生まれ変わったら世界樹の巫女……の、妹でした。(仮称)

のりにゃんこ

第1話


「こら、ミカ!危ないよ!」

「だーいじょうぶ、神樹様が守ってくれるもん!」


 神樹サマの大きな一枝を登っていると、下からお姉ちゃんの声がした。私はお姉ちゃんに大丈夫と答えて、さらに上へと手をかける。


 神樹サマはとても大きい。私たちは神樹サマの一枝を借りて生活しているが、その枝の上だけで何百という人が暮らしている。それが途方も無い大きさだということは、神樹サマの上から下界を見下ろせば一目瞭然だった。


 神樹サマの足元にこびりついているような小さな緑色は私たちよりもはるかに大きな木で、その向こうに見える茶色や赤、白の塊は私達と同じ人間が住む「まち」というものなのだと、前に長老サマが教えてくれた。


 そんなことを言われても実感は湧かなかったけれど、それでも神樹サマが凄いんだということだけはわかった。


 今私が登っているのは、神樹サマの枝から生えた、さらに小さい小枝である。その小枝ですら大人の背丈の何倍もあるのだから、やっぱり神樹サマはすごい。


 その小枝の一番高い所に登って、私はずっと下で叫んでいるお姉ちゃんに手を振った。お姉ちゃんは呆れたようにほっぺたを膨らませて何か言っていたが、ここまで高くなるとよく聞こえない。


 私は満足して隣に咲いている綺麗な白い花を見た。この枝のてっぺんに咲いている真っ白な花。普段、神樹様のもっともっと高い所に咲いている花で、長老が言うには「魂の花」というらしい。なんでも、死者の魂すら呼び戻すというレイゲンあらたかなお花だそうだ。


 私は花を摘み取って、まじまじとそれを見つめた。


 ハートの形に似た花弁が二つと、楕円形の花弁が三つ。遠目には白い花弁だと思ったけど、よく見ると少し透明になっている。すうっと、匂いを嗅いでみると、胸に甘い香りが広がった。


 こんないい匂いがしたら、確かに死んでても戻ってきちゃうかも。


 ——名前は知らないが、母の葬儀で飾られていた白い花に似ているな。


「……え?」


 自分ではない誰かの声が聞こえた気がして、私は慌てて立ち上がる。いや、でも、この場所には今は私しかいないはずだ。右を見て、左を見ても人影はない。


 お姉ちゃんの声すら聞こえないのに、他に誰かの声が聞こえるはずがない。


「何……?誰なの……?」


 問いかけてみるが、反応は無い。怖い。

 こんな所にはいられない、早くお姉ちゃんの所に戻らないと。そう思って小枝にしがみつこうとして、つるりと、嫌な感触がした。急に体が軽くなり、視界が綺麗な青空に変わる。


「あっ」


 一瞬の浮遊感。お腹の下から身体中が冷え込むような、奇妙な感覚。初めて感じる、死の恐怖。


 ——違う。初めてじゃない。


 再び、声。聞きなれないそれは、しかし自分の中から響いた気がした。脳裏に見た事のない青空がフラッシュバックする。


 そうだ、あの時も、確かこんな風に。


 ずきり、頭が痛む。


 ああ、そうだ。何で忘れていた。人はあっけなく死ぬものだったじゃないか。


 車に轢かれただけで死ぬ。五センチだか三センチだかの水深で死ぬ。何も食わなければ死ぬ。何も飲まなくても死ぬ。高所から落下するだけでも、死ぬ。


『生き物』というカテゴリに含まれる限り、本当にあっけなく、命は消える。


 あの時、自由落下の最中。あの時も、おれは、そんな事を考えていた。




 記憶が溢れる。




 ——あれは、大学の学芸祭準備の最中の事だった。


 俺の通う大学の中庭には、大きな古大木が立っていた。樹齢もよくわからない古い木で、かつては神聖視されていたこともあったという縁起の良い古木だ。


 大学に通う他の学生達にとってはただ大学の中庭に立つ大きな木でしかないのだろうが、俺はこの木が好きだった。


 オープンキャンパスで大学を訪れた時、初めてこの木を見た。初夏の暑い陽射しの中でサラサラと涼しげに広葉を揺らしていたこの木に俺は、何というか、一目惚れしてしまったのだと思う。


