第226話「逃亡者」

 サンノゼ国際空港内の清掃員であるボブ・ポールセンは、早朝の清掃業務を終えると、事務所で作業着から私服に着替えた後、港内にあるハンバーガーショップへと向かった。

 食べるのモノは、いつも決まっていて、チーズバーガーとソーセージブリトー、チリビーンズの乗ったフレンチフライ、そして、Lサイズのコーク。

 既に、スマートフォンで注文と清算は終了しており、あとは本人が店舗へ近づいた距離によって、その調理が開始され、店舗にある席に座っていれば、そこへロボットが料理を運んでくる仕組みになっている。


 2028年から始まったインベイド社とゴーゴル社の共同開発で行われたeコマース(電子商取引)事業は、さまざまな分野で展開していた。

 その目的は、ENの普及は勿論のこと、他の支払いを排除する、つまりは、全ての通貨をインベイド(侵略)することで、さらに普及を促進させる為、清算システムだけでなく、配膳ロボットまで無料で貸し出すという暴挙に出た。


 即座に、これに反応したマスコミは『独占禁止法』と『雇用の減少に繋がるのではないか』と報道し、問題になりかけたのだが、支払い方法は購入者と店舗に選択権(現金でも他の電子マネーでもクレジットカードでも支払える)を残していたことで「我々のシステムの方が便利だという理由だけで、独占禁止法になるのか?」と、これを一蹴。

 これによって、使用されなくなった他の清算システムは、じわじわと破滅の一途を辿り、電子マネーにおいて一強となったENが国際決済通貨を勝ち取るのである。


 また、もう一つの問題『ロボット化することによって、雇用が減る』については、ラルフ・メイフィールドが記者会見を開き、それを払拭する。


「かつて人類は、奴隷を使い、潤った歴史がある。俺は、ロボットやAIを雇用を減らす道具ではなく、全ての人間が潤うための奴隷として扱うべきだと考えている。仮に、ロボットが人の三倍働いたとしよう、そのロボットが1日稼動すれば、給与を変えずとも3人休めるという計算になる。勿論、働けば、その分の給与が上乗せ出来るだろ? そして、ウチのロボットは無償レンタルなんだ。初期設備投資なんて必要ないのだから、解雇する理由も無くなる。それでも、もし、それが原因で解雇されたっていうのなら、いつでも言ってくれ、ウチで雇って、辞めさせた店を潰してやるよ。これはインベイド社によるベーシックインカム(基礎所得保障)……いや、違うな、儲かればその分上乗せするグラジュアルインカム(段階的所得保障)なんだ」


 実は、朝食中のボブもこの恩恵を受けており、基本、空港内の清掃はロボットが24時間行っている。

 しかし、ロボットでは細かい部分まで行き届かず、その清掃範囲は全体の90%ほどで、残りの10%をボブたち人間が綺麗にしているのである。

 港内の10%なので、ボブたち人間の労働時間は1日2時間ほどとかなり短いのだが、その給与は8時間分あり、高給とまでは言えないが、生活には困らない程度の収入は得ていた。

 このようにインベイド計画の恩恵を受け時間に余裕が出来た人々は、副業したり、キャリアアップの為の勉強をしたり、休日を謳歌したり、それぞれの豊かな生活を楽しむようになっていた。


 いつものように20分ほどで食事を済ませたボブは、トレイを返却ボックスに入れ、従業員専用の地下駐車場へと向かう。


「今日は、何しようかな?」


 副業する気も、学ぶ気も起きず、読書する気にもなれず、かといって、ゲームも下手だったボブは、いつも暇を持て余し、結局、テレビを観て時間が潰す毎日を過ごしていた。

 特に努力などしてない彼なのだが、一人前に物欲は持っていて、いつか良い車や良い家に住みたいと思っている。

 今日も亡くなった父親から譲り受けた30年前の日本車に乗り、いつもと変わらない日になる筈だったのだが――。


 地下駐車場から出て、大通りに出るや否や、急に男が飛び出して来た。

 慌ててブレーキを踏み、注意しようと窓を開けるよりも早く、男は勝手に後部座席の扉を開け、連れの女を押し込めると、


「1万ドルくれてやる! この女をインベイド本社まで連れて行ってくれ!」


 そう言って、扉を閉めた。

 ボブは、突然のボーナスに気を良くし、男の言うことを聞いて走り出したのだが、あきらめの悪い女が車から飛び出してしまう。

 1万ドルに未練のあったボブは、後方で繰り広げられているドラマのような展開に呆れながら、運転席の窓から首だけを出し「どうすんの? 乗るの? 乗らないの?」と尋ねると、正気を疑うようなトンでもない数字となって跳ね返ってきた。


