26 エミリー・テンプル・キュート②

見慣れているはずの桜乃森大学の校門。

いつもと同じはずなのに、今日は異様に狭く見えます。

下校中の人がいましたが、私の視界に入るのはただ一人

…藤田沙綾。



「藤田さん!」


「…」



私が大きな声で名前を呼ぶと、藤田沙綾は私の方を見ずに返事をします。



「沖田さん…もうイノに近づかないでっていったよね?」



声は妙に落ち着いていて、まだ何にもされていないのに…

なぜだか私が圧倒的に不利な状況に立たされているような…

そんな威圧感を感じてしまいます。



「…イノさんを…解放してください」


「…。解放って…人聞きの悪い言い方はやめてよ」


「能力をつかって人を操作する…人聞きの悪くない言い方がわかりません」


「…そっか。あなたもイノと同じ研究室で働いてるんだもんね。私もロストマンだって…わかってるんだ」



私を見た藤田沙綾の顔は、とても可愛らしい女の子でした。

青文字系ファッション誌のモデルさんみたいな、可愛らしい服装とメイクです。

どこにでもいる…普通の大学生…



「私ね…イノのことが本当に大好きなの。」


「…」


「好きで…大好きで…好きで好きで、好きで好きで好きでしょうがないの……ずうぅっと一緒にいたいの」



その言葉には何の迷いもありません。

まるで恋敵のような目で私を見ながら…

イノさんへの想いを打ち明けます。



「大学で見かけてから私は…イノのこと…ずっと見てた。けどイノは…私のことなんて…まるで見えてないみたいだった。」


「…」


「『エミリー・テンプル・キュート』は、そんな私の願いを叶えてくれたの…」



純粋な乙女心…とでも言いたいのでしょうか。

『エミリー・テンプル・キュート』…それがこの人の能力の名前…



「あなたさっき…イノと話していたでしょ?紙をつかって…ここから見えた」


「…!?」



見られてた…



「言っておくけど、あなたの名前を紙に書いたとしてもイノには見えないわよ。」


「…?…どういうことですか?」


「あなたやロストマンの研究をしていたこととか…いくら紙に書いてもイノは認識できないようにしてあるの」


「認識できないようにしてある…?」


「私の『エミリー・テンプル・キュート』にはそれができる。『○×を忘れて』と言えば忘れるし、『○×を見ないで』と言えば、イノにはそれが見えない。」



顔や声だけじゃなく…

たとえば私の『沖田かな』という文章も認識できなくなる…ってこと?

麻衣さんや…研究室のことも…?



「文章であなたの名前を書いても、その部分だけ空白に見える。私にとって都合の悪いことは全て見えないようにしたわ…」


「…」



あまりにもまっすぐ言うもんだから…

何も言葉が出てこなくなりました…



「まだ何かある?」


「…」


「何もないならいくわね。イノが待ってるから…」


「同意を求める言葉…ですよね?」


「…?」


「『そうでしょ?』とか『そうよね?』とか、相手に同意を求める言葉…それがあなたの『エミリー・テンプル・キュート』のスイッチ…ですよね?」


「…」



明らかに藤田沙綾の顔つきが変わりました。

どうやら当たりのようです。



「それがわかったからなに?紙に書いてそれをイノに伝える?」


「…」


「やってみたらいいわ。言っておくけど、私以外からそういった言葉を言われてもイノは聞こえないし、見えないわ。」


…え!?


「当然でしょ。私の知らないところで他の誰かに『そうでしょ?って言葉に気をつけろ』…なんて書かれたら、イノが私のことを警戒しちゃうかもしれないじゃない。イノの前ではそういった言葉、口癖ってことにしてるし。」



…怖くなりました。

人を操る能力を持っているのに、その能力に甘んじず…

ここまで用意周到に…

執念にも似たものを感じます。



「イノは絶対渡さない。今度彼に近づいたら…」



藤田沙綾が、私に顔を近づけます。



「イノの視力を全部奪って…本当に私だけしか見えないようにしちゃうよ?」



ゾクリとしました。

凍りつくような声。


視界を全部奪う…?

そんなこともできるの…?


この人は本当にやる…

それほどその言葉には、想いがこもっています。



「それじゃあね。沖田さん。」



藤田沙綾が…私の前から立ち去ろうとします。

私の身体は震えています。

だって…とっても怖いんです。


こんな可愛い顔をしているのに…

私が今まで出会った人達の中で一番恐ろしい人。

心が折れそうになります…



だけど…



「藤田さん…」


「…。まだ何か…?」


「…イノさんのところへは…いかせません。」




そうです。

イノさんは…


私が助けなきゃ。




「あなたは私と『ここにいて』ください」




ドンッ!!!!!!!!!!




