悪役令嬢はヒロインを虐めてる場合ではない

四宮あか

ヒロインを虐めてる場合ではない

第1話 えっ、虐めないの?


 世の中には、ツイている人とそうじゃない人がいると思う。悲しいけれど、いつも貧乏くじを引いてしまう――それが私。


「――まったく。本当に遥はお人好しで、お節介なんだから。面倒事に巻き込まれないように気をつけなさいよ」


 隣を歩いている友人が、呆れた目で私を見つめた。

 彼女の言うことはまったくもってその通りだから、私は言葉に詰まり目をそらす。

 先ほども車に轢かれそうな猫を助けようとして、思いっきり引っかかれたのだ。

 致命的な事態に陥ったことはないが、やはりツイていないというのは辛い。

 友人の視線から逃れるように、私は最近はまっている乙女ゲームについて話し始めた。目を輝かせる私に、友人はやれやれと首を振ってから、『今回のもおもしろいゲームなのね』と優しく微笑む。

 運はないけれど、友達には恵まれてよかった。

 そんなことを思いながら、地下へ続く階段に一歩踏ふみ出した、その時――

 私の足元にぽっかりと暗闇が現れた。


「きゃぁ!?」


 突然の出来事に悲鳴をあげる。

 救いを求めて、私の隣にいる友達を見る。しかし、今にも大きな穴に落ちようとしている私がまるで見えていないように、友人は先へ先へと歩いていく。


「待って、行かないで!」


 友人が振り返ることはなく、彼女に向かって必死に伸ばした手は、虚しく空を切った。そして私は、真っ暗な穴へ吸い込まれたのだった。



 ――身体がとてつもないスピードで落下していく。このまま地面に叩きつけられたら、ただではすまないだろう。

 その瞬間に備えて、きつく目を瞑った。しかし、なぜか衝撃は一向に襲ってこない。おそるおそる目を開ければ、驚いたことに、私は地面に立っていた。

 どうなっているの……?

 ゆっくりと辺りを見回すと、青々とした木々とレンガ造りの噴水が目に入った。 

 公園のようだけれど、この場所に心当たりなんてない。第一、先ほどまで駅に向かって歩いていたのに、なんでこんなところにいるのだろう?

 友人を探して周辺をキョロキョロと眺めるものの、もちろん彼女の姿はどこにもない。


「どうなっているの……」


 状況が呑み込めず、思わず地面にへたり込んだ。

 友人は見当たらないし、見覚えのない景色に不安が込み上げてきて、いい歳をして泣きそうになる。萌もえる若葉の間を通り抜けた風に、私の髪がなびいた。


「あの……大丈夫ですか?」


 突然、誰かが私に声をかけてきた。驚くと同時に、こんなところで大人が泣いているのは変だと、反射的に返事をする。


「大丈夫です。すみません」


 手早く指で涙を拭い、顔を上げる。

 目の前にいたのは、美しい茶色の長髪が目を引く、可愛らしい少女だった。髪と同じ色の透き通った目は、垂れ目気味で愛嬌がある。いわゆるたぬき顔だ。青いワンピースタイプの制服と、ポンチョがとても似合っていた。


「――っ!」


 ちょっと待って、私、この子を知っている。

 彼女、どう見ても私がやり込んでいる乙女ゲームのヒロインじゃないの! ……やっぱり、穴に落ちた時に頭を強く打ってしまったのかもしれない。

 怪我をしていないか確認するために、自分の身体に視線を落とした。


「なによこれ!」


 目に入った自分の姿に、思わず大きな声をあげる。

 なんと、私が着ているのはヒロインと同じ制服で、なにより髪が日本人ならお馴染みの黒色ではなく、金髪縦ロールになっていたのだ。


「大丈夫ですか? レーナ様」


 すると、これまた見覚えのあるふんわりとした青い癖毛の女の子が、ヒロインを押しのけて心配そうに私の顔を覗き込んだ。おっとりとした雰囲気で、口元のほくろが魅力的な可愛い少女である。

 ……嘘でしょ。この子は、ゲームの悪役令嬢の取り巻きのミリーじゃない。


「えぇ、大丈夫です」


 咄嗟に平静を装う。

 落ち着いて、落ち着くのよ、私。まずは、今私が置かれている状況を整理しなきゃ。焦るのが一番よくないの。こういう時はまず一度深呼吸をして、物事をよく考えてから行動するのが大事。

