揺蕩う魂々

五月九日

第1話『出会いの色は``ミカネ``』

・1-1 出会い

・五月一五日 月曜日 一時四〇分


 草木も眠る丑三つ時、まだ桜の花が落ち切って間もない五月だというのに俺たちは少し気の早い肝試しをするために地元で有名な心霊スポットに来ていた。今日の朝、学校の友人たちに肝試しに行こうと誘われたのが始まりだった。


 ヒューッっと風が吹く。

 夜の風は冷たく、乾いている。

 辺りの木々は風に揺られてガサガサと声を上げる。

 これからの催し物にはぴったりの雰囲気だ。


町の端れで山の麓にある『美守(ひだもり)神社』。俺たちは石段の下に集まって約束の時間が訪れるのを待っていた。


委員長:「ぅうううう~……怖いよぉ~」


みき:「委員長もしかして怖いの? ビビってる?」


委員長:「い、いえっ! この程度でビビってなんていません! 監督役として、怖がっているわけには――ひぃっ」


 委員長が言い切る前に再び木々が鳴いた。


委員長:「もうやだぁ。おうち帰りたい……」


ヒロヤ:「大丈夫か委員長? 俺が、温めてやろうか?」


委員長:「いや、いいです」


ヒロヤ「のぅ!」


 俺の誘いはあっけなくふられる。


マモル:「――怖いなら帰ってもいいんだぞ」


 美守神社の息子でクラスメイトのマモルがゆっくりと石段から降りてくる。

 神主の息子ということもあってその装いはラフながらもしっかりとしていた。


ヒロヤ:「おう。おせーよ。丁寧にそんなしっかりとめかし込んでよ」


マモル:「うるせーよ。うちの祀りもん使って遊ぼうっていうんだ。しゃんとしないと色々まずいんだよ。で、竹中はどうした?」


みき:「竹中君はまだ来てないよ。寝てんじゃない?」


委員長:「えぇ……言い出した人が寝てるんですか……」


マモル:「まあいい。じゃあ、今回の肝試しで守ってほしいことを伝えて――」


竹中:「おーい」


 電灯もない畑の道から走ってくるのは今回の主催者こと竹中だ。


竹中:「わりぃわりぃって。そう怒んな。んじゃメンバーもそろったところで肝試し、開催しまーす!」


委員長:「…………」


みき:「…………」


ヒロヤ:「…………」


マモル:「……はぁ……」


 テンションの高い竹中とは対照的に俺たちのテンションは低かった。


竹中:「あれ? どうしたの皆? もっと上げてこうぜ」


委員長:「どうでもいいから早くしようよ。明日ってか今日も学校あるんだから。寝坊しちゃうよ」


マモル:「それもそうだな。では今回みんなに守ってほしいことを伝える。皆もすでに知って入ると思うがうちに祀られているものは――」


 マモルが注意事項と神社に祀られている『殺生石』について語り始める。

 『美守(ひだもり)神社』の山頂にある石には、昔に日本のお偉いさんからの寵愛を受けていた女の人の霊が祀られている。なんでもその女の人は狐の妖怪だったらしく、それを知った多くの人たちに追いやられ、ついには殺害されてしまって石に封印されてしまった不幸な女性だという話だ。


