風紙高校二年五組の日常

吉宮享

File.1 疲労困憊

「つかれたー」


 午前八時二十分。登校して自分の席に着いたオレ――平子人成ひらこ ひとなりが耳にしたのは、まるで地の底から這い出したかのごとく低く、倦怠感あふれる声だった。

 声の主は、隣の席の住人で、オレの友人でもある魅月玲みつき れい。彼は巨大な重りに上から押し潰されたかのように、気怠げな様子で机に突っ伏していた。


「朝からどうした? 寝不足か? 月曜からそんな調子じゃあ今週切り抜けられねぇぞ」


「……寝不足? まあ、間違ってはいないかな」


 玲は、机に押し付けた顔をこちらへ向ける。目の下にはクマができていて、やつれた顔からはこれでもかというくらいの疲労が伝わってきた。


「土日にどんなハードスケジュールこなしてきたんだよ……」


 オレが問うと玲は、一度大きなため息をついてから、語り始めた。


「……昨日と一昨日の土日に、小学生のキャンプのイベントがあったんだよ。そのイベントを主催したグループの一人が俺の父さんで、俺にキャンプの手伝い頼んできたんだ。一応、小遣いくれるっていうから快く引き受けた」


「へー」


 そりゃ疲れるわな。


「俺は基本的に、子供が危ないことをしないように見守ったり、テント張りや火起こしの手助けをしたり。そういうことを、他の職員の人たちと一緒にやってた。けどまあ、そこまで忙しいわけじゃなかったから、普通にキャンプ楽しんできたよ」


「その割に憂鬱そうだな」


 語る玲の暗い表情は、楽しい思い出を話しているようには見えなかった。


「いや、キャンプは楽しかったよ。ただ、一つだけ問題が起こったんだ」


「何があったんだ?」


「俺は職員用のテントの一つに泊まってて、夜はそこで寝てたんだけど、深夜にテントの外から声がしてふと目が覚めたんだ。耳を澄ましてみたけど、何を言ってるのかはまったく分からなかった。時計見たら確か二時くらいだったよ。職員も全員寝てるはずだし、声が聞こえてくるには時間的におかしい。とりあえず、もし子供が外に出てるんだとしたら、テントに帰らせなきゃ。そう思って俺は、同じテントに泊まってる人を起こさないようにして外へ出たんだ。外には確かに人がいた。……子供じゃなかったけど」


「誰だったんだ?」


「大人の女性だよ。月明かりを頼りに目を凝らしてみたけど、知らない顔だった。もちろん、キャンプに参加してた職員には女性も何人かいた。俺も職員全員の顔を覚えていたわけじゃなかったから、その人は職員の誰かなのかなーと思って、声をかけてみたんだ。『あのー、キャンプの職員の方ですか?』ってね。そしたらその人、何も答えずに不気味な笑みを浮かべて消えちまったんだ」


「……は?」


 謎の急展開に、呆気にとられた。


「消えたってどういうことだ?」


「そのままの意味だよ。消えたんだ。煙のように、霧のように、正月のお年玉のようにフッとな」


「いや、最後のいらねぇよ。お前のお年玉における金遣いの荒さなんか知るか」


 ちなみにオレはお年玉貯金型だから、玲がうらやましい。――ってそんなことより、この展開すごく嫌な予感がするんだが――


「――じゃあ、もしかしてその人って……」


「ああ」


 玲は少し間を置いて、


「幽霊だったんだ。その女性」


 …………。

 瞬きを繰り返す。開いた口が塞がらない。何とも現実感のない話だった。

 何秒そうしていただろうか、オレは確認のため、なんとか声を絞り出す。


「……マジで?」


「マジで」


 玲はいともあっさり答えた。


「正確には悪霊だろうね。で、それ以来体が重いんだ。夜もなかなか寝付けないし、学校来るにも一苦労。……まったく、迷惑極まりないよ」


 再びため息をつく玲。オレは、改めて玲の体勢を見直す。先刻と同じく、やはり、上から何かに押し潰されているように見える。

 ――あるいは、誰かにのしかかられているようにも見て取れる。

 ……………………。

 …………………………………………。






「疲れたっていうか憑かれてるよ!!」






「ん? 俺最初に言ったじゃん、『憑かれたー』って」


「そっちかい! ってか妙に冷静だなおい!」


「まあ、初めてじゃないし」


「日常茶飯事!?」


「いやさすがにそんなに頻繁じゃないよ。幽霊に憑かれたのは……高校になってからは三回目かな。その内悪霊は今回だけだ。小学校の時は結構多かったけど」


「霊感でも持ってんのか!?」


「まあね。人に言うなよ。『ごくひ』事項だから」


「持ってんかい!」


「ちなみに、『極悪非道』略して『ごくひ』だから。もし喋ったら、俺は悪逆の限りを尽くしてお前に仕返しする」


「怖ぇよ! ――いや、それはいいけどさ……」


「え? 仕返しいいのか?」


「そっちじゃねぇ! 秘密にすることについての『いい』だ!」


 そこで一度インターバルを置く。今度はオレがため息をつく番だった。


「神社でお祓いとかしてこなくていいのか?」


「昨日は家に帰ってきたのが夜でさ。お祓いに行く時間がなかったんだ」


「その状態で今日よく学校来たな」


「皆勤賞狙ってるんだ。休めるわけないだろ」


「すごい意地だ!」


「それに、悪霊に憑かれても最初のうちはちょっとダルくなるくらいだし。お祓いは放課後に行けば問題ないよ」


「そ、そうなのか」


「あまり放置しとくと病気の原因とかにもなるけどね」


「早くお祓いしてこい!」


 その後結局玲は、普通に授業に出て、放課後にお祓いを受けてきた。

 そして翌日、憑きものを落として、平然とした顔で登校したのだった。




 ――***――


 出席番号29 平子ひらこ 人成ひとなり……普通の生徒。軽快なツッコミが武器。

 出席番号36 魅月みつき れい ……大人しめの生徒。霊感がある。


 ――***――

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