クロウズ・クロス・クライシス
@Kakure_R
第1話 運ぶ者①
外の光の差し込まない薄暗い一室でコッドは電子パネルが浮かび上がらせるホログラフを眺めていた。数点の写真を添えた文字列、大手マスメディアWWN(ワールドワイドニュース)の今日付けの記事だ。地下都市と地上企業との対立は深まる一方、とか各地でテロ活動が活発になってる、とか。ごくありふれたニュースが並ぶ。
もう何百年という昔、地上は生命の存在を許さないほど汚染されていたという。人類は地下シェルターで造られた地下都市での生活を余儀なくされ、肉体的にも精神的にも窮屈な日々を余儀なくされていたらしい。それから幾多の困難を乗り越え、再び地上が開放されたのは15年前。聞こえは良いが、結局幾多の困難とは血と衝突であり、地上への開放とはそんな争いからの逃亡であった。
地上へと先んじて進出したのは、地下都市を運営していた企業達であり、今度は地上での利権を巡って争っている。記事に登場するテロ活動とは、結局そんな企業間の代理戦争でしかなく、彼もまた、そんな戦争に身を投じる傭兵の一人だ。
突如、甲高い警告音と共に画像が切り替わる。非常に不鮮明で、砂嵐とそう変わらない画像。またか、とため息をつく。全く初めてのことではない。こちらの都合に関わらず、好き勝手なタイミングでこうして個人回線をこじ開けてくる人間がいる事が、途端に男を不機嫌にさせた。
「コッド、貴方は我がグローバルライトの権利及び利益を著しく侵害しています。現在事例は数えるだけでも千はくだり、弊社の対策室も動かざる事態だと判断せざるを得ません」
彼にとってよく知った声が事務的な言葉を並べた。熱狂的なファンの一人ならまだ可愛げがある。だが、仮にそうだったとしてもこのようなやり方で接触しようとする者へは返事は変わらない。
「お前達の都合など知らん。俺はお前達とは赤の他人で、どんな契約関係もない」
コッドは、ハッキリと眉間にシワを浮かび上がらせ、視線の片隅にある一つのホログラフへ指を添えた。いつものやりとりの、そのいつもの終わりの合図だった。
「……なら。それならどうして何も言わずに去ってしまったのか、それだけでも答えて」
だが、今回は違った。電子の向こうの女は途端に口調を変え、柔らかい、見知った仲へ対するそれと同じような口調で語りかけてきた。
「多分、3年前の事故がきっかけだったと思う。でも、貴方は何も言わなかった」
「一介のオペレーターに話す事はない」
「でも!」
「上に言っておけ。好きに俺を追いかけ回したら良い、とな」
女の声に狼狽と焦りが混じっていたのは分かった。だが、それ以上続けるつもりも無かった。指差していたホログラフを撫でる。目の前の画面が切り替わり、先程まで見ていた記事が再び浮かび上がった。だが、コッドは既にそれに興味を失くしていた。例の女と、彼女の上司から再び接触を取られないようにする事。それが今や彼の最重要事項だった。
※ ※ ※
地上都市アンブロイド。企業が地上に進出して三番目に形成されたこの都市は、比較的穏やかな都市ではあった。形成当時は地上の企業同士の騒乱が小康状態だった事、何より、お互いの利権が絡むとは言え複数の企業により共同出資によるものであった事が大きい。外周を大きく取り囲む巨大な壁の内で、地下での鬱屈さを心ゆくまで解放させたかのように高く伸びるプラント設備群、即ち工業地区が都市の一角を占め、そこでは食料を含む資源の生産が日夜問わず行われている。安定した供給は、やがてそこに集まる者たちのまた新たな需要を生み出す。ここで起きる騒動とは、例えばプラントで働く者の権利向上であったり衣食住の充実を求めるものが多く、決して都市の根幹を揺るがすような事は起こらない。時折外壁のそのまた外周にて、あまり都市内部で見かけない者たちの行き倒れが見られる程度だ。露骨な歪ささえある穏やかさは、それ故、企業に厄介ごとを依頼される傭兵達にとって安住の地にもなり得るという事であり、彼らに関わる者たちにとってもまた、格好の商売の場でもある。工業地区の正反対側。画一的で無機質な住居の並ぶ一角の鉄の錆びた匂いが漂うアーケード街。その脇道の人気もまばらな通りにあるバー、「R's hiden」のマスターは自分の店に出入りするそんな人々を眺めていた。任務に出る前に景気付けにと一杯注文する者、あるいは任務が終わりねぎらいの一杯を注文する者。
