第3話 名刑事今川康次郎

依子。


今年の桜ももうすぐ葉桜だな。

葉桜を見るといつも思い出すぜ…お前との見合い後の最初のデート、上野恩賜公園の桜を。


やっぱり俺にとっての桜の歌といえば…

滝廉太郎の「花」だな。


櫂のしずくも花と散る

流れを何にたとうべき


って名詞だよなあ。


と今川康次郎はお江戸エリア本所から東京エリア根津へ移動する途中で行商人から絹ごし豆腐を一丁買って長い脚で大股歩きして家路を急いだ。


ぽ〜っぽ〜。とラーメンの屋台からチャルメラが鳴り、こぢんまりとした民家が並ぶ路地の裏でけんけんぱしている子供や買い物籠を片手に夕食を買い出しする主婦やえーらっしゃいらっしゃい!

と客を呼び込みする八百屋の群像が夕陽に照らされて赤く溶けていく光景を見ながら、


昭和42年というのは全く幸せな頃だった…


依子。


何事もなく幸福。と

何も考えず呆けている。


という事はまったく同じ意味だった。という事に気付いた時から人の不幸が始まるのかもしれない。


と思うようになったのは45才になる前からだったか。

「ただいま」

と康次郎が庭付きの平屋である自宅の玄関の引き戸をからりと開けると炊きたてのご飯と味噌汁の匂いが入り混じって鼻腔をくすぐった。


「おかえりなさい、あなた」

と卓袱台の上に夕食を並べていた年齢40才設定の妻、依子が春の陽光のような微笑を夫に向けた。


今日の夕食は金目鯛の煮付けと筍の味噌汁。蕗と筍の和え物である。


「もう筍の季節だったんだなあ」と行って康次郎が妻に豆腐を渡すと依子はまた台所に入り5分後には冷奴を入れた小鉢を2つ、お盆に乗せて戻ってきた。


「あなた今日は新しいお仕事の先輩と顔合わせなさったんでしょう?」


「うん」


「どんなお方でしたの?」


康次郎は先刻会ったばかりの勘解由との遣り取りを額に皺を寄せながら思い出し、


「江戸の侍だったよ…なんつーか、色んな意味で面倒なことになった」


まあお侍!?とテレビの時代劇が好きな依子は


「何だか楽しい事になりそうですね」


と弾んだ口調でご飯をよそってくれた。


和服に割烹着の妻、卓袱台で夫婦で囲む夕食。それに…


当時の家電メーカーのどんな思惑か知らんが、炊飯器も魔法瓶も全てお花柄の調理家電。


何事もなくて平和でモノがあるのが豊かさ。と思われていた頃の、昭和40年代の康次郎が人生で一番幸せだった頃に妻と二人で浸っていた。


ん?


途中で幸せの定義に疑問を呈していたではないか。だと?


もう俺ぁ人生のお勤めを終えたんだから…


幸せに浸って何が悪い!?


と現役の頃は取調室の説法師、落としの康次郎。とか仏の康次郎と呼ばれた説得の達人、今川康次郎は読者を前に開き直った。



閻魔庁管轄、冥界警察強行犯係は所属する刑事のプロファイリングを徹底的に行い、相性適格と判断された二人の刑事を、

生きていた時代も価値感も関係なく組み合わせる、


朋輩という名のバディを歴史という名の膨大記録媒体から選ぶ人事システムを閻魔庁長官である閻魔大王が採用した。


いわゆるマッチングアプリと呼ばれるやつである。


こうしてちょんまげ刑事、小田島勘解由とアロハシャツ刑事、今川康次郎の初見の一日が終わった…



























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