第一章 夏休みの初日「1」
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8月1日、午前9時。
スマートフォンが部屋に耳障りなアラーム音を響かせ、正確に時間の到来を告げた。叩き起こされたように感じ、苛立ちながら手早くアラームを閉じる。
――朝か。
起きなくてはならない。
ベッドから起きあがり、上京と同時にリサイクルショップで購入したガラステーブルに置いてあるリモコンを手に取り、テレビを点けた。
清潔感に溢れた、まるで僕とは真逆で、いかにも好青年な容姿の男性レポーターが映った。彼は賑やかな海をバックに、やれ海だの、夏だの、行楽シーズンだの、バイトと講習漬けの毎日をおくっている僕には縁もゆかりもないものを紹介している。
『海は楽しいですか~?』
レポーターが恐らく僕と同い歳くらいであろう水着姿の女性達にマイクを向けた。
『いやあ、マジ楽しいですよ!』
『夏は楽しまないと損ですね!』
マイクを向けられた女性達は満面の笑みでカメラに向かってピースサインをしながら我先にと思い思いの感想を述べる。彼女達の言葉が真実なのだとしたら、僕は今年の夏も損をすること確実だろう。
『それでは行楽シーズン、楽しくお過ごしください!』
レポーターと水着の女性達が手を振り、画面が切り替わった。いかにも堅物そうな男性キャスターが淡々と事件やら何やらのニュースを読み上げ始める。
僕は立ち上がり、ふうと息を吐きながら、テレビを消した。
カーテンを開けると、まるで目を刺すように朝陽が飛び込んできた。
太陽は平等に光を与えるというけれど、僕にとってのそれはただのお節介に他ならない。
暑さのせいで昨晩あまり寝付けなかったことと、無駄に輝く太陽に苛立ちながら、開けたカーテンを乱暴に閉めて身支度を始めた。
外はやはり快晴で、太陽がむかつくほど眩しい。
暑いのは、嫌いだ。
というより、この季節が、嫌いだ。
この季節の太陽が、嫌いだ。暑苦しいし、鬱陶しいし、劣等感を感じる。自分の名前が、それをさらに助長させる。
スマートフォンを取り出し、SNSを開いた。
「暑い、地球氏ね」と書き込みをしてから画面を閉じる。すると一分もしないうちに何回か通知音が鳴った。どうやらさっきの書き込みに数件、お気に入り登録がきているようだ。
――こんな朝早くからSNSとか、暇人かよ。
自分のことを棚に上げて、書き込みにお気に入り登録してくれた顔も本名も知らないフォロワーのユーザーネームを眺めた。
暑さに舌打ちしながら、コンビニに入った。
自宅からコンビニが近いことは、非常に助かる。
店内へ足を踏み入れるとひんやりとした冷房が瞬時に肌を包み込んだ。それと同時に、聞き慣れた入店音が鳴り響く。
「いらっしゃいませ~、ってなんだお前か」
入店してきた客が僕だと気付いた店員は途中まで丁寧だった言葉をあからさまに崩した。
店員の名は、須田という。高校からの同級生で、知り合ってもう七年になる。
「それが客に対する態度なのか?」
「軽いジョークだよ」
須田は可笑しそうに笑った。僕はそれを見て苦笑した。
「そうかいそうかい」
須田の軽いジョークを軽く受け流し、僕はドリンクコーナーのほうへ向かった。
何を買うか悩んだ末、一番安いペットボトルのジュースと適当なパンを一つ手に取り、レジへ向かった。
「今日から夏休みだけど、お前はこれからどこ行くんだ?」
須田はレジを打ちながら尋ねてきた。
「――バイトに行くんだよ」
僕はレジ横の、本来くじ引きで客に渡るはずだった、値引きされた小さなぬいぐるみやら何やらを見ながら言った。
「はあ? バイト? 大学生なのに華やかじゃないな」
「朝っぱらからコンビニでレジ打ってるお前に言われたくないよ」
「うわあ、ひでえ言い草」
須田がおどけた。
「俺は大学生活最後の夏をお前みたいにバイト一色で終える気はないぜ」
「まるで僕がバイトの虫みたいな言い方だな」
僕は頭を掻きながら言った。
「実際そうだろ? 高校の頃から休みの日は家に籠るかバイトかのどっちかだっただろ? まあ、たまに一緒に遊びに行ったことはあったけどさ」
「――まあ、な」
僕は苦笑いをした。
「別に、やることないし」
「そういやお前、成人式のときも実家に帰らなかっただろ。菅井も心配してたぞ。帰るって言っていたくせに結局帰らなかったし、どうせ今年も帰らないんだろ?」
「――まあ、な」
高校卒業と同時に上京してからの四年間、一度も実家がある群馬には帰っていない。須田の言ったとおり、成人式の時も帰らなかった。バイトをいれて、わざと帰らなかった。故郷には思い出が、主に嫌な思い出があるから、これからもできれば帰りたくはない。
もっとも、記憶はどこにいても付き纏う。思い出す度に、僕は自己嫌悪に陥り、後悔し、涙するのだ。
それにしても、時間の流れは早いものだ。
――いよいよ今年で、卒業か。
そう思うと、やはりこの夏はどこか特別に思えてくる。ただ、そう思ったのは一瞬だけだった。卒業して、就職して、働くだけ。ただそれだけだ。それだけでいいと思った。
「そうだ、今度鈴木を誘って三人で飲もうぜ」
鈴木もまた高校からの同級生だ。
「なんで?」
僕は訝しげに尋ねた。
「だってさ、最後に飲んだの結構前だぜ、折角の夏休みなのにバイトばっかりじゃ勿体ないだろ?」
「うん、まあ、そうだね」
僕は心にもないことを言った。
「よし決まりだ。近いうちに連絡するよ。鈴木には俺から言っておくから」
須田は商品を丁寧に袋に入れ、それを僕に差し出した。
「ああ、分かったよ」
僕は軽く頷き、袋を受け取るとそのままレジを離れ、店を出ていこうした。
「頑張れよ、御坂」
須田がレジから僕に声援を送る。彼の言葉を背中で聞きながら、「――おう」とだけ答えた。
外に出ると、店内の冷房に慣れたせいか、入る前とさほど気温は変わらないはずなのに、入る前よりもやたら暑く感じた。
やがて車道は車が多くなり、平日ということもあって徐々に道路は賑やかになってくる。それらを横目に淡々と歩き、自宅を出てから三十分程でバイト先に辿り着いた。
僕は店の裏の従業員専用入口から入り、バイト仲間達の挨拶やら世間話やらに生返事で返しつつ、コックコートに素早く着替え黙々と仕事を始めた。
余計なことを考えず一つのことに集中できるこの時間が、好きだ。
夏が嫌いだ。本当に、夏が嫌いだ。
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