残される側の気持ち考えたことあっかよ!
母屋に入ると同時に春陽と別れた瑞透は、自室の襖を開けて軽く目を見張った。
敷きっぱなしにしていた布団の上に武士が寝転んで、本を読んでいる。
瑞透に気づかないほど真剣に読んでいるから、思わず襖に体をもたせて、武士の様子を眺めた。
スポーツ特待で入ってきたサッカー部の次期エースは、筋骨がしっかりとして、黒く焼けた肌は健康男児そのもののように力強く美しい。そしてその均整のとれた身体のように、武士の性格もまた光のように明るい。
その明るさが瑞透には眩しくて、武士と一緒にいるだけで、ソレに引きずられそうな何かが照らされて安心できた。
「うぉ、なんだよ。いんなら声かけろよ」
瑞透に気づいた武士が笑いながら身体を起こした。
「つうか、瑞透、難しい本読んでるなー。なんつの、この、風呂みてーな名前とか若いとか」
「フロイト、ヤングじゃなくてユングね」
「それそれ。オレは、こっち、これの方がいい」
ちょうど読んでいた本を高く掲げてみせた。
大河ドラマにもなった明治維新が舞台の歴史小説だ。ちょうど昨晩読み終えて、布団の脇に放り出していた文庫本だった。
瑞透は小さく笑うと、近くの椅子に座った。
「それおもしろいよね。最後さ、主人公の」
「わーわーわー! ノーネタバレ!」
武士は跳ねるように起き上がって、瑞透の首に飛びついた。瑞透は笑いながら「ギブギブ」とホールドする武士の腕を叩く。
「しっかし、瑞透の部屋、なんもねーな。本と布団だけって、男の部屋じゃねえ。エロ本でもないかと思ったら、それもねーし」
「まあ、本と寝るところがあればだいたい事足りるからね」
「はああ? それが花の男子高生の言うことか!」
武士が額に手をあてて、おおげさに天井を仰いだ。
瑞透は座ったまま椅子を回した。少し動くだけで、キイキイと音を立てる椅子は、土蔵に置いてあったせいか錆びていた。
「だいたいさあ、ちゃっかり春陽ちゃんといい感じになってるクセして、そんなこと言うかねー」そうぶつぶつと不満そうに言って、武士は自分の頭をわしわしとかき回した。
瑞透は椅子を少しずつ回しながら、武士が何かを言うのを待った。
髪をぐちゃぐちゃにするのは、武士の癖の一つだ。何か言いたいことや言うのをためらっている時の。
まず一人で瑞透のことを待っていたこと自体、何か含むところがあるに違いない。思ったらすぐ行動にうつすのがこの大柄な友人の性格だった。
武士は、椅子と一人で戯れているような瑞透を見て、その顔面の有り様に表情を曇らせた。
「それ、なおんのか? あと、残んじゃね?」
顔の怪我のことを遠慮なく聞いてきた武士に、瑞透は軽く肩をすくめた。
どことなくその言葉の裏に棘があるような気がして、瑞透は少し用心深く答えた。
「さあね。でもそんなこと、どうでもいいよ」
「はあ、瑞透って、そういうとこすげーよな」
「ええ? なにが?」
「なんつうかなあ、執着してねえっつうか」
「……別にそんなんじゃないよ」
「オレだったらもうじたばたするな。だって、そのモテ顔を失うわけよ? 瑞透は男子校育ちだからわかんねーかもしんないけど、共学だったらもう王子様扱いよ?」
「何言ってんの」
呆れて武士を見ると、武士はじっと瑞透を見ていた。いつも笑顔でおちゃらけてて、ムードづくりがうまい武士にしては真剣な表情に、かすかにたじろぐ。
「なんでさ、そんな平気なわけ?」
「え?」
「体だけじゃなくて、顔もじゃさ、いくらなんでも辛いはずだろ。なんで我慢してんの?」
「それ、どういう意味?」
瑞透の視線がかすかに冷たさを帯びる。武士はその目をまっすぐに見返した。
「ぶっちゃけ、瑞透がオレらに線引いてるのは分かってたけど、こういうさ、命まで危なかったかもしんない時まで、なんでそんな笑ってられんのか、オレには分かんね」
「……線なんて引いてないよ」
「引いてるだろ!」
いきなり激昂した武士に、瑞透は驚いて目を見開いた。
いつも笑っていて、人に対して怒ったことなどない彼が今は顔をどこか真っ赤にさせて瑞透を睨んでいる。
瑞透は胸の奥を突き刺すような痛みを感じた気がして、ぐっとこらえた。
発作など、今、起こしたくはない。
「オレ、知らなかったよ! 瑞透が病気もってるなんてさ、そんで、……そんで、余命、とかさ。親父さんからさっき聞いたばっかで。理人も知らなかったっていうじゃんか。あいつ、中学ん時から瑞透のこと知ってるのに、ずっと知らされてなかったってことに、今すっげショック受けてて。いつもクールな理人が、泣いたの、知らねえだろ! オレだって、そんだけつきあい長いヤツに、そういう大事なこと言ってくれなかったって知ったら、マジでショック受けるよ!」
理人は、自分の本音をほとんど見せない。
その彼が泣く姿など、瑞透は一度も見たことがなかった。そのショックに、瑞透は無意識に拳をつくった。
「……言ってさ、どうなるんだよ?」
やはり理人にも武士にも言えなかっただろうと思った。
「誰か、僕の命を助けてくれるの? 言ったところで、何か変わるの?」
「それは変わらねえかもしんねえけど! でもオレらにだってやれること」
「ないよ」
