第6話 友の力
ケイトとルイスの登場は、クリフにとって予想外だった。ウォーケンから離れ、しかも人目に付かないこの場所に、救援が来ることは考えられなかった。しかし疑問が湧く前に、クリフは彼らの存在に安堵した。
「お前ら、クリフの仲間だな」
二人に驚いたモーガンが尋ねる。その問い対し、ルイスが軽く顎を上げた。
「よく知ってるね。栄養が全部身体にいってるくせに」
「性器にもいってそうだ」
「女の子がそんなこと言わないでよ。だからクリフにも女扱いされないんだよ」
「幻想を抱き過ぎだ。そんなもんがあるからいつまで経っても女が出来ないんだ」
「夢を抱いて何が悪いの。ボクの望む女の子はいつかきっと現れるはずさ」
「勝手に話してんじゃねぇ!」
モーガンの突っ込みに近い怒声に気付いて、二人は改めてモーガンを見る。
「おっと忘れてた。存在感が無いからつい、な」
「またばれるような嘘吐いて。あんなバカ筋肉に気付かないわけないでしょ」
「バカ筋肉って何だ?」
「ただ闇雲につけた筋肉のこと、何も考えてない脳筋野郎にだけつく筋肉さ。ちなみにエリート筋肉って言葉もあって、ちゃんと自分の身体に合った筋肉の事を言うのさ。クリフのがそれだね」
「はー、そんな言葉があるのか。勉強になるぜ」
「うん。今ボクが作ったからね。知らないのも当然だよ」
「だから! 勝手に話をしてんじゃねぇって言ってんだろ!」
先程よりも大声でモーガンが突っ込む。こめかみに青筋が浮かび上がっていた。
「つまり何が言いたいかというと―――」
ルイスがそう続けた直後、瞬時にケイトが走り出す。突然の動きに、奴らは反応が遅れる。クリフとケイトたちの間にいた二人の取り巻きは、一人がケイトの掌底を顎で受け、残りはケイトの蹴りを股で受けた。顎を攻撃された方は仰向きに倒れて目を回し、金的を受けた方はその場に倒れて悶絶する。
「バカ筋肉野郎なんかにクリフの邪魔はさせないってことだよ」
鮮やかなケイトの手際により、クリフの逃げ道が出来る。相変わらずの腕に感嘆し、同時に感謝する。クリフは悠々とケイトと合流した。
「助かったぜ。ありがとな」
「どうも。だが、感謝は早いぜ」
モーガンの方を見ると、奴は顔を赤くしてこちらを睨んでいる。クリフをリンチできずに邪魔されたことに、怒りを募らせたのだろう。
「てめぇら……そう簡単に逃げられると思うなよ」
モーガンの背後から人が現れる。似たような風貌で、一目で取り巻きだと確信した。
「まだこんなにいたんだね。バカ筋肉に加担するなんて何考えてんだか」
「うるせぇぞ。こいつら相手に、その女一人で相手できるのか?」
敵の数は十人。この狭い路地で囲まれたら、いくら喧嘩が強いケイトでも苦戦するだろう。クリフが手を貸せれば何とかできるが、
「クリフは手を出さないでね」
ルイスがクリフの思惑を察し、それを止める。
「喧嘩になったら終わりだから。手を出したらあいつらの思惑通りになるから」
「……聞いてたのか?」
「ううん」ルイスは頭を横に振る。
「けどいつものクリフなら、あいつらなんてすぐに倒せるでしょ? なのにしないってことは喧嘩できないってことだと思ったんだ。違う?」
「……そうだ」
「じゃあボクに任せてよ。クリフはぜーーーーったい、手を出さないでね」
念を押すルイスに圧されてクリフは頷いた。その様子を見てたケイトはうんうんと頷いていた。
「よし、じゃあクリフはアタイらに任せとけよ。さてルイス」
「うん」
ケイトの合図とともに、ルイスがモーガンらの方に何かを投げた。それはモーガンも前に落ちると、直後に地面で激しい音を鳴らした。モンスターを追い払うための爆竹だ。
「今だ! 逃げるよクリフ!」
考える前に、クリフは反転して走り出した。ルイスたちが来た方に向かって走り、路地裏から出る。「こっちだ」ルイスが先導、ケイトが殿についた。
「おい。どこに行くんだ」
走って少し冷静になったとき、クリフは尋ねた。ルイスは迷うことなく真っ直ぐと通りを進んでいる。まるで目的地を目指しているようだった。
「詰所だよ。あそこに行けばあいつらも手が出せないでしょ」
「ついでにこの事を報告すれば、今後は上に睨まれて迂闊に喧嘩を仕掛けてこなくなる。一石二鳥だ」
自信満々で語る二人を、クリフは冷静な視点から判断する。
「悪くない案だが押しに弱い。俺たちの証言だけだと客観性が無い。あいつらに否定されたらそれまでだ」
たしかに今の窮地は脱せるが、今後はどうなるか不安だ。報告してもクリフたちの証言だけだと判断材料が乏しい。あいつらが否定すれば有耶無耶にされてしまうだろう。そうなればまた襲われることになる。戦士団の上層部に働いてもらうには、もっと有力な証拠が必要だ。
クリフの不安を察したのか、ルイスが「大丈夫」と答える。
「ちゃーんと手は考えてるよ」