マモル:「幸い今日はそんなに月も出ていないから安心だと思うが、何か異変があればすぐに引き返してほしい」


みき:「はーい」


委員長:「そ、そんなまじめな顔して言わないでよマモル君……冗談だよね? 言い伝えだよね? あくまでも」


竹中:「はい! では皆の衆のそれぞれにはわたくしめが用意したこの花をそれぞれ一輪ずつ持っていただきたい」


 花が配られる。


竹中:「これをそれぞれが一〇分おきにここから出発して例の石の前において手を合わせて帰ってくる。ただそれだけ。ね? 簡単でしょ」


みき:「怪しいわね。何か途中で変なことをするつもりじゃないでしょうね?」


竹中:「そ、そんなことないです、よ?」


 竹中はそっぽを向いて口笛を吹く。


委員長:「ちょっと竹中君! 夜に口笛なんて吹かないでよ!」


竹中:「何委員長めっちゃビビってる?」


委員長:「そ、そんなわけ――」


竹中:「じゃあ一番手は委員長にお任せしようかな」


委員長:「へ? やだやだやだ! 一人でなんて無理よっ」


竹中:「あははは。委員長良い反応するねぇ。じゃあ頑張ってね!」


 だが委員長は石段を一段も登ることができずにいる。

 膝はガクガクと震えさせてすっかりと青ざめている。


みき:「はぁ。委員長、一緒に行こ」


委員長:「みきさん!」


 委員長の表情がぱぁっとはじけた。


みき:「別に構わないわよね?」


竹中:「ちぇ。まあその様子だと始まらなさそうだしな。いいぜー、委員長とみきの二人は出発してくれ」


みき:「あーい。んじゃ行こっか委員長」


委員長:「よよよ、よろしくね。ゆっくり、ゆっくりねって歩くの早いよみきさんっ」


ヒロヤ:「あの二人あんなに仲良かったんだな」


竹中:「まあ、みきは面倒見が良いタイプだからな。誰とでも仲良くなれるやつだ」


ヒロヤ:「そりゃあすごいや。見習わなきゃ」


マモル:「いや、お前ももう充分だろ」


ヒロヤ:「そう?」


 そして十分後。


竹中:「よーっし。次は俺が出るわ。あいつらを驚かすために色々道具を持ってきたんだ。へへへ」


ヒロヤ:「へ? 次は俺じゃねーの? 主催者が先に行くの⁉」


竹中:「あたぼうよ。野郎を鳴かせても面白くねえからよ。 じゃっ。行ってくる!」


 シュッっと敬礼して颯爽と階段を駆け上がっていった。

 何やら大きいと思っていたリュックには道具が入っていたらしい。遅れたのもそれが理由だなきっと。


ヒロヤ:「…………」


マモル:「…………」


ヒロヤ:「十分って待つと割と長いよな」


マモル:「どうでもいいから早く終わらせて帰ってくれ。……眠い」


 と、マモルは大きなあくびを一つ。


ヒロヤ:「…………」


マモル:「…………」


 さらに十分後。


ヒロヤ:「じゃあ、最後は俺だな。行ってくる」


マモル:「ふわぁ~。はよ行け」


ヒロヤ:「お、マモマモも一緒に行くか? ラブラブするか?」


マモル:「きしょい。怖いっていうんだったら手をつないでやらんでもないぞ?」


ヒロヤ:「え? それはちょっと……」


マモル:「はよいけ」


ヒロヤ:「おう~行ってくる」


 そうして俺も出発した。

 さっさとお花を添えて帰って寝よう。

 ――この時はそんな感じに気楽なものだった。


………………


…………


……


ヒロヤ:「はっ、はっ、はぁはぁ……やっべぇな。ひょっとして俺ピンチ……?」


 ――『鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石』


 ここの石のことは地元なら誰でも知っている。長時間この山付近で遊んではいけないよ、と大人から注意されていたりもする。

 しかし、本来この霧の量は微々たるもので。実際に危害を与えるなんて聞いたことがない。

 しかしそれもほんの少し前までのこと。

 石段を上がり、鳥居を超え、殺生石が祀られている祠までの雑木林に入ったところまでは良かった。

 だが、突如として普通では考えられない量の煙が辺りを覆う。

 自分がどの方向から来たのかすら分からない。


ヒロヤ:「これどうしたらいいんだろうか…… っん⁉ ごほっごほっ」


 状況はさらに悪くなっていた。だんだん息苦しくなってくる。喉が痛みを訴える。早く脱出しないと――

 足がどんどん重たくなっていく。

 なんで今日に限ってこんなことになってしまうんだ。

 自分の運のなさを恨みたくなる。

 どのくらい走っただろうか、先ほどまで聞こえていた友達の声は聞こえなくなっていた。先に逃げたのだろう。薄情だとは思わない……これは正しい判断だ。あいつらが捜しに来て二次災害にでもあったらもっと最悪だ。


ヒロヤ:「っぅわぁぁ!」


 盛大に転んだ。

 同時に肺に貯めていた空気をすべて吐き出し、巻き上げた砂煙と一緒に毒霧を大量に吸い込んでしまった。


ヒロヤ:「ごほっごほごほっ……」


 呼吸が荒くなる。鼓動が早くなる。起き上がれない、もう指先さえも動かせない。死にたくない、まだ死にたくない。俺の心が必死に生にしがみつこうとしている、だが、体が動かない。嫌だ、嫌だ嫌だ。帰りたい、こんな事になるのなら来るんじゃなかった。酸素が薄くなり頭がくらくらする。これではまともに上体を支えることができない。遂に俺は背中を土に預けてしまう。力が入らない。立ち上がることもできない。


ヒロヤ:「っ……ぁっ、あぁっ……」


 駄目だ……もうまともに声すら出ない。瞼も重く開けていられない。ははは……駄目だな、本当に駄目だ。もう助からない。何も聞こえない。


ヒロヤ:(仕方が、ないのか……)


 もう諦めるしかないか。力を抜いた時だった。


――何を、しているのですか?


