第7話 おむすび三種 2
「……まじか」
3分後。
ニワトコさんはちょっと落ち込んだ様子で頭を抱えていた。あの後、私はキワコさんの冷蔵庫から練り梅のチューブを見つけてニワトコさんに味見させたのだ。
結果。
ニワトコさんは呆然としている。
「父親はこれによく鰹節混ぜてたりしたんだけれど……」
それは、普通に考えてかつお梅——の代用品を作ろうとしたのだろう。
「あ、あと、庭の紫蘇の葉と混ぜてドレッシングを作ったり……」
普通に梅紫蘇ドレッシングだ。
「全然見たことのない野菜だと思ったんですけど、味としては本当、梅干しに似てるんですね」
私は感心して呟いた。むしろ、一度梅干しの味のものだと思ってしまうと今度はタルトの味の想像がつかない。
「この、練り梅って、チューブから出すだけでいいんだね」
「そうですね」
「で、近所のスーパーにもある」
「……ありますね」
「……まじか」
練り梅だけでなく、そもそもの梅干しだって売っているだろう。
「わざわざ取り寄せたり煮たりしなくてもいいのかー」
「……いいんですよ」
高かったのに! まじか、を連発しながら百面相をするニワトコさんが、大人の男の人なのに、なんかどことなく可愛くて、私は思わず笑ってしまう。
「今度一緒にスーパーに行ったら、どれが梅干しなのか教えてあげます!」
私の元気な提案にニワトコさんは「頼むよ」と穏やかに応えた。
「まあ、あれだよなー」
ニワトコさんは小さな重箱に器用におむすびを詰めると、ほうじ茶を水筒に入れる。
「こっちに来てわかるのはうちの和食がかなり特殊だったってことだな」
……今まで知らなかったんですか?!
そっちの方が驚きだ。
「——でも、楽しみです」
言葉がするっと口から出た。
「オリーブのおむすびも、ルバーブのおむすびも、楽しみです」
「うん、どちらも美味しい……と思う」
ニワトコさんは気をとりなおしたように笑った。
「だってさ、俺にとってはこっちが家庭の味、だしさ」
梅干しとか、食べたことないし。
と、彼は言った。
公園にはいくつも地元のボランティアが維持している花壇がある。キワコさんは、近所の人たちと公園の木陰で休んでいた。「花壇の友の会」の人たちなのだろう。でもキワコさんが、思ったより多くの人に囲まれているのを見て、私はちょっと困ってしまう。あまりよその人と話をしたくはなかった。特に制服を着ている時には。
「あら、ユキノちゃん!」
キワコさんも私を見てびっくりしたように目を見開いた。
「学校の帰りなの?」
「はい」
頷いたけれど、キワコさんの後ろからこちらを見ているたくさんの顔が目に入ったら急に胸が苦しくなる。普通の高校生が帰ってくるには早い時間だ。
「お弁当持って来たんですよ」
ニワトコさんがニコニコしながら重箱を出した。
「でもキワコさんの他にいるってわからなかったから……」
「みんな自分たちのお弁当持って来てるから大丈夫よ」
キワコさんの左隣に座っていた女性が微笑んだ。
「どう? 一緒に食べていかない?」
その時。
キワコさんが、私の方に緩やかに視線を投げた。それからちょっと早口で言った。
「あらやだ。私、猫のご飯忘れちゃったわ」
「え」
「ジュードには薬もやらなきゃいけないのに、すっかり」
みんなが少し戸惑ったようにキワコさんを見る。
「せっかく持って来てくれたけれど、ごめんなさい、ニワトコ。一回家に帰りましょう。ユキノちゃんも、申し訳ないけど、ちょっと一緒に来てくれる? あげたいものがあるの、忘れてたわ」
「猫にご飯あげたら帰ってくるの?」
キワコさんのお友達が聞いた。歩いて5分ぐらいのところだもの、帰ってきてもおかしくはない。
「んー。今日はだいたい終わったわよね。悪いけれど、ちょっと早引けさせて?」
キワコさんは明るく言う。