ルイスが不敵な笑みを見せると、後ろから「居たぞ!」と声が聞こえる。振り向くとモーガンとその一味が追って来ていた。人が多い通りでも遠慮が無い。いや、むしろクリフが喧嘩してると見せさせるためなら、この方が良いと考えたのかもしれない。こういう展開も想定していたのか。
「クリフ」とルイスが呼ぶ。クリフは再び前を向くと、ルイスが顔だけを後ろに向けていた。
「ちょっとめんどくさいと思うけど、ボクについて来てね」
「お、おう」
「ケイト、やるよ」
「あいよ」
ケイトの返事を聞くと、ルイスは突如方向転換をする。クリフは慌ててついて行く。ルイスが向かっているのは薄暗い路地裏だ。しかも様々な建物が建ち並んでいることで道が複雑になり、まるで迷路のようになっている区画である。何も知らずに入ったら迷うこと間違いないと言われている。その区画に迷うことなくルイスは入った。「待て!」追っても続いて入ってくる。
「来た来た」
ケイトは声を弾ませる。ルイスが角を左に曲がってクリフとケイトが続く。しかしケイトは曲がった後、その場で足を止めた。気になって見ていると、ケイトは同じように曲がろうとしていた追っ手に向かって蹴りを食らわせた。なんの用心せずについて来ていた追っ手は、無防備に攻撃を受ける。壁まで飛ばされて、その場に蹲った。
「無闇に突っ込んでくるからだよ、バーカ」
そう言い残して立ち去ると、挑発に乗った追手が顔を真っ赤にしてまた走り出した。「ぶっ殺す!」殺意を宿した追走は、クリフたちに追いつこうと全力で走るケイトとほぼ同じ速度だった。
「へぇ、意外と速いじゃん。ルイス!」
「うん」
ルイスは四つ角を右に曲がる。角を抜けると、今度は追っ手を待つことなくケイトは走り続ける。だが、さっきまで距離を詰めようとしていた追っ手はなかなか来ない。追っ手の姿が見えたのは、クリフたちが四つ角から二十メートル以上離れたときだった。
なるほど、とクリフは納得した。一度迎撃したことで、奴らに警戒心が湧いている。それを利用して距離を取ったのだ。
「引っ掛かりやがって、アーホ」
ケイトがまた挑発する。おそらくこれも計算の内だ。だがこれがケイトの作戦でないことは、クリフには分かっていた。
あの場所でケイトを戦わせずに逃げたこと、逃走でこの迷路のような区画を選んだこと、視界の悪い曲がり角で迎撃し挑発させること、そして奴らが追い付きやすい速度で走っていることはケイトには思いつけない作戦だ。ケイトは思慮深く物事を考えず、感覚を優先して動くタイプである。普段だけではなく、任務時もそうだ。それが良い結果を生み出すことがあれば、悪い結果をもたらすこともある。それらは不確実で、そのときの失敗をケイトは自力で帳消しにする。だからケイトは土壇場に強い戦士へと成長し、それが評価されていることもあって、自分の在り方を変えることは無い。
この作戦はケイトの能力と敵の心理を考慮したうえで立てられたものだ。現状でこの作戦を考えられたのはルイスしかいないと、クリフは推断した。何故ならルイスは、この区画をよく利用するからだ。主に、借金取りからの逃走で使うために。だからルイスは不安な様子を微塵も見せずに、クリフの前を走れるのだ。
ルイスは迷いなく迷路を進み、ケイトは追っ手を迎え撃つ。作戦は上手くいき、迷路の出口が見えるまで追いつかれることは無かった。クリフたちが迷路から大通りに出る。ルイスが一瞬も迷うことなく左へと進む。その方角には士団詰所があった。しかもそう遠くはない。邪魔者もいない。少なくとも詰所に着くことはできると安堵した。
だが―――、
「ま、間に合ったぜ……」
詰所の前に、別の道から来たモーガンが到着する。大量の汗をかき、息を乱した様子から、全力疾走でここまで来たことが容易に窺えた。
「ははは……ここに、来ることは、分かってたん、だ。読み切った俺の、勝ちだな」
息を切らしながら宣うモーガンを、クリフは笑えなかった。リンチにできなかった以上、モーガンの目的はクリフが騒ぎを起こしたと戦士団に報告することになったはずだ。それが実現されたら認定試験に落第することも考えられる。クリフたちがいる詰所前という場所は、モーガンの目的を叶えるために最適な場所となっていた。
モーガンが嫌な笑みを見せる。息を整えた後、モーガンが大声で叫ぼうとしている様子を、クリフは黙って見ることしかできなかった。
そして、
「クリフ! てめぇの―――」
突如、モーガンが地面に倒れた。何の前触れもなくうつ伏せにされたモーガンは、何が起こったのか分からないような困惑顔だ。クリフもモーガンが倒れた瞬間は動揺した。だがいつの間にかモーガンの後ろにいた人物を見て、状況を理解する。
「……おはよう」
モーガンを倒したレイは、クリフを見ながら呑気に挨拶をした。
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