7.3話 リボンとリンゴの木(1)

 デスクの引き出しをひらくと、白いレース地のリボンが目に入った。イルケトリは捜し物をしていた手を思わず止めて、リボンを見つめる。

 一階の作業場で皆と一緒にドレスを縫っていて、ふと昔のアイデア帳を見たくなった。ふだん、ドレスのデザインや布の組み合わせや色合わせなど、思いついたことを雑多にメモしてあるノートだ。ただ、何冊か前のものなので持ち歩いておらず、部屋まで捜しに来た。

 そうして、捜している途中、白いリボンが目に入ったのだ。先日、エミリーにも話した、リジエッタのリボンだ。いつも、目に入ると過去の情景がふわりと立ち上る。


 イルケトリがリジエッタと初めて会った六歳のころ、イルケトリはリジエッタを受け入れる気はまったくなかった。リリーと呼んでほしいと言われても、絶対に呼ぶものかと決意していた。

 リジエッタが来る前から、イルケトリは時間があくとよく中庭に行って、リンゴの木を見ていた。木は父と母が結婚したとき記念に植えられたものだそうで、母のことは嫌いだったが、この木は好きだった。外国人で、父の金に手を出して追放された卑しい母のせいで、イルケトリは今息苦しい思いをしているのだ。けれど父のことは好きで、畏敬の念を抱いていたから、この木がある限りまだここにいてもいいのだと思えた。

 父はリジエッタと仲良くしなさいと言ってきたが、それだけは聞けなかった。リジエッタを受け入れたら、イルケトリは本当にいらない子になってしまうからだ。

 けれどそんなことはお構いなしに、リジエッタはよくリンゴの木のもとへやって来た。

「あら、イルケトリ。こんにちは」

 結いきれていない金の巻き毛を風に遊ばせて微笑むリジエッタに、イルケトリは思いきり不機嫌な顔を向けた。

「おとももつけずに、ひとりでリンゴがりですか。おじょうさん」

 仮にも上流に近い階級の婦人が侍女もつけずにうろついているなど、おかしい。ちなみにリンゴはなっているがまだ夏なので、青い。精いっぱいの皮肉である。

 けれどもリジエッタははしゃいだように笑う。

「ええ。わたしもリンゴが大好きなの。イルケトリもよくここへ来ているでしょう? このリンゴは秋になるそうだけど、夏にもなってくれたら今すぐ食べられて幸せだと思わない?」

 イルケトリはげんなりした。皮肉が通じないうえに、どちらが子どもか分からない。

 まったくこたえないリジエッタに苛立って、イルケトリは三人での夕食のとき、リジエッタが供もつけずにリンゴの木のところでうろうろしていると父に告げた。

 父は目にかかりそうな黒い前髪を払いながら、冷たくはないけれど優しくもない繊細な瞳をイルケトリに向ける。

「リリーが来たのだからあの木はもう必要ないのかもしれないな。切ってしまおうか」

 イルケトリは衝撃に胸がえぐられたようになった。父にとって、あの木はその程度のものでしかなかったのだ。大切ではなかったのだ。

 やはりイルケトリは、いらない子だったのだ。

「いいえ。わたし、リンゴが大好きなの。そのまま食べるのも、アップルパイでも。だから切ってほしくないですわ」

 はっきりとした声で、リジエッタは父に向けて微笑んだ。父はリジエッタへ視線を移して、かすかに口元を緩める。

「そうか。ではやめよう。わたしもリンゴは好きだ」

 父がリジエッタに見せた表情は、イルケトリにはほとんど向けられたことがないものだった。

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