立ち上がってスタスタ歩き始めるキワコさんの後ろをついていったらなんだか急に喉の奥に熱いものがこみあがってきて、私は必死になってそれを下におしもどした。
守られた。
キワコさんが、私の気持ちに気づいてくれた。
ずーっと暗いところにいたような気持ちで、こんなに愛してくれる家族に囲まれているのに、何かとてつもなく寂しかった私の胸のどこかに、突然とても熱いものがこみ上げてきて私を戸惑わせる。
ルバーブのおむすびは、美味しかった。本当に叩いた梅干しをご飯に混ぜ込んだような味。食べる直前に巻いた海苔がパリパリした。
「しっとりした海苔もおいしいけど、パリパリの海苔もおいしいよなー」
ニワトコさんはニコニコしている。
「本当、これ、梅干しみたいな味なのねえ」
キワコさんは感心したように言う。これで3回目だ。
「ユキノちゃんも、よほどお腹空いていたのね。全部たいらげたわねえ」
私はちょっと恥ずかしくなって俯く。食べ始めたら止まらなくて、すごい勢いでたいらげて、今、食後のほうじ茶とルバーブタルトをいただいているところだ。
チーズとおかかはとろりとおいしかったし、オリーブとゴマはキリッとおいしかった。どれも、一度も口にしたことがないのに、不思議なことにどこかで食べたことがあるような気がする。確かに、おむすびの味だった。
「私オリーブとゴマのおむすび、好きです」
「オリーブはね、お寿司にもおいしいよね」
ニワトコさんは嬉しそうだった。
「スモークサーモンとオリーブで、すし酢は米酢の代わりにライムとかレモンとか。アップルサイダービネガーも合う」
「あ、それはおいしそうです」
一度オリーブのおむすびを食べると、オリーブとスモークサーモンの寿司は簡単に想像がついた。
「ユキノちゃんは、人見知りなの?」
ニワトコさんは私の湯のみにお茶を注ぎ足しながら尋ねる。
「……そ、そうなのかな」
「さっき、公園で顔色が悪かったからさ」
「あ、それは——わたし、学校行ってないから、ちょっと近所の人とのやり取りとか……いやで」
「へえええ!」
ニワトコさんは大きな声を出した。
「俺も 行ってなかったよ」
おおっと。これは新たなパターンだ。
相手が困った顔をする、のはしょっちゅうだ。根掘り葉掘り聞かれることも、割とある。でも、あっけらかんと「俺も!」って言われたのは初めてだった。
私はなぜだか困ってしまってキワコさんを見た。
キワコさんは唇の隅に微笑を浮かべたまま、ほうじ茶をずずっとすすった。
「あれえ……」
くるくるくるくる。
心の中で毛糸玉が、ほどけながら、転がり始めた。
「そうなんだ……」
「うん。ホームスクーリングでね。小学校を出てから大学に行くまで、学校には行かなかったなー」
ニワトコさんはなんてことはない調子で言う。
「家の勉強だけで大学に行ったの?」
「そ。母親が、結構頑張ってくれたな」
うちと同じだ。
「友達いなくて寂しくなかったですか?」
「え?」
ニワトコさんはびっくりしたように目をパチパチさせた。
「友達は、いたよ。一杯。年齢は、ばらばらだったけど」
「学校に行かなかったのに?」
私はちょっと混乱して尋ねる。
「学校に行かなかったから、違う年齢の友達がたくさんできたんじゃないかな?」
だって、一度社会に出たら、同い年の人ばかりに囲まれることなんてまずないよ?
ニワトコさんはそう言って笑った。
そうか。 そうなのか。
「あら、だって私とユキノちゃんだって年が離れた友達じゃないの」
キワコさんが笑いながら言った。
「あ……はい。……はい!」
なんだか、焦って返事をしたら、ルバーブクランブルタルトのかけらが喉に詰まってしまい、私は盛大に咳き込んだ。
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