寝言姫
音水薫
第1話
歌が聞こえてきた。
ベッドのなかで夢を見ていた夜のこと。ふと眼を覚ましたとき、どこからともなく歌が聞こえてきた。その声は透き通った軟水のような耳心地で私に染み入ってきて、再び夢の世界に誘おうとした。
しかし、もしも音楽再生機器の電源を切り忘れたことが原因でこの歌が聞こえるのだとしたら、放っておくわけにはいかない。
私はまぶたこすりながらベッドから這い出て、机に向かった。そのうえにある鞄に機器が入っているはずだった。
中をまさぐって取り出してみるも、画面は黒くなっていて、電源が入っているようすはない。
あたりを見回してみるが、そばにあるCDプレーヤーも回っておらず、音源は部屋のなかではないらしいことがわかった。
規則正しい生活を送る両親が深夜に音楽を楽しむ趣味などあるはずもなく、歌声は外からのものだと結論を下した。
どこかの車が他人の迷惑を考えないで爆音を鳴らしながら走っているのだろう、と思ったところで、はたと気がついた。
楽器の音が聞こえてこない。
もしかしたら、どこかの音大せいか何かが発声練習でもしているのだろうか。規模の大きなマンションなだけあって、そういう人間が住んでいてもおかしくはない。
その姿を見ることができるかも、と思い、外のようすを見るために遮光カーテンを開けた。
「ワッ」
私はカーテンを開けたその瞬間に小さな悲鳴を出しながら尻もちをついた。声の主は目の前、私の部屋のベランダにいた。
音源であった長身の女性は歌うのをやめ、にこりと微笑んでお辞儀をひとつしたあと回れ右し、きびきびとした足取りで歩を進めた。竹のようにすとんと伸びた黒髪を揺らしながら向かった先は隣室だった。
「災害時はこちらを破いて避難してください。軽い力で壊せます」と書かれた薄い板を壊して私の部屋のベランダまで来たらしく、そこを通って姿を消した。からからと戸がスライドする音が聞こえたので、お隣さんらしいということが確定したが、彼女のような綺麗な人が隣人だったなんて気がつかなかった。これが都会特有の、近所の人間関係に無関心、か。
本当は、人の部屋の前でなにしてるんだ、と怒りたかったけれど、鍵を開けたとたんに何かされるかもしれない、という恐怖のせいで彼女がいなくなるまで動けずにいた。
「なんなのよ、もお」
いなくなったからといって外に出るのは怖かったので、遮光カーテンを閉めてベッドに戻った。不安で眠れなくなったと思ったけれど、思いのほか早い段階で眠りについていた。
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