろいろと見つけたよ。味に関しては、試食してないから保証できないけど」

「チビスケのことや。下手したら化石になるまで保存するかもな」

「おいおい、せっかく買ってきたんだから食べてもらってくれよ? ああ、ところで、今朝はおにぎり食べずに飛んだんだって?」


 俺と青井の会話って、絶対におにぎりで始まりおにぎりで終わるよな……。

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