藤田沙綾の足元がミシミシと音をたてます。

彼女は自分の体重を支えられず、前かがみになります。

校門の隅にある柱に手を付き、なんとか転ばずには済んだようです。



「…!?…もしかし…て……あなたも…」


「ロストマンです。」



私の能力『イエロー・スナッグル』。

私がここにいて欲しいと思うほど、藤田沙綾の身体は重くなります。

思いの強さなら、私だって負けません。


しかし…



「はぁッ!はぁッ!」


「イノさんにかけた能力を、今すぐに解いてください。」


「…」



可愛い顔がゆがみ、あぶら汗がにじみでます。

女の子どおしで慣れ合ったりしないタイプですが…

さすがに少し…罪悪感がでてきます。

けど…



「そうしないと…私も能力を…解きません」


「むり…よ…」


「?…言っている意味がわかりません」


「…解き方なんて知らないもん…知っていても…絶対…解かないけど…」


「…?」



解き方を…知らない!?

そんなことあるの?

いや…確かに…イノさんが前に言ってた。

解除できないタイプの能力もあるって…

まって…そんな…



「嘘を言っているなら…やめたほうがいいですよ!」



ドン!!!!

パキパキッ!!!



「きゃあッ!」



逃がしたくないという私の想いが強くなったんでしょう…

藤田沙綾の足元の石のタイルからパキパキと音がします。

体重は3、4倍にはなっているはず。


しかし藤田沙綾は膝をつくどころか…

足を大きく広げて、上手くバランスを保ちます。



「どうして…膝をつかないんですか?」


「…はぁ…はぁ…」


「膝をついた方が…楽じゃないですか…あなたの体重は今4倍近くになってるんですよ…」



藤田沙綾の身体は小柄なほうです。

体重はきっと50キロもないでしょう…


軽く見積もって40キロだとしても…

今の体重は160キロ以上になっているはずなのに。



「…だって…」


「…?」


「これから…イノに会うんだもん…膝をついて…汚れた姿なんか、見せたくない…」


「…」



この言葉を聞いて…

私の心に迷いが生まれます。


本当に…この人は…

イノさんが好きなんだ。



「…」


「…はぁッはぁッ…」



人通りの少ない時間帯だとしても…ここは学校の校門。

周りの視線も集まってきました。



「…『ごめんなさい』、もう…行ってください」



藤田沙綾の身体がふわりと光ります。



「!?」



藤田沙綾の体重が、元にもどります。

身体が軽くなったとたん彼女は私をキッと睨んで…走り去っていきました。



「…」



…まいったな…。

私はやっぱり、イノさんみたいになれないや。


ダメだ…泣いちゃ…

泣かないって決めたじゃないか。



「ふぅ…」



彼女を逃がしたのは…イノさんのためです。

少なくとも今のイノさんは、藤田沙綾を待っている。



「…でも」



私がしっかりしないと…

今のままでいいわけなんかない。

…いいわけなんかないんだ。








藤田沙綾は…

私と別れた後、すぐにイノさんのところへ向かいます。

私に警戒しているようでしたが、何事もなかったかのようにイノさんと話してます。



「ねぇ明日、イノの家行っていい?ご飯つくってあげる…」


「…あぁ。ありがとう」


「私4年生になったらゼミだけなの。単位は全部取っちゃった。」


「大学生いいね。なんか楽しそう。」



私はというと…物陰に隠れて2人の会話を聞いています。

まるでストーカーの気分です。


彼女と対峙して、わかったことがあります。


ひとつは私に対しては能力を使えないということ。

『エミリー・テンプル・キュート』は他人を操作できる能力です。

藤田沙綾は私にあんなことまでされたのに、能力を使う素振りさえみせなかった…

私にも能力が使えるなら、あんな状況にはなりません。


そしてもう一つは、彼女自身が能力を解除できないということ。

そうなると残されたロストマンの能力を解除する方法は2つ。


藤田沙綾が能力と引き換えにした「失ったモノ」をもう一度取り戻すか…

イノさんの能力で奪う。


イノさんがいない以上、能力を奪うこともできません。

つまり私に残された方法は1つだけ。


でも藤田沙綾が一体何を失って能力を身につけたのか…

私には見当もつきません。



私が物陰に隠れてから1時間後…



イノさん達は喫茶店を後にします。

とにかくイノさんに今の状況を伝えなくては…

私はそう思いました。


自分が今、危険な状況に立たされている…


イノさんがそう認識するだけでも、事態はいい方向へ進むはずです。

私は藤田沙綾が視界から消えたのを確認して、イノさんを尾行します。


いや、正確には尾行ではありませんね。

どうどうと隣を歩きます。

イノさんには見えてませんが…




ガチャ…




10分ほど歩いたところに、イノさんの家はありました。

けっこう近場に住んでいたんですね。

思っていたよりずっと大きいマンションです。


部屋には家具はほとんどなく、洋楽のCDとか映画のDVDが散乱しています。

…掃除したい。



「…ふう。」



イノさんはCDをかけて、何も乗っていない机の上にリュックを放り投げます。


少なくとも私と出会ってからの3カ月。

イノさんはほとんど研究室にいたハズです。

私や研究室のことを忘れてしまっているのだとしたら、その間の記憶も全部なくなってしまっているはず。

