ある夏の日

 学園でも屋敷でも一緒に過ごしているからか、ゆっくりとだがジュリウスに対しての印象が変わった。

 嫌味で無表情で冷たい奴、から、捻くれ者だが根はそれほど冷たくなく決して無表情ではない、へと。

 少なくても、一緒にいて不快な気持ちにはならなくなった。


 クロニカは屋敷の奥にある、自分の畑にいた。日当たりが良く、土の状態も良いそこは屋敷内の数少ないお気に入りの場所でもある。

 ツナギを着衣し、腰まである髪を一括りにして麦わら帽子を被っているその姿は、令嬢ではなかったが、とても楽しげだった。

 歌を口ずさみながら手を動かしていると、すっかり聞き慣れた声がした。


「へぇ。けっこう咲いているな」


 首を後ろに回すと、ジュリウスが花畑を見やりながら、クロニカのほうに歩いていた。

 もう驚くことはなかった。ジュリウスが屋敷に来ることが当たり前になってきて、何も知らされず来ても、またか、と済むようになった。


 今日、初めてジュリウスがこの畑に来たことに対しても、いずれは来ると妙な確信があったから、大した衝撃はない。


「丹精込めて育てているんだから、当然だ」

「学園で育てている花とは、なんか違う気がするな。樹も育てているのか」

「分からないか?」

「花や植物には明るくない」

「だろうな」


 ジュリウスは興味がないことには、とことん興味ない。興味ないことは手も付けようともしない。花に興味があるとは思えなかったので、そんな想像はしていた。


「学園のやつは花しか咲かないけど、ここにあるやつは野菜とか果物とか、食べられるものが多い」

「食い意地が張っているな」

「張ってねぇ!」

「で、どうしてここには食べ物しか植えていないんだ?」

「多いっていうだけで、花だけの植物もあるぞ……まあいい。新鮮なもののほうが美味しいからだ」

「やっぱり食い意地」

「ちげぇよ! 母上に美味しく食べてもらうためだよ!」

「ああ、なるほど」


 そこでやっと納得してもらえて、クロニカは溜め息をつく。


「もしかして、植物を育てるようになったのは、夫人のためか?」

「うん。母上は昔から身体が弱かったから、少しでも元気になってもらいたくて、トマトを育てたのが初めてだったかな」


 トマトは初心者でも育てやすく、身体にも良い。庭師のじいやに育て方を教えてもらい、食べ頃になったトマトを母に届けたのが切っ掛けだった。美味しい、と食べてくれた母をもっと見たくて、他の野菜も育てていたらいつの間にか趣味になっていた。

 最近、母の体調が芳しくない。だから尚の事、野菜と果物作りに精を出していた。


「お前らしい理由だな」

「そうか? あ、そこに桃の木があるから気をつけろよ」

「桃って鉢に入っているやつか?」


 ジュリウスの足下に、六号の鉢がある。小さいが、苗木が生えていた。


「そうそう。秋の中頃に土に植え替える予定だから」

「桃って一本だけでも育つのか?」

「品種にもよるな。それは一本でも受粉できる品種。種から育てたんだ」

「どうして桃なんだ?」

「桃って魔を祓う力があるんだってさ。迷信だけど、これで母上が元気になったらいいなって。どうせなら、パイとか作って食べさせてあげたいなぁ」


 クロニカはふと、気付く。彼は物知りで彼から教えてもらう事が常だが、今は自分が彼に教えている事を。

 何だか新鮮だった。


「お前、お菓子作りするのか?」

「おう。母上、けっこう甘いもの好きだから」

「意外なところで女子だな、お前」

「どういう意味だ、ゴラァ!」

「そういう意味。それで、今は何をやっているんだ?」


 クロニカが手を動かしているのは花壇ではなく、低木だ。


「ぐゆみの収穫」

「ぐゆみ? 聞いたことないな」

「多分方言じゃね? ぐゆみの事、庭師のじいやが教えてくれたんだけど、じいやが田舎育ちだから」


 ぐゆみ、とはサクランボに似た赤い実のことで、初夏に食べ頃を迎える。低木で大人の背よりも少し高い。


「それにぐゆみって、あまり市場に出回らないんだ。完熟したのは柔らかくて箱に入れると潰れてしまうし、だからといって完熟していないと渋くて美味しくないから、庭先で育てて食べるのが普通なんだ。だから知らなくても仕方ない」

「へぇ」

「生で食べるのが一番なんだけど、ジャムとかソースにしてもいいんだ。身体にも良い。実がなるようになってから毎年食べているけど、甘酸っぱくてうまいぞ」


 籠に積んだぐゆみをジュリウスの前に出す。


「せっかくだから食ってみるか? 皮が薄いから皮ごと食べられるぞ」

「夫人に持っていくんじゃないのか?」

「味見くらいいいって。ほら、こうして食べるんだ」


 ぐゆみの枝を一つ摘んで、果実を丸ごと口の中に含む。そして種だけを残して、取り出す。

 ジュリウスも渋々と同じように食した。意外そうな顔をして、一言呟く。


「あ、おいしい」

「だろ!」


 どうかみたか、という意味も込めて笑いかける。

 するとジュリウスが目を丸くして、クロニカを凝視した。

 その目に既視感を覚える。そう、まるで女だと知られたあの日のようだ。


「なんだ? なんか付いているか?」

「あ、いや」


 歯切れが悪そうに口ごもり、そっぽ向いた。クロニカは怪訝そうにジュリウスを見たが、すぐに興味を無くしてぐゆみの実をまた一つ食べた。

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