血が、その資格だ。

 拝殿の中は、急に外の強い光の影に沈んだかのように暗く、瑞透は目を瞬かせた。


 色褪せてしまったらしい緋毛氈も数多の足に踏まれてきたのか、毛をなくして煎餅のように平たく冷たい。

 隅には布で覆われた神具や小さな神輿やらが雑然と置かれている。


 天白が恭しげに観音開きの扉を内側から閉めると、さらに闇が落ちた。


「あの娘を好いているのか?」


 内部に目がまだ慣れない。天白の声だけが響いた。


「会ったばかりだよ」


 瑞透は暗闇の中で静かに胸をなでおろした。

 気づかれたかもしれなくても、顔が火照っているのを知られたくなかった。


 正直、好きかと問われたら、即座にイエスとは応えられない。自分でも、彼女を前にした時の自分の感情が冷静に見ることができないのだ。


 ただひどく、心が揺れる。


 もっと春陽のことを知りたい。そう思った。


 好きと言われたことは多くあっても、自分から好きだと思うことはなかった。だから、これが恋なのか、瑞透には分からない。


「本家に用があったらしいんだけど、場所が分からないみたいで。林間学校の手伝いだってさ。明日から小学生が来るから。あ、実は僕の学校のヤツらもまじるんだ。体のいい手伝いだけど、こういうド田舎にあんま縁がないヤツらばっかで、遊びに来たいって言ってて。だからその間はあんまり天白とは会えないけど、でもこうして清めておけば、まあたいていのはやり過ごせるよね」


 瑞透はそこまで言うと、はたと口をつぐんだ。

 普段より饒舌になっていることが、まるで瑞透の気持ちを露呈しているようで、恥ずかしく居心地が悪い。


「……林間学校、そして学友か。おもしろくなりそうだな」

「ま、ね。楽しいやつばっかで、けっこう気に入ってる」

「……そうか」


 暗闇から響く穏やかな声音に、瑞透はまたホッと息をついて、誤魔化すようにジーンズの尻ポケットを探った。


 そこにいつも刀守を忍ばせている。


 空気が動き、衣擦れの音が自分の前で聞こえた。

 天白が目の前に立ったのが分かる。


「それにしても、拝殿とはいえ暗いね。灯りつけないの?」


 そう言った直後、ふいに辺りがぼんやりと明るくなった。

 顔をあげた瑞透は、一瞬ゾッとして一歩後ずさりかけた。


 ちろちろと舌を出しているかのように蠢く青白い炎が天白を囲むようにして宙に浮いている。

 闇の中で天白の胸から上を照らし、人ならざるものが持つ異質な空気が拝殿の中に充満した。


 改めて天白が人ではない現実を突きつけられて、一抹の不安で気分がざらつく。


「……こうしてみると、人じゃないって思い知らされるね……」

「望めば、このくらいお前も手に入れられる」

「ははっ、人間だよ僕は。そんな力を持ってもしょうがないよ」


 瑞透は吐き捨てるように呟いた。

 天白はそんな瑞透を冷たい目でちらりと見た。


「本当に、欲しい時は望め」

「……なんだよ、急に」

「望めば与えられる。お前にはその資格がある」

「資格って、そんなの聞いたことないよ」

「血が、その資格だ」

「……血?」



 血とは、血液、遺伝。繋がっている、父か、母か。



 ゾッとして、瑞透は天白を凝視した。


「何のこと言ってる?」

「……さあ。戯れ言だ」


 そう言う天白の薄い唇が、かすかにつり上がった。


 笑っている。


 そのはずなのにとても酷薄な印象を与え、瑞透はその場に凍りついた。いつもの金の瞳が見知らぬものに見えた。


 目の前の、年齢不詳の、人の姿をした者は、いったい何者か?


