あいつらに、連れてかれたんだ

 ハッハッと息を切らせながら、瑞透は古宇里山中腹の拝殿へと続く麓の一の鳥居にたどり着いた。


 途中でソレを見かけて顔の怪我がうずいても構わず、ただまっすぐ走ってきた。提灯の明かりと、置かれたライトが一帯を照らしている。

 闇に沈んでいたはずの鬱蒼とした下生えの薮は、眠りを破られたようで迷惑そうだ。


 月明かりがないだけ目立つ人工的な光は、闇に隠れたものを暴くように強く、そして無機質だ。


 瑞透は汗をぬぐうと、顔をあげて、一の鳥居の先にずっと続く階段を見上げた。


「瑞透」


 驚いたような声の方角に顔を向けると、疲れを色濃く滲ませた理人の姿が目に入った。

 神社の上の境内に続く一の鳥居のそばに座って、他にも憔悴したような友人たちがいた。


 でもそこに武士の大柄な姿はない。


「瑞透、走って大丈夫なのか。体は?」

「大丈夫、……理人、みんな、心配かけてごめん。武士は」


 理人が頭を横に振り、友人たちは視線を地面に落とした。

 その雰囲気は重く、そして自分たちでどうにもならない歯痒さに苛立ち、鬱屈しているようだった。


「八重野の伯父さんも、瑞透の親父さんも、集落の大人総出で探してる。でも全然分かんなくて」

「武士はどこのポイントで脅かす予定だったの?」

「階段のてっぺんのちょい手前、……薮ん中」


 友人の一人が応え、小さく「くそっ」と舌打ちした。


「春陽は?」

「大人たちと一緒に探しまわってる。山登りは慣れてるからって」


 瑞透は首筋を流れ落ちてきた汗を手の甲でぬぐい、まだ激しく心臓が音を立てている体で階段に足をかけた。


「瑞透、一人で行動するな。今は皆一緒にいて、捜索は大人にまかせた方がいい」

「僕は大丈夫だ。生まれ育ったとこなんだから」


「でも」そう言って、理人が瑞透の腕を掴んだ。

 その目が一瞬、瑞透の顔の左に流れて、それから静かに目を伏せるようにした。


 理人が心配していることが伝わってくる。

 いつだって言葉よりも仕草で、理人は多くを語る。


「理人。……ずっとごめん」


 理人がかすかに首を傾げた。


「病気のこと、……黙ってて。……信じてなかったわけじゃなくて、さ。ただ……」


 言いよどんだ瑞透に、理人が腕を放した。


「無理に言わなくていい。何か事情抱えてんだろうなとは思ってたし、来る時が来たら、……話してくれると思ってたから」


 理人はかすかに笑みを浮かべた。

 瑞透はこみあげてきたものを抑えこむように、俯いた。


「……本当は言うつもり、なかったんだ。死ぬ時は死ぬし、それまでの猶予が長いか短いかだけで、でも、武士の言葉が、……」



 武士の言葉は、瑞透の心を刃のように深く強く刺して、今もまだ突き刺さったままだ。



「武士は、歯に衣着せないからな」


 ぽつりと言った理人が、ハッとしたように階段の上部に視線を移した。


「誰かくる」


 瑞透も顔をあげると、懐中電灯らしき強い光がゆらゆらと不安定に降りてくる。


「そこ、誰かいる?」

「春陽!」


 どこか不安そうな声に、瑞透がいち早く反応して、階段を駆け上がった。


「瑞透、体大丈夫なの?」

「大丈夫。それより武士は」


 春陽が表情を曇らせて頭を振った。



「……武士、連れてかれたんだよ」



 不意に春陽の隣から怒ったようにあがった声に、瑞透が驚いたように隣を見下ろした。

 春陽としっかり手をつないだ小学生の男の子がいた。

 