「やっ、マスター。いつもの頼むよ」
その人の往来をかき分けるように、店の入口から鞄を小脇に抱えた青年が一人姿を表したかと思えばカウンター席に腰掛けた。暖色で厚手の上着を着ているとは言え、その場に居合わせる傭兵に比べると一回りほど細身で、いささか華奢に見える。切れ目気味ではあるが穏やかな表情を浮かべており、外の荒れ具合からすれば少しばかり逸脱しているような風貌だ。しかし、他の傭兵達は誰も彼を気にも留めない。時たま気配を感じた者が視線を移すが、すぐに直前の会話に意識を戻していた。そして、青年はと言うと手にしていた鞄を二、三小突くと足元に置いて小さな欠伸をする。
この青年、名をナガツキと言い、この店の常連の一人だ。彼もまた、この世界に生きる傭兵の一人である。マスターは彼を一瞥し、頷いてみせるとカウンター脇の保冷庫から手慣れた様子でミルク入りのピッチャーを取り出し、グラスに並々と注ぐ。それから、ガラス製の小瓶と小さなスプーンをカウンター下の棚から手に取ると、ミルクを注ぎ終えたグラスとその小瓶をナガツキの前に差し出した。ナガツキはと言うと、慣れた手つきグラスを受け取り、ミルクを一口飲むや小瓶の中身、白砂糖をスプーンで大盛り3回すくいミルクに入れる。そして、そのままゆらゆらとスプーンでかき混ぜ、続けてもう一口飲む。
「ナガツキ、私がここで店を構えてもう長い。しかし、君みたいにミルクに砂糖を、しかもそんなにたっぷりと入れて飲む人間なんて君しか知らない」
「そりゃもったいないね。シュガーミルクなんていう、こんなに贅沢で美味い飲み物もそう無いのに」
ナガツキはグラスの底で固まっていた砂糖をさらにかき混ぜると、残りの分を一気に飲み干してしまった。それから上着のポケットをまさぐり、馴染みのオーダー「シュガーミルク」の代金をマスターに渡す。その代金は、このバーで出される「酔える酒」一瓶を遥かに超える。生産プラントによる供給が安定しているとは言え、純粋な栄養源となりうるものと、粗悪なものとではそもそもの値段は雲泥の差である。それでも、こうして裏通りにあるバーでナガツキは大金をはたいてシュガーミルクにありつく。
「で、マスター。お仕事の依頼があるって聞いたんだけど」
シュガーミルクの余韻を堪能する間もなく、ナガツキはそう言った。
マスターは表情を変えず、シュガーミルクを出した時と同じ様子でテーブル上に一つのメモリーを差し出す。一方のナガツキは鞄から端末を取り出すと、そのメモリーを受け取り慣れた手つきで端末側面のスロットに差し込んだ。程なくして端末のディスプレイ上に文書と画像のファイルが数点表示される。そこには、此処からさほど遠くない場所にある建物までの経路が記された地図も併記されていた。
「依頼主はバイオ絡みの小さな商社。つまるところオーナメント傘下の一企業だ。内容は商売敵の企業が出資する研究施設の情報を収集し、可能なら決定的な打撃を与えて欲しい、との事」
「いつもの通り襲撃行為ってところだね。分かりやすくて助かるよ。で、この研究施設は何やってるところなの?」
「金持ちの道楽」
「そっちも分かりやすくて結構。じゃ、早速その依頼受けるからよろしくー」
マスターは頭を振って、カウンター脇の小さな端末を叩く。それを横目にナガツキは端末を鞄にしまい、席を立つ。
依頼の確認は簡潔に、そして決断は迅速に行う。これがナガツキの仕事の受け方だ。まるで、これから次の店に行くかのような彼の後ろ姿を見て、マスターはこれから襲撃されるであろう研究施設の事を思い肩をすくめた。だが、すぐに次の客がカウンターに腰掛けたので、すぐにその悩みもぼやけて消えていった。
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