「すまない、事情が変わった。100万ドルやるから、俺たちをメキシコまで乗せてくれないか?」


 1万ドルの時点で犯罪の臭いはしていたが、知らなかったことにすればいいと思っていた。

 しかし、100万ドルともなると、流石に自分の身にも危険が及ぶのではないかと悩んだのだが、100万ドルはデカ過ぎた。

 欲しかった車も、家も買え、他にも色々な贅沢が出来る。

 返事を迷ってる間に、男たちは後部座席に乗り込んできたので「まだ、OKしてない」という筈だったが、つい本音が出てしまう。


「本当に、100万ドルもくれるのか?」 


「あぁ、約束する。なんなら、今、前金としてアンタの口座に1万ドル分、ENで振り込んでやる。だから、出来るだけ飛ばしてくれ!」


 そう言うと男は、すぐに行動に移し、目の前でスマートフォンを使って1万ドル分のENをボブへ振り込む。

 それによって、ついさっきまであった殺されるかもしれないという思いが消し飛び、ボブは陽気に飛ばし始めた。

 どして、ボブは安心したのか?

 殺すつもりなら、1万ドル振り込まないというのもあるが、それよりも、ENによる振込みは個人特定できるからであった。


 まだ、焦った様子の男は、次に電話を掛け始めたのだが、喋ってる言葉が理解できなかった。


「ラルフ! すまない、インベイドからサンノゼ空港までにある、道や空港の今日一日の監視映像を全て押さえてくれ!」


「どうした?」


「既にニュースになってると思うが、乗ってきたタクシーが爆発した!」


「なんだと!?」


「おそらく、敵は俺たちを殺すのが目的じゃなく、俺たちをテロリストに仕立て上げ、捕まえた上で殺すのが目的だ。もしかしたら、先日のハイジャックテロも背負わされるかもしれん! 消すことも摩り替えることもしなくていい、俺たちが何もしてない証拠を残してくれ」


「解った、すぐに取り掛かる。ヨハン、一度、戻って来い」


「いや、駄目だ。お前らをアメリカ政府と喧嘩させる訳にはいかない! 俺たちは、このまま逃亡させてもらう。あと俺たちのENを止めるのは、しばらく待ってくれ」


 ヨハンは、しばらく考えた後、ボブにこう切り出した。


「すまない、メキシコまで送ってくれと言ったが、すぐに100万ドル振り込むから、この車を譲ってくれないか?」


 突然の申し出に驚いたが、父親の形見とはいえ、すでに新車を買う気マンマンだったボブは、それに快く了承し、車を停めると運転席から降りて、走り去っていく車に手を振り見送った。


 少し、不満そうにしていたフレデリカがヨハンに声を掛ける。


「100万ドルは、高過ぎたんじゃない?」


「いや、そうでもない。おそらく、彼はFBIの取調べを受けることになるだろうから、その迷惑料込みさ」


「え? 彼の命は、大丈夫?」


「100万ドルを受け取ってるから時間を掛けられ、嘘発見器にも掛けられるかもしれんが、何も知らないから命までは取られないだろうし、ラルフが映像を押さえるから、今すぐ殺して俺たちの所為にも出来ない」


「でも、映像を押さえてることを知らなければ、殺されることもあるんじゃ?」


「それはない。タクシーが爆破されたことで、間違いなくインベイド内を監視している。そして、彼を殺害するようなリスクは、犯さない筈だ」


 フレデリカは、クスリと笑い、


「でも、そうなると、ラルフは信用しないとダメよね?」


「そうだな。だが、もし、それがくつがえったら、逆にラルフが犯人だという証拠になる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る