 武士と仲がよかった新太だ。


 瑞透を半ば睨みつけるような目は、何かを必死に堪えて緊迫している。


「新太くん、何言ってるの」


 春陽の戸惑った言葉に返事もせず、新太は瑞透をじっと見上げている。


「連れてかれたって、どういうことだよ?」


 階段を上がってきた理人たちが不穏げに新太を見つめた。


「あいつらに、連れてかれたんだ」

「新太くん」


 新太は同じ言葉を繰り返して、瑞透をじっと見ている。

 悔しさと、怒りと、怖れと、悲しさと、負の感情がはち切れそうな顔をしている。


「……お狐さん」


 瑞透は喉の奥から押し出すように言った。

 こくり、と新太が頷いた。


 それは、この土地に縁あるものでなければ、分からないものだ。


「お狐さん?」

「瑞透、それ、何だ? 何の話だよ?」

「新太、この辺の出身だったの?」


 瑞透が静かに新太を見つめた。


「父ちゃんが」

「……そっか」

「なんなの。瑞透、新太くん、二人は何を言ってるの?」


 不安げな春陽や理人たちを置き去りにしていることに気づいて、瑞透は強張る表情のまま振り返った。


「ここら辺には古い言い伝えがあるんだ。お狐さんに魅入られたら、連れていかれるって。新太が言っているのはそのことだよ」

「言い伝えって、それはあくまで言い伝えだろう。そんなもの、単なる教訓や抑止力のためのつくり話だ」


 科学で割り切れないものを信じない理人は、顔をしかめた。


「嘘じゃない! オレん家のばあちゃんの妹の、ば……? えっと親戚の女の人もお狐さんに会ったことがあるんだ!」


 新太がムッとして理人に食ってかかった。

 さすがに小学生相手にストレートに否定してしまった理人は、罰が悪そうに目をそらした。


「それに……」


 新太が少し戸惑ったように俯いた。

 普段からソレや病気とつき合っている瑞透は、人の機微にも敏感になり、新太が何かを知っていると目ざとく嗅ぎつけた。


 瑞透は新太の頭にぽんと手を置いて、新太と同じ目線になるようしゃがんだ。


「新太、どうしたの?」


 新太が黙り込んだ。


「新太。僕は、この土地の人間だから。お狐さんの言い伝えは嘘じゃない。そういう不可思議なものがあっても、それは普通なことだと知ってる」

「瑞透兄ちゃん」


 どこかホッとしたような泣きだしそうな新太の声にかぶせるように、理人が「瑞透、」と嗜める声を出した。

 瑞透は振り返って、理人を見あげた。


「理人は信じないかもしれないけど、ここでは、そう言われて育つんだよ」

「でもそれは」

「納得できなくていい。正しいとか間違ってるとか、そこに含まれてる真意とか、そんなものは意味ないんだよ。ここでは、ただ、そうなんだ」


 瑞透は静かに言い切ると、立ち上がった。


 自分の特性は、どうあっても新太の言うことを否定できない。

 実際に、見て、知って、関わっているのだ。

 だからこそ新太の言うことが真実かもしれないと、そちらの不安の方が頭をもたげた。


「瑞透、もしそうなら、どうしたらいい? 私たちにできることは?」


 春陽がはっきりした声で瑞透を見た。

 さっきまで不安に揺れていた素振りは潜め、今は新太の手をしっかり握りしめ、自分ができることを見極めようとしている。

 その決然とした表情に、理人も友人たちも目が覚めたように瑞透をまっすぐ見据えた。


 瑞透は頷くと、もう一度新太を見下ろした。


「新太、僕に教えてくれないかな。僕はこの土地で育ってるし、何か分かるかもしれない」

「……オレ」


 そう言いかけて、新太はどこか怯えたように瑞透だけでなく、理人や他の友人たちの顔を誰かを探すように見回した。

 そして少しホッとした様子を見て、瑞透はふと今この場にいない友人の姿を浮かべた。


「見ちゃったんだ。あの、誰だっけ……頭がくるくるしてる……」

「室戸か?」


 理人が素早く口を挟み、新太が頷いた。


「そんな名前だった気がする……。そいつが肝試し中に武士んとこ来て、そんで武士だけ神社ん中入ってって、それからちょっと待ってたんだけど……でも友達待たせてたし」

「神社ん中って、拝殿?」

「はいでん?」

「石段をのぼった先に建つ建物だよ」

「うん、そん中」

「それ、いつ?」

「……オレ、肝試しの途中でおしっこ行きたくなって、そんでトイレ探してた時だから……」

「新太くん、ラストだったのよね。だからたぶん八時近かったんじゃないかな」


 瑞透は理人と顔を見合わせた。


「あいつ、何しに武士んとこに」

「オレら、あいつに事情聞いてみるよ」

「分かった」


 にわかに活気づいたような理人たちに、瑞透は頷くともう一度新太を見た。


「新太は、春陽と理人たちと一緒に本家に戻っておいで。僕が拝殿を見てくるから」

「私も上に行くわ」


 春陽が頭を振って、瑞透の腕を掴んだ。

 そして理人もまた瑞透の方に一歩踏み出した。


「オレも行く。皆は新太をちゃんと本家に送り届けて。そんで室戸から事情聞き出してくれ」

「いや、僕一人でいい」断った瑞透に、二人が頭を振った。

「瑞透の体だって万全じゃないはずよ。ここは年上の言うことを聞いて」


 瑞透が一瞬ぽかんとして、呆れたように春陽を見た。


「こんな時だけ年上ぶる?」

「い、いいじゃない! ……一人でなんて行かせられるわけないじゃない。倒れたらどうするの? 瑞透に何かあっても、一人じゃどうしようもないじゃない」

「春陽さんの言う通りだ、何かあってからじゃ遅い」


 瑞透は二人の強い意志におされて、大きくため息をついた。

 倒れて、顔面に火傷のような怪我を負ったばかりの瑞透を、しかも心臓病を煩っていると知ってしまった相手を一人にしておきはしないだろう。


 でもできれば一人で確認したいことがあった。

 それに、何より、夜は、ソレらの動きが活発化する時間だ。

 途中でソレに出くわしたら、どうすればよいのか。


 春陽と理人を巻いてしまうわけにもいかず、瑞透は尻ポケットの刀守を確かめた。

 こうなった以上は、何かあれば、それこそ春陽も理人も守ると、覚悟する他なかった。

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