第195話「記憶の片隅にある名」
2041年9月8日――対抗戦、当日。
香川の空は、雲一つ無い晴天に恵まれ、北から流れてくる潮風に背中を押されるように、上杉香凛は部室の扉を開いた。
一方、東京は打って変わって
「このままだと、間に合わないわね。嶋田、もう此処で良いわ」
その言葉に、嶋田は驚愕する。
なぜなら、幼稚園から送り迎えを続け、普段なら歩けば間に合うと判っていても、決して降りることのなかった恭子が降りて歩くと言うのだ。
「えッ! 歩かれるんですか!?」
「大袈裟ね、大した距離でもないのに」
デートでさえ、歩くくらいなら遅刻するお嬢さまが……、
一体、どうされたんだ?
だが、驚いてばかりもいられないので、運転手の嶋田はその指示に従い、まずは自分が降りようと、シートベルトに手を掛けたのだが、新見はそれを拒否する。
「降りなくていいわ、嶋田」
そう言って、恭子はドアノブに手を掛ける。
お、お、お嬢さまが、ご自分でドアを!?
恭子はドアを開き、大きな赤い傘を差して、外へ出た。
驚きの連続に、つい挨拶を忘れていた嶋田は、閉められる間際に大きく挨拶する。
「恭子お嬢さまー! いってらっしゃいませー!」
その返事の代わりに軽く右手を挙げ、雨の歩道を歩き出した。
嶋田は、慌てて主人に電話する。
「大変でございます、旦那さま!」
「どうした? なにかあったのか?」
「はい! 恭子お嬢さまが、恭子お嬢さまが……」
「恭子に、なにかあったのか!」
「はい! 歩いたのでございます!」
「はぁ?」
「ご自分で、車のドアを開けて、歩いたのでございます!!」
クラブ活動に何かあるもしれないと調査を進言する嶋田であったが、恭子の父親から「過保護にも程がある」と
「恭子さん、おはようございます。今日もお美しいですね」
杉田のおべっかを軽く無視して、ジオラマの自席へと座る。
「あら? 恭子ちゃん、やっぱ、その方が似合うわよ」
島津が褒めた恭子のそれは、いつもは下ろしている長い髪を後ろで纏め上げ、バレッタで留めた髪型。
「アンタの好き嫌いで、髪型なんか決めないわよ。雨だから、仕方なくやってんの!」
「
「男のアンタに、言われたかないね!」
「ひっどーい! ちょっと聞いた?
え? 今日から名前で呼ばれんの?
「この子、今、アタシを男呼ばわりしたのよ!」
男じゃねーかよ!
なんて本音を言える訳も無く、沖田はテキトーな返事で流す。
「そ、そうッスね」
「アンタ! 次、この子に、ぜぇ~ったい! 勝ちなさいよ!」
「アッ、ハイ」
反射的に返事しただけなのだが、今度は恭子の方に火が点く。
「今、ハイって言った?」
もう、面倒くさいなぁ~。
「なんだ? 沖田、その眼は!」
恭子が沖田に喧嘩を売ろうとしたその時、部長の真田が入室するなり、厳しく注意する。
「またか、お前ら! その辺にしとけ、そろそろ時間だ」
オペレーター主席の高橋が、100インチモニタの隣に備え付けてあるパソコンを起動させ、香川との通話回線を開く。
コールが5つ目の後、モニタに筒井が映し出された。
「本日は、対抗戦を受けていただいて、ありがとうございます」
「お前、電話の奴か?」
「はい、そうです」
「顧問は?」
「顧問は……」と、高橋が答えるのに
「顧問は
「ハァ?」
「ご存知ありませんか? 新宿の顧問は、東儀名誉顧問だけです」
それを鼻で笑う、筒井。
「名ばかりの顧問は、居るんだろ? 桃李は、生徒だけの活動を認めてない筈だ」
「仰る通りですが、指導する立場の人間は居りません」
「まぁ、いいや。お前は?」
「部長の真田です」
「随分なご身分だな。普通、顧問が居ないのなら、代表は部長だろうが?」
「それは失礼しました。では、早速ですが、ルールの再確認をさせていただきます」
オペレーターは無し。
1試合15分。
エリア選定は、上杉が選ぶ。
桃李新宿側は、
「え?
「どうしたの? 上杉さん」
「リトルの時のチームメンバーが、対戦相手に居るの。アイツ、新宿に入ったんだ……」
急に香凛の表情が曇ったのを見て、
「大丈夫? 上杉さん」
「え? あ、大丈夫だよ、ヒナちゃん。アタシ、アイツに負けたこと無いから、心配しなくて大丈夫だよ。それにアイツが最後ってことは、一番強いってことでしょ。これじゃ、楽しむ暇も無さそうね」
いつもの強気な香凛に戻り、陽は安心したのだが、その横で筒井は首を傾げていた。
沖田司……どっかで聞いた名だな。
どこだ? どこで聞いた?
「それでは、第一試合の準備をお願いします」
「よーし!」
香凛は気合を入れ、筐体へ乗り込み、神谷もそれに続く。
「見せてもらおうじゃないの、サーベルタイガーの再来ってのが、どんなモンかを!」
「新宿を選ぶとは、舐められたモンだな」
戦場に選ばれた新宿の空が赤く染まり、カウントダウンが始まる。
3・2・1・GO!
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