記憶が無くなっていることに気づけば、今のイノさんでも自分の置かれている状況に違和感を抱くはずです。

私はすぐに持参した手帳にメッセージを書きます。



【私はあなたの味方です】

【あなたは今、大切なモノを忘れ続けています。】

【自分の思い出を振り返ってください。】



「よし。」



私がその紙をリュックの上に置くと、イノさんはすぐに気づきます。



「…?」



その紙を手にとって、イノさんは周りをキョロキョロ見渡します。

誰もいないことがわかると、紙を見て何か考えています。


言葉を発さず、まずは今の状況を頭の中で整理する。

イノさんは、こういう人です。



「思い出を…振り返れって………」



イノさんは思い出を振り返ります。

そして自分の思い出が空白であることに気づいたようで…



「どうしたんだよ…俺…そうだ…携帯…写真とか…」



スマホのデータを見て、何か思い出せるんじゃないかと思ったのでしょう。

イノさんはスマホを手に取って必至にスクロールしています。


しかし、私が送ったメールをブロックしたことを考えると…

すでに藤田沙綾はデータを消しているはずです。



「は?どういうことだよ…こっちもか…は?」



お願い…気づいて…

自分が置かれている状況が、どれだけ異常なことなのか…


必至にスマホを見るイノさんの目がだんだんと曇り始めます。



「一体なんなんだよ!」


バンッ!



やはりデータは見つからなかったのでしょう。

イノさんはスマホを壁に叩きつけてしまいました。


かなり…混乱しています。

こんなイノさんは見たことがありません。


…大丈夫。

今回は私が…絶対救ってあげますから。



【落ち着いてください】

【私の話を聞いてください】

【落ち着いて】



私はまた紙にメッセージを書きます。

イノさんが見えるように、テーブルの見えやすい場所に紙を置きます。

イノさんは…それにすぐに気づいてくれます。



「…やっぱり誰かいるのか…?」



…。

やっと…やっと私の存在に気づいてくれた。

私の存在を、信じてくれた…


涙が出そうになるのをグッとこらえて、私はまたメッセージを書き、机の上に置きます。



【います】



イノさんはキョロキョロ周りを見渡します。

当たり前ですが、私のことは見えません。

幽霊かなにかと思っているんでしょう。



「…あんた誰だ?」



イノさんの問いに私は紙で答えます。



【私は人間です。貴方は都合の良いように『認識』を操作されている。】


「…?」


【今のあなたは、都合の悪いモノを『認識』『記憶』出来ないようになっているということです。】


「都合の悪いモノ…?認識…出来ない?…あんた誰なんだ。」



沖田かなです…そう言いたい。

でも藤田沙綾の言葉を信じるなら…

私の名前を紙に書いても、きっとイノさんは認識できません。

まずはそれを伝えないと。



【名前を紙に書いても、あなたはそれを認識できません。】

【私も都合の悪いモノ。ここにいますが、姿も名前もあなたは認識できません。】



イノさん…今のあなたには私は見えないかもしれないけど…

私にはしっかりと見えているんです。



【私は貴方を大切に思っている者です。】



この紙を見たイノさんの表情が…

なんだか少し和らいだ気がしました。



「だんだんわかって来た…あんたはこの部屋にいるけど、俺にはあんたが…見えてないって事なんだな。」



イノさん…。

ここからが本題です。

とにかく今把握していることを、可能な限りイノさんに伝えなきゃ…



【『そうでしょ?』とか『そう思うでしょ?』とかの言葉には気をつけてください。】


「…」



イノさんの顔が曇ります。

どうやら文字が…見えてないようです。


あ…そうだ。

午前中、藤田沙綾が言っていたのは本当だったみたいです。



【失礼。見えるように書きます。】

【同意を求める言葉に気を付けて。】


「ちょっとまってくれ…もっとわかりやすく書いてくれ。」



ごめんなさいイノさん。



【これ以上具体的に書くと、あなたは認識できません。】


「…まじかよ。」


【私はもう行きます。】


「ちょ…ちょっとまってくれ!」


【近々また来ます。】

【完全に私を認識できなくなる前に、あなたにこの事を伝えられてよかった。】



これだけの情報があれば…

今のイノさんでも、自分を守ることくらいはできるはず。





ガチャ





私はイノさんの家をでます。

玄関を出ると、肌寒い空気に少し震えます。


私は手帳を一枚破り、紙に文字を書きます。


「…よし。」


その紙を4つに折って、私はイノさんの玄関のポストに入れました。


コトン


これが…私の切り札。

そして…賭けだ。



「やれることは…全部やった…」



私は、イノさんの部屋の扉を見ます。

こんなに近くにいるのに…


早く…イノさんと話したい。

まだ「あけましておめでとう」だって言えてない。



泣いちゃダメ。泣いちゃダメ。



決めたじゃない…イノさんに認めてもらうまで。

もっともっと頑張るって…



それに、泣いちゃいけない理由はまだある。

さっき喫茶店で聞いていた話。

藤田沙綾は明日イノさんの家に来ます。

つまり明日が…私の決戦本番です。


泣くのは藤田沙綾に勝って、イノさんにケーキ1ホール奢らせた…その後です。

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