瑞透は武士をどこか突き放したような目で見つめた。
その底冷えするような淡白さに、武士が茫然とした表情になった。
「やれることなんて、何もない。当の僕自身が、どうにもならないんだから」
ゆっくりと武士の精悍な顔が悔しさと怒りに染まっていくのを、瑞透は静かに眺めていた。自分に向けられている感情なのに、瑞透はどこか遠いところで、武士みたいな人間こそがいい男というのだろうと思った。
「1人で納得して、諦めて、絶望して、そんで未練も残さずこの世とおさらばってわけか」
「諦めてもいないし、絶望もしていないよ。失望はしたかもしんないけど」
こんなもんか、と。
自分の人生は、病気もあり、顔に傷もつくり、そうして得体のしれないソレらと向き合い、そうしていつか、病にかソレらにかの手によって命尽きるだけ。
「っざけんな! お前すっげ自己中じゃんか!」
武士の両目に涙を見つけて、瑞透は目を見張った。
「じゃあ瑞透、お前が死んで、そんで何、終わり? 違うだろ! 残されるんだ、こうやって関わって、お前が大事だって、お前といると楽しいって思ってきたオレらは残されるんだ。そういうオレら、オレがどう思うかって、お前考えたことあんのか?! 親父さんやお袋さんだって、そうだろ、残される側の気持ち考えたことあっかよ! 本当に未練も何もなく余命だけで生きたいんだったらさ、オレだけじゃない、理人とか、はじめから関わんなきゃよかったんだよ! そうもできないくせに、澄ました顔してんな!」
(何も知らないくせに!)
殴りかからん勢いで怒号とともにまくしたてた武士に、瑞透の中でカッと怒りがわき起こった。思わず武士に怒りを向けようとして、でも思いとどまった。
その様子に武士は蔑むような笑いを見せた。
「なんだよ、言い返すこともできないんだ? いっつも白けた顔してっけど、単純に臆病」
瑞透が武士の言葉が言い終わる前に、その胸ぐらを掴んだ。
「臆病で何が悪い! お前には分かんないよ、僕の気持ちなんて」
「開き直ってんな! 本心でぶつかってこなきゃ、分かるわけねーだろ!」
武士の悔しそうな目を、瑞透は怒りと羨望と哀しみとが混じり合った目で睨みつけた。
「勝手なこと言うな!」
「勝手だろうとなんだろうと言ってやる! 病気とか余命とか、そういうの隠れ蓑にして、そういうの楯にして、本音言えないとかってなあ! 怖がってるだけじゃんか! オレはまだつきあい浅いかもしんねーけど、せめて理人くらいは……っ」
武士はそこまで言うと瑞透の腕を引きはがし、突き飛ばした。
よろめいた瑞透は机に背中をぶつけ、痛みに顔を歪めた。
一瞬だけその身を案じる表情が武士の顔をよぎった。
「……瑞透、せめて理人くらいは、信じてやれよ……」
武士は低く唸るように吐き出すとそのまま瑞透の隣を過ぎ、タァンッ、という襖を閉める音だけを残して部屋から出ていった。
踏み抜かんばかりに廊下を歩き去る音が途中まで響き、そしてふつりとやんだ。
部屋の中に取り残され、瑞透は俯くようにその場に座りこんだ。
じくじくと、胸の奥に鈍い痛みが走っている。
それを抑えるように、奥歯を噛み締めて、堪えた。
武士の言うことはもっともだ。最低限の人間としか関わらなければいい。
それでも楽しかったのだ。
理人のさりげない気遣いがもたらすいつも変わらない空気の中にいることが、武士のバカ話につきあって笑っているのが。
可愛い女の子やエロい話題や、好きな趣味や学校の悪口しかなくても、友人たちの輪に入っているのは。
好きなのだ。
そこにいること、そして、そこにいる彼らが。
いつもバカ話しかしないような友人たちが。
だからこそ言えないこともある。言葉をのみこんで、瑞透は無意識に拳を握りしめた。
どんな時にも、ソレは姿を現す。
いつどんな時、発作が起きるかしれない。
そのことが、本当はどれだけ怖いか。そしてそれに怯えている自分が、どんなに無様で情けない姿をさらしているか。
そんな弱くて自分のことだけで精一杯の瑞透を、彼らはどんな目で見るだろう。
意識の奥に封じ、抑えつけてきた気持ちが蓋をおしあげて、あふれそうになる。
瑞透は無意識に尻ポケットの刀守をとりだして、両手の中で握りしめた。
ずきり、と顔の怪我に痛みが走った。ソレが残した醜い傷は、表面だけでなく、瑞透の内面まで抉るように痛い。
瑞透は長く深いため息をついて、足を投げ出し、上を仰いだ。
部屋の中はうっすらと暗闇が増し、天井の四隅は凝った闇が静かに押し寄せている。その昏い隙間に、ソレがいるのが見えた。
瑞透の方に寄ってくる気配はない。
ただ静かに薄闇の中で呼吸を繰り返しているようだった。正体など知らないソレは、何かを思うでもなく、考えるでもなく、感じるでもなく、そこにあるだけのようだった。
瑞透は疲れたように、なにげなく障子を開けたままの外を見た。
いつのまにか窓から見える古宇里山が黒々と塗りつぶされている。
山の端だけが夕と夜と間のあわいにあるような紫と朱の色に染まって、夏の夜が刻々とおりてきていた。
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