トラベルバッグの死神
@kanamek
第1話 京都行 その一
四月九日。夕暮れ時。京都へ戻る新幹線の中。
車窓から外の風景を見ると、既に太陽は地平線の彼方に沈んでおり、夕闇が大地に覆いかぶさるように立ち込めていた。日中は見えていた建造物の数々も暗闇の中に沈んでおり、その輪郭ははっきりとしない。時折、黄色や橙の輝きが思い出したかのようにポツポツと現れては、左から右へと流れていく。
年始やお盆の時期というわけでもないから、車両には大した人数は乗っておらず、車内にはどこか物寂しい雰囲気が漂っている。私は駅のホームで買った珈琲を飲みながら、ノートパソコンの画面をぼんやりと眺めていた。何か文章を書こうと思い立って、テキストエディタを立ち上げてみたはいいが、表示される白い画面に合い向かうと途端に嫌気がさして、一向に指は動かない。時折二、三行の短文を書いてみては、その稚拙さに嫌悪を覚えて消してしまう――そんなことを繰り返しているうちに、新幹線は東京を遠く西へと離れ、もうすぐ名古屋駅に着くのだと車内アナウンスが鳴った。
「まもなく名古屋、名古屋です。降り口は……」
名古屋駅を過ぎるころには、私は先週訪れた山奥の滝についての紀行文を数ページ分書き終えている算段でいた。それが、思ったよりも筆は進まず――存外、私は疲れているのかもしれなかった。忙しさの中に隠されていた疲弊感が、夕暮れ時の風景と社内のうら寂しい雰囲気に中てられて露になったのかもしれない。思い返せば、先週は登山以外にも様々なことがあった。高校以来の旧友と会って酒を酌み交わし、田舎に残してきた両親に自分の近況について説明し、凄い剣幕の編集と電話をし、原稿の遅延について長々と釈明したり……。美しい風景を見るために関東まで足を運んだのに、結果としてそこで起こったことは、私の心を曇らせるような出来事ばかりだった。何よりその殆どが、身から出た錆だと言われて何の反論もできない事象だらけであったことが、鬱屈に拍車をかけるのだった。
新幹線が駅のホームに入ったとほぼ同時に、私のポケットに入っていた携帯が甲高い機械音を放ちながら震えだした。私はぎょっとして、携帯の画面に目を落とした――手鏡ほどの画面上には危険を知らせる原色の赤色が明滅し、その上に白く大きな文字で、
<危険――敵対対象接近!>
と表示されていた。
「……正気かよ」
私は動揺と呆れの入り混じった呟きを発し、携帯をポケットに仕舞い込んだ。それから冷静な表情を保ちながら、新幹線が完全に止まり、人の出入りが始まるその瞬間を生唾を飲みながら待った。
危険。敵対対象接近。
……その文字の意味することはただ一つ。私のそばに、危険な奴がやってくる。
夕暮れ時の車内に満ちていた寂寥感と倦怠感は一掃され、胸の痛むような緊張感に支配されることは決定的であった。
新幹線はやがて停止した。
私は目を細めながら、徐々に近づいているはずの脅威をいち早く捉えようと、出入りする人々を刺すような目つきで眺めた――さながら、荒野に一人立ち尽くし、草陰の風の揺らめきに怯えている草食動物のような気分であった。
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