25 エミリー・テンプル・キュート

建さんとのわかれたあと、私はすぐに研究室へ向かいます。

久しぶりにイノさんと麻衣さんに会える。

…ちょっとワクワクです。



ガチャリ



「あけましておめでとう…ござ…あれ?」


研究室に麻衣さんとイノさんの姿はありません。

そのかわりに…


「チビ太…だけ…?」


モルモットのチビ太が私を見つめます。

なんかこの子、少し太った気がする。

お前も正月太りか。



…いや、今はその話はやめましょう。

私…太ってませんし!

…1キロくらいしか…



でも…どうして2人ともいないのかな。

そんなことを考えていると、麻衣さんのデスクに置手紙を見つけます。



【ダーリンと正月休み延長旅行行ってきまーす!

 依頼が来たらよろしく!

 PS・チビ太のダイエットもお願い!】



「麻衣さん…」


また新しい彼氏かな…

書類整理は年末に終わらせちゃったし…

やることがありません。



「でもなんでイノさんもいないんだろう…」





それから2時間。

研究室で受験勉強をしていました。

けどイノさんは現れません。



「…イノさんも正月延長…?」


だんだんイノさんに腹がたってきます。


「はぁ……帰ろ」


せめて連絡くらいいれて欲しいものです。

麻衣さんも…イノさんも…


荷物をまとめて私は研究室を出ます。

そのまままっすぐ校庭を抜けて、校門をすぎます。



「…」


私の視界に入ったのは、桜乃森大学の前にある学生御用達の喫茶店。


帰っても暇なのは同じ…

来週はセンター試験だし、喫茶店で勉強でもしよう。


私は特に深く考えずお店に入り、カフェラテを注文します。


そうえば午前中もカフェラテ飲んだな…

結構カロリー高いんだよね…

カフェラテを受け取ったあとにそんな後悔していると…


「…あ!」


喫茶店の隅の席に、見覚えのある顔を見つけます。

ぼさぼさの髪にやる気のないニート顔。

…イノさんです。


私は受け取ったカフェラテをこぼさないようにイノさんの席に向かいます。



「イノさん…あけましておめでとうございます。」


「…」


イノさんからの返事はありません。

それどころか私の方を向きもしません。

窓から外を眺めて、ひたすらぼーっとしています。


「イノさん!無視しないでください!」


「…」


「なんで研究室に来なかったんですか?」


「…」


「連絡ぐらいくださいよ!」


「…」


イノさんは一言も発さず。

ブラックコーヒーを少し口に含んで


「…はぁ」


とため息をつきます。

…まだ無視するつもりのようです。


「イノさん…ブラックコーヒー嫌いでしたよね?」


「…」


「いい加減にしないと、怒りますよ。」


さすがにムカつきます!

私が何かしたとでも言いたいんでしょうか!

大きい声をだそうとしたとき…



「…沙綾」



イノさんの視線が、窓から喫茶店の入り口に向きます。

そしてイノさんが…知らない女性の名前を言いました。

…さあや?だれ?


イノさんの視線の方を振り返ると…

そこには、可愛らしい服を着た小柄の女の子が立っていました。



「おはよう、イノ。」


「…沙綾。待ちくたびれたよ。授業はもう終わったのか?」


「うん。」



え…誰…?この人。

沙綾と呼ばれた女の人は私を見ます。



「あなた…沖田さんでしょ?」


「え?…はい。」


「私、イノの彼女。藤田沙綾(ふじたさあや)です。」


「…え…?」


「はじめまして。」


「…か…のじょ?」


「そう。私達3日前から付き合いはじめたの。」



…は?



…え…なに?



…え?…え?




彼女!?!?

イノさんの?

…うそ…でしょ?



「沙綾、誰と話してるんだ?」


「…ううん。何でもない。」


「…え?」



…なんだ?

何かが…おかしい。



「沖田さん。イノはもう…あなたのことが見えていないの。」



沙綾と呼ばれたその女の人の言葉を…

私は全然理解できません。



「……見えない?」


「そう…あなた達のことはもう忘れちゃったの。2度と研究室にもいきません。」


「なにを…言ってるんですか?」


「私達、結婚を前提にお付き合いしてるから…」


「嘘です…そんなわけ…」



…そんなわけない。



「ねぇイノ。私と結婚してくれるって言ってたわよね?…『そうでしょ?』」



その女の人がそう言うと、イノさんの身体がふわっと光ります。

このとき私はやっと気づきます…

この人…ロストマンです。



「…あぁ…そうだ…な」


「…イノさん!」


「そういうわけだから。もうイノに近づかないでね。」


そう言って沙綾という女の人はイノさんの手を引きます。

このままじゃダメだ…

イノさんが連れて行かれちゃう…



「イノさん!本当に私のことが見えないんですか!?忘れちゃったって…嘘ですよね!?」



大きい声で…言いました。

喫茶店のお客さんや店員がみんな、私の方を振りむきます。



しかしイノさんは…

イノさんだけは…



私に振り向かず、沙綾とかいう女の子とお店から出て行ってしまいました。



カランカラン…



あまりに突然のできごとでした。

私はしばらく放心状態になったあと、ゆっくりと状況を整理します。


イノさんが私を見えなくなってしまった…

藤田沙綾という彼女ができていて、どうやらイノさんの意識を操るロストマンのようだ…

唯一の頼りである麻衣さんは彼氏とデート中…



これって…

かなりのピンチなんじゃ…

どうすればいいんだろう…どうすれば…



いや、そうなの決まってる。



「私一人で…イノさんを助けるしかない…」



でも…どうやって…?