 薄れゆく意識の中、はっきりと女性らしき声が聞こえた。いや、聞こえたというよりは流れ込んできた、というのが正しいのだろうか。だがそんなことさえも考えるのがつらいと思えるくらい頭が痛い。


ヒロヤ:(だれ……)


――こんな所で寝てはいけません、目を開けてください。


 その声のままに重い瞼をゆっくりと上げる。視界が霞んで周りがよく見えなかったが、目の前に薄く金色の光を放つを着物姿の女性がはっきりと見えた。

 ただ、違和感があるとすれば腰まで伸びた長い黄金色の髪と、そこにいるはずなのに意識しないとどこに居るのか分からなくなってしまう程の希薄な気配。それと頭につけ耳か何かはわからないが獣の類と思われる耳があった。

 心に気持ち安らぐ風が吹いた。

 金髪が風で揺れ、ちらりと見えるうなじは、穢れを知らない白さで軽くでも握ればぽっきりと折れてしまうのではないかと思えるくらいに細かった。


ヒロヤ:(君は、誰だい?)


――名前、ですか? そうですね、貴方達からの呼ばれ方だと【九尾の妖怪】といえば様々の呼ばれ方があるようですよ。


 うふふっと、着物の袖で口元を隠し優しく微笑んだ。着物の花柄のせいか、彼女の笑顔は華やかなものなのだろうと予想できた。


――それで、起き上がれますか?


ヒロヤ:(……無理だ。)


――そうですか。生きたいですか?


ヒロヤ:(もちろん。まだ死にたくない)


――承りました。少しお待ち下さい。生きてここから出ましょう。


 そう言うと彼女は傍で膝をつき、俺の頭をそっと起こした。


――すこし頂きますね。


 そう言って彼女は俺に口づけをした。

 黄金色の光が眩いくらいに溢れ出した。先ほどまでは希薄にしか感じることしかできなかった存在がはっきりと感じられるようになっていた。


???:「お待たせしました。では参りましょう」


ヒロヤ:(君は一体……)


???:「さあ。この山から下りましょう」


 彼女は俺をひょいと抱きかかえて、そして走り出した。

 初めから道をすべて知っていたのか、彼女はものすごい速度で木々の間を縫って走り抜ける。

 時折俺の顔をのぞき見ては優しく微笑む余裕まで持ち合わせている。

 俺はあまりの速さに怯えて目をつむる。そして目を開けるとすでに山を下りていた。

 絶体絶命の危機から脱することができた。俺は自分の足でしっかりと地を踏んだ。肺一杯に吸いこんだ空気は今まで感じた事のない美味さだった。


ヒロヤ:「助かったよ。本当にありがとう。どれだけお礼しても足りない」


???:「いえ、お礼とかはいいですよ。死にたくないって気持ちは痛いくらい理解できますから。えぇ、本当に」


 少し俯き街灯の光が自らの体によって遮られ、黒くなったアスファルトを見つめて微妙な表情を浮かべる。


ヒロヤ:「えっと、君はあの石から出てきたということでいい、のかな?」


???:「はい、私は長い間あの石、『殺生石』に封印され閉じ籠っていました」


ヒロヤ:「つまり、妖、狐さん……だよね」


 相手の気に触れてしまわないように俺は恐る恐る尋ねる。


???:「貴方達からするとそうなります。見て分かる通りこの耳、そしてこの九尾がなによりの証拠です」


 読んだことある。親父の書斎にあった日本の妖怪辞典だったか。人を喰らい、身分の高い人から寵愛を受けるほどの美しい妖怪だったと。


???:「怖いですか?」


 自虐的な笑顔で恐る恐ると九尾の内一本だけをぎゅっと胸に抱き、こちらの反応を窺っている。平然を保とうと努めているが抱いた手が震えている事はすぐに分かった。そのちょっとした動作が小動物のそれと似ていた。


ヒロヤ:「い、いや俺は……」


 若干? いや、ものすごく怖い、そりゃそうだ。人を喰っているんだぞ? 妖怪なんだぞ? 怖くない訳がない。だけどさっきからちらほら見える悲しげな顔。その顔をなぜか放っておくことができなかった。