「……待たせているのだろう? 刀守をここに」

「う、うん……」


 天白は懐から懐紙をとりだして開いた。

 唾を飲み込むようにして、瑞透は小さな刀守をその上に置きかけてためらった。



 刀守は瑞透の身を、異形のものから守る唯一の術だ。


 それを奪われたら、瑞透は裸も同然。

 そんな大切なものを、目の前の得体の知れない相手に渡してよいものか。自分の命を、預けてよいのか。


「どうした?」と促す声に、瑞透はいったん刀守を軽く握りしめた。



 いまさら自分の命に執着してなんになるというのだろう。



 ここで仮に、人ならざる者に命を奪われたところで、二十歳まで生きられない命だ。あと四年と今とで、どれほどの差があるというのか。


 それになにより、この刀守を授けてくれたのは、誰であろう、目の前の天白だ。

 人でないからか変わった性格だが、その天白が、自分に危害をくわえるとはどうしても信じられない。


 瑞透は、懐紙の上に鈍い光を放つ刀守を置いた。


 天白はかすかについてこいと言うように顎でしゃくると、そのまま静々と摺り足で、拝殿の奥に向かった。


 ゆらりと動いた青白い炎は、天白の周りを照らし続ける。

 天白は最奥の内陣と呼ばれる神を祀る領域に足を踏み入れ、その神棚の前までくると、懐紙を恭しげに高く保ったままその場に正座した。


 瑞透も言われてはいないが、一歩離れた手前に正座した。


 正面には金に縁取られた白木の扉があり、その先は古宇里山の神がおわすとされる神域で、禁足の地とされている。


 そこに向かって捧げられているのは、真っ白な杯や器に盛られたさまざまな供物だ。米、根菜、酒、乾燥させた鹿肉や猪肉など、この地域でとれるものばかりだ。


 もし天白が邪な者ならば、神を祀るこの領域にいられようもない。


 瑞透は天白が厳かに刀守を扱うのを後ろからじっと見つめた。


 低く祝詞のようなものを唱えながら、天白は杯を刀守に傾けた。

 杯の中の液体が刃にかかる。その瞬間ふっと薫ったのは甘い麹の香りから酒だと分かる。

 それはそのまま床へこぼれ落ちるかと思うと、そのまま刀身に吸い込まれるようにして消えた。


 毛氈の上には一滴のしみもない。

 その異様さを、瑞透はまるで普通のことのように見つめる自分に失笑したくなった。



 すべては慣れなのだと思う。

 普通の人間ならば異様と思えることも、普段からソレと出会い、天白が人にはない力を使うのを見てきた瑞透は、たいていのことは動じない自信ができてしまっている。


 祝詞がやんで、天白がゆっくり立ち上がった。

 作法にのっとった流れる所作が、天白をまるでこの社の主のように見せている。


「これでしばらくは守り刀として充分な働きをしよう」

「……わかった」


 しばらくがいつまでか少し気になって、瑞透は開いた口を閉じた。

 自分の命が尽きる方が早いだろうと思われた。


 瑞透は懐紙ごと刀守を受け取り、そのまま尻ポケットに突っ込んだ。

 もう用は済んだ。


「もっと丁寧に扱え」


 眉をひそめた天白に、「あ、ごめん、ありがとう」と呟いた。


 いつのまにか天白の周りを照らしていた青白い炎は消え、社殿の中は暗闇に戻っている。


「清めがいのないヤツだ。そんなに急いて、それほどにさきの娘が気になるか」

「……そっ、そうじゃない!」


 図星をつかれて、瑞透は赤くなった。それを隠すように慌てて扉に近づいた。


「瑞透よ」


 天白はその場から身動きもせず瑞透を呼び止めた。


 振り返ざるを得ないほどその声音は低い。


 でも振り返った先には、闇が落ちているだけだ。


「天白?」


 まるでこの世ならざる気配の濃密さに、緊張する。

 思わず瑞透はこくりと喉を鳴らした。


「そのうちお前は願う時が来る。私のような力が欲しいと」

「なんの話」


 密度が濃いのか、空気が重い。息苦しい。

 今すぐ扉を開けて外に飛び出したいほどだ。


「その時は、私を呼べ。導いてやろう」

「……」



「お前は選ばれし者だ」


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