 私を不安そうに見つめる少女を交互に見遣る。

 信じられないけれど、私の目の前にいるのは大好きな乙女ゲームのキャラクター達なのだ。そのうちの一人――ミリーが、今の自分の状況を知るための最大のヒントをくれた。

『レーナ様』と。

 もう一度確認した私の髪はやはり見事な金髪縦ロール。そして私も彼女たちと同じように、ゲームの中で見た制服を着用している。

 嘘よ、あり得ない。

 ――私は、乙女ゲームの悪役令嬢になってしまったのだ。




◆◇◆◇



 等間隔に植えられた木々は手入れが行き届き、地面に並んだ石畳の模様は見たこともないほど美しい。それもそのはず、私が今いる場所は普通の公園ではない。

 信じられないけれど、私は大好きな乙女ゲームの悪役令嬢『レーナ』になっていた。

 とすると、今私がいる場所は、乙女ゲームの舞台――『王立魔法学園』のはず。

 問題の乙女ゲームは、『王立魔法学園』を舞台に、学園生活を通してイケメンとの恋を楽しむ恋愛シミュレーションゲームだ。

 ちなみに『王立魔法学園』とは、この国に住む一定以上の魔力を持つ十三歳以上の子供たちが、その名の通り魔法について学ぶ六年制の学校である。

 魔力持ちは貴族に多い。しかし庶民の中にもごく稀に魔力を有する者がいて、一定の魔力水準を満たしていれば庶民も学園に通うこととなる。

 ゲームヒロインは庶民ではあったものの、高い魔力を有していたため学園に通うことになった生徒の一人だ。

 そんなヒロインの前に事あるごとに立ち塞がるのが、今の私であり、このゲームの悪役令嬢――レーナ・アーヴァインである。

 アンバー領を治める公爵家の一人娘である彼女は、つり目気味の猫っぽい顔立ちで、いつも自信にあふれた勝気な表情をしている。緑色の瞳に美しい金髪で、髪型はしっかりと巻かれた縦ロールだ。

 レーナには二人の取り巻きがいる。先ほど心配してくれたミリーとアンナという子だ。二人ともいい胸を持っているが、レーナはささやかな胸の持ち主なのであった。

 そして、レーナにはジーク・クラエスという大好きな婚約者がいた。クライスト領を統治するクラエス公爵家の嫡男である彼も、この乙女ゲームの攻略対象の一人だ。

 ジークルートでは、彼と仲良くなるヒロインに嫉妬して、レーナは取り巻き二人とともにヒロインを自分の婚約者に近づけまいとあれこれと画策する。

 ジークを取られないよう必死に奮闘したレーナだったが、残念ながらこのゲームの絶対的ヒロインには敵かなわなかった。

 ヒロインに対する行き過ぎた行動を指摘された取り巻き二人は、学園の品位を落としたとして、学園を追放されてしまう。取り巻きが誰もいなくなり、たった一人になっても、めげずに嫌がらせを続けたレーナの結末は悲惨だった。

 卒業前の最後のダンスパーティー。よりによって公衆の面前で、これまでレーナがヒロインにしてきたことを暴露されてしまうのだ。

 レーナの婚約者である、ジーク・クラエスによって――

 なお、ヒロインとジークが親密になっていくのを面白くないと思っていたのは、レーナだけではなかった。平民であるヒロインが、憧れの君と仲良くなることに納得できない女子生徒がたくさんいたのだ。

 そうしてそんな生徒たちが行った嫌がらせまで、いつの間にかレーナが行ったことになっていた。

 レーナはそれはやってないと弁明したが、すでに悪評が立っている彼女の言葉など皆が聞くはずがない。

 婚約者をヒロインに奪われただけでなく、レーナは公爵令嬢としての立場も滅茶苦茶にされた。

『そんな、そんな』と繰り返すが、かばってくれる者は誰一人いなくて。大勢の前で恥をかかされ、婚約破棄を言い渡されたことで、社交界においてレーナは死んだも同然となった。

 その後、レーナはひっそりと学園を去ったが、それから彼女が幸せになれたとは思えない。次の婚約はおろか、彼女の人生がどうなるかを考えると、暗い未来しか浮かばない。

 だがレーナになってしまった以上、私はレーナとして生きていくしかないのだ。どうにかして、その暗い未来を回避しなくては……



 私があれこれ考えている間に、目の前で話が進んでいく。


「貴方が、いつも馴れ馴れしく話しかけていたジーク様は、レーナ様の婚約者ですよ」


 どこかで聞いたことのある台詞セリフにギョッとした。

 そういえば、どうして王立魔法学園の中庭にヒロインと悪役令嬢レーナがいるのかと思えば……これはジークルートを進めると必ず発生する、レーナと取り巻きがヒロインを突き飛ばす虐めイベントじゃないの!?