 そんな憐れみの心とは別に俺の心には別のものが浮かび上がっていた。それは思春期男子にとっては当たり前のものだ。


ヒロヤ:「ねえ」


???:「はい、なんでしょうか?」


ヒロヤ:「とりあえずさ、家に来ない?」


???:「は、はい?」


 俺の唐突な誘いに妖狐は戸惑いながら疑問符を頭に浮かべる。


ヒロヤ:「命の恩人である君にお礼がしたいっていうか、えーとなんて言ったらいいかなぁ」


 言いたいセリフがうまくまとまらない。


ヒロヤ:「君は、これからどこに行くの?」


???:「……」


 くりっとした目が点へと変わる。震えていた手も止まっている。完全に思考が停止している。


ヒロヤ:「……」


???:「ああああああああ! そういえば私の帰る家がないじゃないですか⁉ どうしましょう、現代の事なんて全くわかりませんのに……」


 少しの間を開けてから自分の立場を理解したのか、妖狐は頭を抱え左右に振りながら大きな声で叫んだ。


ヒロヤ:「ちょ、ちょっと! 落ち着いて!」


???:「こ、これが落ち着いていられますか! あぁ、どうしましょうどうしましょう」


 涙目で頭を抱える妖狐、その姿は俺達人間とは何も変わらないではないか。

 堪えきれずに俺は吹き出してしまった。だって怖いと思っていた相手が俺達とそれほど変わらないのだから。抱えていた張りつめた緊張の線が一気に緩んでしまった。


???:「な、何を笑っているのですか?」


ヒロヤ:「いや、なんか、可愛いなって思ってさ」


???:「……あ、ありがとうございます?」


 頬をほんのりと朱色に染めてもじもじと指を絡めて視線を足元へ落とす。


ヒロヤ:「で、帰る所が無いなら俺の家に来ないかって聞いたわけだよ。どうする?」


???:「私からすれば願ったり叶ったりなのですが、いいのですか? 妖狐ですよ、人を喰らった事のある化け狐ですよ? 怖くないのですか?」


ヒロヤ:「それじゃあ逆に聞かせて貰うけど君は俺を喰らうつもりはあるのかい?」


???:「い、いえ食べるなんてそのような事は断じて致しません! ですが、このような言葉も本当かなんて他人に理解していただける訳がありません」


ヒロヤ:「そうだね。確かに他人の気持ちなんて口に出しても信用してもらえない時があるね」


???:「なら……」


ヒロヤ:「でも君は『食べない』って言ってくれた。それだけで今は十分だよ」


 こんなところで女の子?を放っておくなんて出来ない。下心が無いのかと聞かれてないと言えば嘘だ。さっき家に誘ったのもその健康健全男子の性衝動的な動機があったのは間違いない。当たり前だ、こんな可愛い女性を目にして冷静でいられる方がおかしいと思う。だけど善意はあるのは本当だ。だって困っている人がいれば手を差し出すのは当然の事だろう? 

