ダイコンのせい


   ~ 三月三十日(金)  築地 ~


   ダイコンの花言葉  適応力



「くるくる軒のおじさんがいっぱいいるみたいなの」

「なるほど。だからさっきから居心地が悪かったんだ」

「そんなこと無いの。居心地も威勢も気風きっぷもいいの」

「居心地も活舌かつぜつも相性も悪いのです」


 ここは築地。

 賑やかと言いますか、呆れるほどに騒がしいところなのです。


 そんな喧騒にげんなりとする俺の気も知らずに、楽しそうにはしゃぐのは。

 静かなところが好きなものだとばかり思っていた、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は驚くなかれ、頭の上にペンギンの形に結って。

 たった二輪だけ、ダイコンの花を活けています。


 真っ白な四枚の花びらが、その縁を桜に染めて。

 清楚で可憐で、麗しいお花なのですが。


 それをペンギンの目にされましても。


 一見、ペンギンがびっくりしてるように見えるのですが。



 ……俺の方がびっくりです。



 もはやアーティストよりマジシャンに近くなり始めた、そんなおばさんなのですが。

 本日、一緒にここへ来て、買い物を楽しむ予定だったのに。


 急なお仕事が入ったとのことで。

 残念ながら穂咲と二人でのお出かけとなりました。


 でも、ここは巨大な食べ物市場なわけで。

 俺は特に楽しむことが出来るはずもなく。


 目を輝かせてウロチョロとする穂咲には悪いのですが。

 効率よく用事を済ませて、ここからすぐ近くの、浜離宮はまりきゅうというところを見学したいのです。



 時は金なり。



 昨日せっかく良い事を学んだのです。

 実践しましょう。


 俺は、電車移動中に調べておいた地図を思い出しながら。

 魚屋さんの前でしゃがみ込んでしまった穂咲の腕を強引に引っぱります。


 急いで、急いで。

 わき目もふらず。


 頼まれているのは玉子焼きとおでん種。

 あと、クジラカツなる謎の品。


 ……クジラって、まさか本物のクジラじゃないですよね?


 そんなことを考えていたら。

 引いた手の先から、予想外な声が響きました。


「ちょっとあんた! 急に引っ張ったりして何のつもりだよ!」

「え? うおおおおお!? ごごご、ごめんなさい!」


 うそでしょ?

 穂咲と間違えて、お店のおじさんの腕を引いてたなんて。


 平身低頭。

 腹を立てるおじさんへ心から謝罪していると。


「何やってるの? とんだタイムロスなの」


 そう言いながら、俺に並んで穂咲も頭を下げてくれました。


 するとおじさん。

 穂咲のペンギンを見て、お腹を抱えて大笑い。


 許してくれるどころか。

 アサリをひと袋、タダでくれました。


「得したの。じゃあ、先を急ぐの」



 …………いつもなら。

 君のせいで叱られたのにと腹を立てるところですが。

 今日はちょっと、そうとは感じません。


 これは俺が、慣れないことをしたせい。

 タイムイズマネーという、都会人っぽい行動をとってみたせい。


 でも、今は練習中ですから。

 一度の失敗くらいでめげません。


 だって君。

 急ぐと宣言した舌の根が。


 乾かぬうちどころか。

 セリフの途中で豚まんのお店にしゃがみ込んでしまいましたし。


「ほら、急ぐよ! 早くしないと、俺があらかじめ見つけておいたお店が品切れになっちゃうかもしれないんだから」


 今度は間違えず。

 ペンギンを指差し確認したうえで、腕を取ると。


「やー! 試食の豚まん、落っことしちゃったの……」


 悲しそうな顔で見上げる穂咲の足元に。

 無残な姿で、豚まんが湯気を立てていました。


 店員さんが、あっという間にチリ取りでさらってしまいましたが。

 これには俺も、さすがにへこむのです。


「もう! 今日はなんだかダメな道久君なの!」

「……何も言い返せません」


 食べ物を台無しにするなんて。

 実に俺らしくありません。


 急ごうとして、視野が狭まっていたのでしょうか。

 俺は、ひとつ大きく深呼吸してみました。



 ……すると。



 豚まんと魚の香りに混ざって。

 なにやら、甘じょっぱい香りが鼻に感じられたのです。


 いつもの視野を取り戻しながら、俺が香りの正体へ目を向けると。

 穂咲がその視線に気付いて、大きな声を上げました。


「目玉焼き丼だって! これは行かないとウソなの!」

「いや、でも。すごい行列……」

「生涯のライバルになるかもしれないんだから、これを食べないなんて選択は有り得ないの!」


 それは仰る通りなのですが。

 などと考える暇などくれないのですね。


 列の最後尾から、早く来いよと手招きするんじゃありません。


「道久君、お手柄なの! なんで気付いたの?」

「急ぐのをやめた瞬間に、美味しそうな香りがして……」

「せっかく昨日教わったのに、それはダメなの。時は金なりなの」


 なにやら、急ぐことの大切さについて、とうとうと語り始めた穂咲ですが。

 『の』『ん』『び』『り』の四文字で顔が書けそうな君に言われましても。


 でも、そんな理屈倒れさんと頬張った目玉焼き丼は。

 チャーシューと目玉焼きの織りなすハーモニーが、信じられないほどのおいしさを俺たちに運んでくれて。


「悔しいけど、これを越える目玉焼き料理は、今のあたしには到底作れないの」


 そんなことを言いながら。

 穂咲は珍しく、丼を抱えて、ガツガツと頬張って。

 そして俺に言うのです。



「早く食べるの。タイムイズマネーなの」



 ……いや、穂咲。

 それは間違いです。


 もし予定通り急いでいたら。

 俺たち、これには出会っていません。


 今まで味わったことのない旨味を放つチャーシューを。

 俺は複雑な思いで。

 いつも通り、ゆっくりと噛み締めたのでした。


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