次の日。

一日考えて、やっと心の整理がついてきました。

まずやるべきことは情報収集です。

イノさんも、そうやっていました。


私は桜乃森大学の校門に張り付き、藤田沙綾の授業が終わるのを待ちます。



『沖田さん。イノはもうあなたのことが見えないの。』

『あなた達のことはもう忘れちゃったの。2度と研究室にもいきません。』



藤田沙綾のあの言い方…

イノさんの思考を操作するような能力…のはずです。

そして昨日の喫茶店で、藤田沙綾が能力を発動したタイミング。



『ねぇイノ。私と結婚してくれるって言ってたわよね?『そうでしょ?』』



おそらくあの言葉が能力発動のスイッチ。

私の『イエロー・スナッグル』のように、特定の言葉を発することで能力が発動する。


『そうでしょ?』


…あの…同意を求める言葉。



そうでしょ?

そうだよね?

そうじゃない?

そう思うでしょ?



つまり何か願い事を言って…

その言葉の最後に同意を求める言葉をつける。

それが彼女の能力の発動条件…だと思うのです。


情報が少なくて…信憑性もほとんどない仮定ですが…

今の私にはこう考えるしかありません。

まずはこれを確かめることが先決です…。



私は…藤田沙綾のことを何も知りません。

授業が何時に終わるのかもわからない…

昨日イノさんと待ち合わせをしていた時間を見計らって張り込みを続けていますが、かれこれ1時間以上たちます。


もう…帰っちゃった…?

色々と不安はありました。

そんなとき、ふと昨日の喫茶店をみると…



「…あっ!」



喫茶店のオープンテラスに…イノさんがいます!

今日ものん気にコーヒーを飲んでいます。

研究室を忘れてしまったイノさんがあそこにいる理由はひとつ…

今日も…藤田沙綾と待ち合わせをしているんでしょう。

…よかった…



「…」


そこで私はひらめきます。

イノさん、私のことが見えていないだけなら…

私の声とか身振り手振りじゃなくて…例えば紙とかメールでなら、メッセージを伝えられるんじゃないでしょうか。


私は思い立ってすぐスマホを取り出します。



[イノさん。あなたは今危険な状況に立っています]



そうメッセージを送ると…



[あなたのメッセージは、受信者によってブロックされています]



…ブロック…。

どうやらすでに藤田沙綾によって私からのメッセージはブロックされているようです。

おそらく研究室や麻衣さんからのメッセージも同じでしょう。

けどこれは逆に、間接的な方法ならイノさんにメッセージを送ることができるという何よりの証拠でもあります。



「紙だ…」



私はすぐにバッグからペンを取り出します。

カフェに入り、何も注文せずイノさんのいる席へいきます。

昨日の一件のせいで、店員さんの視線が痛いです。



「イノさん…」


「…」



やっぱり…私の言葉は届きません。

気持ちを切り替えて、すぐにその場にある紙ナプキンを手に取り、私はこう書きます。



【今日は家に帰れ。】



藤田沙綾のいない場所でゆっくり話をしなきゃ…

私はイノさんに見えやすいように、その紙をコーヒーの隣に置きます。

私の手がその紙から離れた途端、イノさんの視線が紙に移ります。


「…?」


見てる…見えてる…。

紙なら私の言葉が…

イノさんに伝わる…よかった。

私は続けて文字を書こうとしましたが…



「……気持ちわる。」



とイノさんが言いました。

たしかに…突然こんあ紙が現れたら気持ち悪いですが…

私がこんなに頑張っているのに…なんて思うと、だんだんのん気な顔に腹がたってきます!

もし解決したら…ケーキ1ホール買ってもらう!

私はそう決めました…そのときです



「…!」



ふと桜乃森大学の校門に視線を送ると…ちょうどあの人が出てくるところでした。

そう…私が張り込んでいた相手…藤田沙綾。


どうしよう…どうするべき…?

このままだとここに来る…隠れる?


いや、ダメだ…

立ち向かわなきゃ…

怖いけど…私がイノさんを助けるんだ。



「イノさん…すいません。」



私はイノさんにそう言って店を後にします。

藤田沙綾と、もう一度対峙するために。






カランカラン…


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