 だから、俺は彼女に手を差し出して、もう一度訪ねる。


ヒロヤ:「だから、俺の家に来ないか?」


 彼女は俺を見つめてさっきよりもはっきりと言った。


???:「はい、よろしくお願いします」


 彼女は少し戸惑いながらも手を取ってくれた。その手はすこし震えていた。彼女自身にもまだ不安はあるのだろう。


 彼女の手を引きながら、我が家まで案内した。繋いだ手はとても小さく、先ほどまで俺を抱えていたのが嘘だったかのように。とても華奢だった。

 俺の家は先程の山の麓から歩いて三〇分、学校から歩いて十分程度の住宅街にある。

 俺たちは互いに話す事もなくただ電灯が照らす道を歩く。すると白塗りの家が見えてくる。これが我が家だ。

 辺りをきょろきょろ興味深しと見渡す彼女を玄関入ってすぐのリビングへと通す。リビングの奥には畳の部屋があるのでそこに座布団を敷いて座ってもらう。


ヒロヤ:「飲み物はお茶でいい?」


???:「いえ、あまりお構いなく」


ヒロヤ:「そういう訳にもいかないさ。君はお客様なんだから。それに、命の恩人だからね」


???:「そんな大層な事は……」


ヒロヤ:「もう温めてるから、飲んでもらわないと俺一人で飲み切らなきゃいけないよよよ」


 わざとらしく泣いたふりをする。


???:「温めって、火はいつおこしたのですか?」


ヒロヤ:「ああ、え~っと……そうだ」


 ぽんっと手を打つ。


ヒロヤ:「この時代の火熾し機だよ! 『アイ・エイチ』って名前なんだ」


???:「あい、えいち? ですか」


 独特なイントネーションでつぶやく、ぴんとこないのも仕方がないことだ。


ヒロヤ:「そそ、今のこの時代には便利なものがたくさんあるんだ。まあ、それが良い物ばかりって訳でもないんだけどね」


 車なんかがその典型的な例だろう。移動に便利さを求めた結果、排気ガスが生まれてしまい昨今では地球温暖化という大規模な問題となってしまった。


???:「そうなのですか」


 今は考えてもわからないと考えたのか、彼女はそれ以上深く聞いてこなかった。「でも」と話を区切り、俺は話を元へもどす。


ヒロヤ:「君が助けてくれなければ俺は間違いなく死んでいた。俺は君にお礼がしたいんだ。せめてお茶くらいのおもてなしくらいはさせてくれない?」


???:「可愛らしい顔に似合わず押しの強い方なのですね。分かりましたよ。」


 彼女はようやく受け入れてくれた。

 てか、可愛いなんてひな姉以外に初めて言われたぞ。


ヒロヤ:「押されるくらいなら押してやろうってね。まあこれくらいで借りを返せるものだとは当然思ってないからね。何でも言ってくれていいよ。できる範囲以内なら何でもしてみせるから」


???:「そんな! 家にお邪魔させていただいているのにこれ以上の事なんて……」


ヒロヤ:「今すぐに命令してくれって言うつもりはないよ。困ったときはぜひ頼ってもらえるとうれしい、な!」


 これ以上この押し問答を続かせるのも面倒なので断られないように最高の笑顔と強めの語尾でゴリ押しをする。もちろん、これくらいで恩を返しきれるなんて思っちゃいない。できる事はできる限りしなきゃいけない。二人の視線が交錯する最中、沸騰したやかんが高音の汽笛を鳴らし始めた。


ヒロヤ:「おおっと、沸いたようだ。残念だけどここまでだね」


???:「はい。もし、なにかあった時はよろしくお願いしますね」


ヒロヤ:「ああ、任してくれ」


 よかった、本当にいい人みたいだ。仕草も可愛いし礼儀も正しい。本当に人を喰らっていたのかな? 二人分の湯呑に出来立てほやほやの緑茶を注ぐ。それを正座で待ち続ける彼女の元へ運ぶ。


ヒロヤ:「はーい、淹れたてだよ~」


 お盆から湯呑を彼女に手渡す。


ヒロヤ:「熱いから気を付け――ぐぅっ……」


 突如、俺の頭を痛みが襲う。

 湯呑が手から落ちた。


ヒロヤ:「うっ、あああぁ……」


???:「……‼ どうしたのですか⁉」


ヒロヤ:「ああぁぁああぁああ、あぁあ、い、いた、い、いだぃ……」


 頭を押さえ、俺は床をのたうち回る。

 頭の中で膨らもうとしている何かを何かが押さえつけようとしている。頭の中を激痛が走り、遂に俺は意識を保てなくなる。


???:「しっかりしてくださいっ! 今、手当てしますから!」


 唇に感じた柔らかさがなんだったのか分からないまま、俺の意識は完全に暗闇に落ちた。


・同日 二時三〇分


 ヒロヤが妖狐の手によって一命を取り留めたころ、同じく肝試しに参加していたマモルはほかの友人と合流していた。


竹中:「おい、マモル! ヒロヤは大丈夫なのか⁉」


 竹中はひどく慌てた様子でマモルに問いかけている。


マモル:「わからない、けどこれ以上被害を広げてしまう訳にはいかない。お前らは先に帰ってくれ」


竹中:「そんな、ヒロヤを置いて先に帰れるかよ」


 その言葉にほかの友人も「そうだ」と同意を示す。


マモル:「こっから先はうちの仕事だ。うちの失態だ。だから関係者以外は帰ってもらう。これ以上は素人を守れる自信はないのでな」


委員長:「ま、マモル君……」


 みきは食い下がろうとしていた委員長の肩に手を置いて首を横に振った。


みき:「分かったよマモル君。私たちはこれで帰るよ。ヒロヤ君の事は任せたよ」


マモル:「ああ、分かった」


 そういうと友人二人は下山を始めた。


マモル:「あいつ、無事でいろよ」


 マモルは濃霧の中に一歩を踏み出した。夜が明けるまで探し回ったがヒロヤの姿を見つけることはできなかった。




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