 そわそわとする私の後ろから一歩前に出て、ヒロインに詰め寄る少女。中性的な顔をした彼女は、レーナのいつも右側にいる、もう一人の取り巻きのアンナだ。

 赤い長髪を高い位置で一つに縛しばっており、ヒールを履いているせいもあるが、身長はレーナより十センチは高そう。スラリとしたスレンダーボディーの癖に、胸だけはしっかりとある。

 ずっとレーナの傍にいてくれる、取り巻きの鏡のような女の子だ。

 このままこのイベントを止めずにいると、アンナはヒロインを突き飛ばしてしまうはず。

 レーナとアンナとミリーの三人で、ヒロインを呼び出し、嫌がらせをしたことは後々問題になる。そして、ヒロインを突き飛ばしたアンナは、学園を去ることになってしまう。

 これ以上ごちゃごちゃ考えるのは後だわ、とにかく突き飛ばすのを止めなきゃ!


「アンナ、ミリー、そんなことよりもお茶にしましょう。私、疲れてしまいました」

「「えっ!」」


 私の言葉に、二人が目をまん丸に見開いて、勢いよく振り向いた。


「あ、あの、ですがレーナ様……」


 ミリーがおずおずと私に話しかける。

 わざわざヒロインを人の少ない中庭に呼び出したのだから、これから彼女を懲らしめるのは明らか。なのに、レーナである私が、『お茶にしましょう』と言ったので二人は困惑しているようだ。

 アンナとミリーはお互いの顔を見合わせ、『呼び出したのになにもしないの? この後どうすればいい?』と視線でやり取りをしている。


「二人の言いたいことはなんとなくわかるわ。でも、最終的にお相手を決めるのはジーク様ご本人。近寄ってくる方をいちいち引きずり下ろさないと、婚約者の立場を維持できない相手では長続きしませんわ」

「ですが、レーナ様はそれで本当にいいのですか? もしジーク様が彼女を……」


 皆まで言わなかったものの、暗にジークがヒロインと結ばれることを気にするアンナ。

 彼女の心配はもっともだ。

 しかし、ヒロイン虐めイベントを進行させるわけにはいかない。

 だって、このゲームをプレイした私は、このまま進んだ悪役令嬢レーナが、最後どうなるのか知っている。

 ゲームのシナリオを本当に変えることができるのか、正直わからない。

 でも、このまま黙ってシナリオ通りの展開になることは避けないと。

 だって、私は今ヒロインとしてゲームをプレイしているのではなく、悪役令嬢レーナとしてこの場に立っているのだから。

 レーナみたいな辛い末路を辿たどるのはまっぴらご免めんよ。だからこのヒロイン虐いじめイベントは不発で終わらせてみせる。


「ジーク様が気にしていらっしゃる方の顔を、じっくりと見てみたかったのです。……二人は心配性ね。確かに、婚約者に捨てられたと陰では言われるかもしれません。でも他の女性に目移りするような殿方と結婚して、幸せになれると思えませんもの」


 そこまで言ってアンナとミリーを見ると、二人は眉尻を下げて私を見つめていた。そんな二人を安心させるために、小さく笑みを浮かべて続ける。


「なにも男性はジーク様だけではありませんから。それでは、私の考えをわかってくれたわね。突然呼び出されて、貴女も怖い思いをしたことでしょう、ごめんなさいね。二人とも私のことが心配だっただけなのです。それでは、二人とも行きますよ」

「「はい!!」」


 お約束の『二人とも行きますよ』という台詞セリフを言うと、二人は同時に返事をして慌ててついて来る。

 ちらりと後ろに目を走らせると、ヒロインを始め、周囲で私達を窺っていた人々が、呆気に取られた様子でこちらを見つめていた。

 これで、この現場を見ていた人が、私達がヒロインを取り囲んで虐めていたとジークに密告することは防げたはず。アンナもヒロインを突き飛ばさなかったしね。

 つまり、虐めイベントを回避することに成功したのだ。

 レーナ断罪コースをひとまず免れたことに、私は、『やったわ!』と心の中でガッツポーズをした。


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