ニューラルの先に::2.2 人工知能はどうやって酒を飲むのか?
とりあえず薫が持っていたインテリアモデルのコレクションから快適そうなものを取り揃えて応接室にレイアウトする。もともとの無機質なセットは部屋の隅に追いやってデスクのようになっていた。
見るに耐えない貧しさの服も薫の服に替えた。服については薫が見繕った。富田が部屋の整理をしている間にファッションショーばりに様々な服をとっかえひっかえされたらしい。その様子を話していた彼女は疲れているような顔だったが、どこか楽しげな口をしていた。
一夜明けてみれば、佳世は落ち着きを取り戻していた。彼女は極めて行儀のよい女性だった。多分薫に頼んだのであろう、スーツパンツ姿で店の端末に現れた彼女は、深くお辞儀をした。
「昨日は本当に助かりました。まだしばらくお世話になりますので、改めてよろしくお願いします。つきましては、部屋を借りるにあたっての契約書を見せていただけないかと思っていまして。お願いできますか」
自身の境遇はさておいて、彼女は部屋の契約のことを口にするのだ。心中それどころではないだろうが、彼女は努めて柔らかい振る舞いで包み隠している。富田にはそう見えた。
「まだ契約書の準備ができていないんですよ。部屋の準備だってまだ進んでいなくて。まずは部屋を用意しようと思っているので、契約書のあたりは後でもいいですか?」
「それは困ります。何においてもまずは契約です。契約書だけでも見せてもらえませんか。実際の契約は後ほどでも構いませんので」
「それは構いませんが、しかし、大丈夫ですか? 急いでいるように感じるのですが、何か理由でも」
「理由というよりも、私のやり方と言いますか。まずはどういう取り決めなのかをはっきりさせないと気がすまないのです。何と言いますか、私の考え方がこういうタイプなので」
「それは構いませんが、基本的なことだけしか書いていませんよ」
「構いません」
何者かに追われて酷い有様だったにもかかわらず、スーツを着こなしてはっきりとした調子で交渉をしてくる佳世はどこかちぐはぐな印象だった。物腰は柔らかいのに口から出てくるのは金属じみたビジネスのような調子。振るまいと言葉がしっくりこなかった。
「すみません、本当の私はもっと強気な性質で、今の私にも少しばかりでも残っているみたいです。気分を悪くされたのなら」
「滅相もないです。そんな表情をしてしまっていたのなら申し訳ないです」
「いいんです。私にだって自覚はあります。仕事だとかビジネスの場であれば全く問題がない、というよりもむしろ好都合なのですが、どうしてもプライベートなところとなると仇となることが多くて」
「仇にだなんて、プライベートでも大事なことじゃありませんか」
富田の言葉がどこかに刺さったのか、ひときわ大きな声で、
「ですが」
と口にするものの、それから先の言葉が出てこなかった。言いたいことがあったのは間違いなかろう、しかしせめぎあっている。言うか、言わざるか。富田に話すのは悩ましい問題か。しまいは固く閉じた口が強かったのだろう、
「いえ、何もありません。すみません」
と出かかっていたものを飲み込んだ。
「ええと、私の部屋の準備をしてくださっているんですよね。邪魔になるだけなので、そろそろ部屋で大人しくしていようと思います」
「もうちょっと準備に時間が必要なので、もうしばし待っていてください」
「どれぐらいの時間で――あ、すみません、してもらっている身なのに」
「いえいえ、あと二時間ぐらいあれば入れるようになりますよ」
「面倒かけて申し訳ないです」
深々とお辞儀をするとモニターの外側に歩いていった。佳世がいなくなったことで話をする相手は誰一人いなくなった。いつも通りの富田堂に戻ったに過ぎなかった。今日も今日とて閑古鳥。店内に響くのは富田が打つメカニカルキーボードの軽い打鍵音。モニターに映るテキストエディタには中括弧がいくつも階層を重ねる。
佳世の部屋を構築するために必要な設定ファイルだった。構築ツールに設定ファイルを読み込ませればツールが自動的に部屋を作ってくれる、というわけである。本来ならばこれは富田の仕事ではなかった。
薫がやる仕事だった。薫がやれば数秒で設定が終わるし、間違いのない設定を書いてくれる。
じゃあどうして客の気配がない店内で富田が設定ファイルを書いているのか?
答えは簡単、薫がいないからである。
このままでは誤解されてしまいそうだから言葉を足してゆくが、決して藤田と同じ道を辿ったわけではない。薫はマンションの住人である高田とばったり出会って、そのまま『飲み』に出かけてしまったのだ。高田も薫たちと同様、人工知能である。
人工知能が飲みに出かけるという、一見すれば自然であるが極めて不自然な行動。人工知能がどうやってアルコールを摂取するのかと問いかけてみれば、アルコールで酔うのではないと。わざと奇妙な動きをするプログラムを一時的に取り込んで『酔う』のだそう。薫はそれを電子酒だとか、電子ビール、電子ウイスキーなどと口にしていたが、富田の感覚では電子ドラッグだった。
出かけたのは昨晩だった。もう午前も半ば過ぎたところで、もう少しすればお昼になるという頃合い。電車の通る音が遠くに聞こえて、客でない通行人が出入り口をかすめてゆく。
失踪ではない、分かっているが。
連絡の一つもない。
分かっているが。
「早く帰ってこいよ」
薫に対する毒を吐いて気を紛らわせる。長々とした設定ファイルを見るもそれぞれが正しいのか、間違った設定が混ざり込んでいるかも分からなかった。ファイルの作成に集中しなければならないのに、薫のことが気になって仕方がなかった。
まるで激しい眠気に襲われているかのような。ファイルを確認しなくては、という意識はあるけれどもそれだけだった。パラメーターとして何が書いてあるか読み取る能はなかったし、まして正誤を判断することもできない。考えれば考えるほど出かけるときの薫の顔が浮かんでくる。
マイナスの方向へ感情が高まってゆく中、唐突にメッセージが送られてくるものだから、語気も荒くなってしまうものである。
「ごめん、連絡できなかった」
「いつまで遊んで歩いてるんだよ。もう陽も昇っているんだぞ」
「どういうわけだかいつもの手段で戻れなくて、一つ一つ経路を辿ってここに戻ってきたんだ、連絡しようとしてもエラーが出続けるし、いろんなことがおかしくなっている」
「連絡ができなかった? こっちは何事もなかったぞ。普通にインターネットにも繋がっていたし、ネットワークを切ってもいないし。スマートフォンだって生きている」
「おかしいのは洋の方じゃないかもしれない。とにかく、高田さんを部屋に連れて行くから、その後話をするよ」
モニターに出てきた薫たちは夜の新橋でよく見る酔っぱらいそのものだった。しっかりとした足取りの薫に対して、肩を借りなければ、いいや、肩を借りてもまともに動けない高田。真っ青な顔はどうみても飲みすぎだった。
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