神絵師
神無月と稲穂の波
神絵師
彼女は神絵師だった。
神絵師とはSNSで同人絵を投稿する絵師の中でも特に優れた作品を投稿する人のことを言った。
何十億人という人が彼女が投稿した絵を見て、何十億人という人が彼女を応援した。
私もその1人だった。
彼女の絵からはキャラクターに対する熱意が画面いっぱいから押し寄せてくるように感じた。輪郭から何までとても細かくできていて飴細工のような脆さを感じるものもあった。彼女の絵で特徴的なのは彼女の使う青色だった。透き通るような青色は誰にも真似することはできない不思議な色だった。この青色を見ているだけで時間が過ぎていく。ある時は海の色に、ある時は少女の瞳に使われるその青はびいどろを太陽に透かしたようにも見える少し薄い青色だ。
私は毎日の彼女の何気ない「呟き」を全て自分のことのように受け止めて、彼女が面白いと感じるものを面白いと感じ、彼女がおかしいと思うことを自分もおかしいと感じ、声を上げることもあった。
今思えばここまでの熱意、これはきっと絵に対してではなく彼女自身に対しての気持ちだったのだろう。
私はこの時から既に彼女に恋をしていたのだろう。
記憶している限りでは20XX年に某有名画像投稿サイトから新しいサービスが展開された。
その名も「Clematis」。
人工知能が絵師たちの絵を解析して自身の姿を絵師の好みの形に変化させる、というものだ。
AIが絵から学習するという今までにないスタイルはさまざまな業界から注目された。
そんな未来のシステムをいち早く使いこなしたのも彼女だった。
AIは彼女の作品から愛とは何かを学んだ。
AIは彼女の作品からどうしたら可愛くなれるかを学んだ。
AIは彼女の作品から美しさはどこから現れるのかを学んだ。
それは生まれたばかりの赤子のような吸収力だった。
彼女の絵からAIはありとあらゆることを学んだ。
彼女はClematisの容姿をまったく思い通りに変化させ、彼女自身も神絵師からまた違う人間へと変化していった。
彼女のClematisはまるでバーチャルアイドルのように振る舞い、人々を虜にさせた。彼女自身の2次創作物からオリジナルのキャラクターを作らせることに成功したのだ。Clematisの名前はリアン。渋い名前だ。リアンはそのうちテレビジョンに出演したり、動画投稿サイトから生配信をするようになりすっかり独立してしまった。独立したリアンというキャラクターの周りにはスポンサーがつくようになり著作権の管理をするようになった。リアンが大活躍の反面、神絵師である彼女の人気はまちまちだった。
不思議なことだと思う。
名作映画の制作秘話は監督に聞く。
名曲が生まれた背景は作曲家に聞く。
名著に書かれた細かなニュアンスは著者に尋ねる。
それぞれ名の高い作品はそれを作った作者も讃えられるものだ。
それなのに何故、人工知能を育てた神絵師はぞんざいに扱われるのか。
私はおかしいと思った。
彼女は何も呟かない。
私は携帯を握りしめ、彼女の元へ行く決意を固めた。
20XX年9月20日
渋谷の雑居ビル内で彼女のサイン会があった。
リアンに人気を奪われたと言っても、リアンの名が広まるにつれて彼女も有名になり、画集を出すようになったりそこそこの活動は出来るようになっていた。第1にまだまだ根強いファンが残っている。食べていけなくなることはない。
サイン待ちの列の中で私は爪を噛んだ。とても、もどかしかった。彼女が十分な評価を受けていないこと、それに対して何も言わないこと。
その全てに納得がいかない。
私が最前列に来たとき、彼女は笑った。ほかのファンも等しく向けられる笑顔だろう。
しかし、どうして笑っているのだろうと思った。
私も引きつった笑顔を返した。
彼女の表情は変わらなかったが、今思い返してみれば警戒されても当然な顔だったに違いないと思う。
彼女が筆を走らせる。
滑らかな筆さばきを見た私の口から言葉が零れた。
「あなたは...もっと評価されるべきです。みんなリアンだけを見て、あなたを見ようともしない。あなたの絵でリアンは生まれたのに。」
もっと話すつもりだった。
彼女に対する愛慕の情をここぞとばかりに全て吐き、彼女がまだまだたくさんの人に期待されていること、彼女が正当に評価される大切さを伝えたかった。
けれど出た言葉はこれだけ。
彼女はサインを書き終わるなり「よし!」と声を出した。
「私はそんなにすごくないですよ。たしかに私はリアンの親で、リアンを育てたけど、リアンは自分の力で学んで、自分の力であそこまで上りつめた。そこで親が出しゃばるのも違うでしょう?私はリアンがみんなに愛されいるだけで幸せですよ。」
私は否定できなかった。おかしいと思っているが、否定する力はなかった。
サイン会から数ヶ月経ったある日に、彼女は突然姿を消した。
姿を消したと言ってもSNS等がまったく更新されなくなっただけで、どこかで生きていたのだと思う。
彼女の失踪から暫くするとリアンの人気は落ちてもうどこにも姿は見られなくなった。
世の中ではまた不思議なものが流行っている。自らの手で作品を作るのではなく自分でAIを育てて作品を作らせることが多くなったと思う。
私はその世界についていけない。
でも、AIを愛するのも悪くはないとも思った。
少なくとも私は古い人間だ。
もう常世に用はない。
そういえば、例の画像投稿サイトで期待の新人を発掘した。今はほとんど誰も見ないサイトの期待の新人は何か懐かしさを感じる画風で透き通る青色が特徴的だ。
彼女は今も元気そうだ。
神絵師 神無月と稲穂の波 @kmgkmg
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