 確認できるだけでも何百年もの時を刻み、同じように立つこの木を何百何千という人々が見て来たのだと思うと、一種の畏敬の念を抱いた。そして何よりも、今尚緑の広葉を揺らす姿が、俺は何より好きだった。


 その木が学芸祭で取り上げられることになった時、俺はすぐさまその担当を買って出た。

 今年はハロウィーンと時期を同じくして開催される学芸祭ということで、全体的にハロウィーンテイストの装飾を施すこととなり、俺は木の装飾に当たることになった。


 高さは、十八メートルと三十九センチ。パンフレットにも書かれていたのではっきり覚えている。その至る所に星飾りを取り付けるのが、俺に割り振られた作業だった。本来は四、五人でやるものだったが、俺はどうしても他の連中にこの木に触れて欲しくなかったので、一人でやると申し出た。面倒臭がりな同回生達は一も二もなく了承してくれた。学生課に申請して中庭に人が立ち入れなくなった数時間、俺は一人、古大木の装飾に勤しんだ。


 飾り付けは順調に進み、最後の仕上げにと頂上近くに王冠の装飾を取り付けることになった。俺は長い脚立に乗り、古大木を上から見下ろした。この王冠の装飾は俺が提案し、それが通ったものだ。木のてっぺんまで装飾する必要がないという学生自治会に、窓から見える所故に手抜きはできないと反論。その主張が通り、晴れて装飾を置けることになった。その王冠を、木の頂に被せる。さながら戴冠式のような感慨深い場面で、そんな時にそれは起こった。


 脚立が急に傾いたのだ。慌ててバランスを取ろうにも時すでに遅し、俺の体は宙に投げ出されていた。脚立から手足が離れ、完全に宙を舞う。遥か眼下には、驚いたように俺を見上げる1組のカップルが居た。茶髪の男と、金髪の女。どちらも目がこぼれ落ちそうになるほど見開いていたのが、なぜだかはっきりと見えた。


 作業中は立ち入り禁止だという風に、学生課に申請しておいたはずだ。ここに来る時も、立ち入り禁止の立て看板の確認はした。中庭の周りはぐるりと確認したはずだった。作業時間はまだ過ぎていなかったはずだと中庭の時計塔を見れば、確かに時刻は作業時間内に収まっている。俺はもう一度カップルの方を見て、ある事に気がついた。茶髪の男の足が若干浮いていて、その先に浮いた脚立の足があるのだ。丁度、蹴り飛ばしたと言わんばかりに。俺は思わず舌打ちした。その間にも、俺の体は緩やかな放物線を描いてコンクリート張りの地面に近付いていく。


 直後に俺の胸に広がったのは、湧き上がるような怒りでも、憎しみでもなく、ただの諦観だった。


 何となく、これが助からない落ち方であると解った。助かったら、それこそ奇跡であろう。インドア派一般ピープルの俺は、5点着地なんて言葉こそ知っていても実行出来ない。ましてや、こんな体勢からどう身体を動かせば助かるのかなど、皆目見当もつかなかった。


 それにしても、と。俺は驚きに立ち竦んでいるカップル達から目を離し、立派な古大木を見上げた。思い返せば、俺の大学生活の大半を占めていたのはこの木だった。天気の良い日、何度ここで昼食を食べただろう。気分が乗らない日、何度ここで講義をサボって昼寝しただろう。たった三年の思い出が、幾らでも溢れてくるような気がした。


 長い長い走馬灯が終わり、俺の背中が地面に近付く。投げ出された足先の延長線上から、古大木が俺を見下ろしていた。

 やがて、俺は後頭部に衝撃を感じて、ぐちゃりと柔らかいものが割れるような感触がして——————


 落ちる身体を、何か柔らかいものが覆い包んだ。ごろごろと、何かは俺を覆い包んだまま固い地面の上を転がる。ぐわんぐわんと、頭が揺れた。


「う……あ……?」

「ミカ!大丈夫?!」


 そう言って、誰かおねえちゃんわたしに声を掛けてくる。ぼやける視界に映るのは、見覚えのないみなれた銀髪の女の子アンリエッタの顔。


 ——おねぇ、ちゃん。


 だんだんと遠退く意識の中で、おれはその子に手を伸ばし、口の中でそんな言葉を転がした。




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