ニューラルの先に::1.5 リフォームすべきか否か

 藤田さんの部屋をバックアップしようとする試みは失敗に終わった。それどころか、薫が隠し持っていたサーバーを一台壊してしまった。富田が間違ってサーバーそのものに対してバックアップを戻した、というわけではない。富田は確実にサーバーの中にあるサーバーに対して復旧コマンドを実行した。



 にもかかわらず、本体が壊れた。本来なら仮想マシンに閉じた事象、本体に影響を与えないはずだった。薫もそう考えていたからこそ富田に供したのである。その結果が、サーバーを作り直している薫の姿だった。



「ソフトウェアがまるで機能していない。まるで道路で轢き潰されたたぬきみたい。どのプログラムもグズグズに壊れていて、見るも無残」



「たぬきが何台ものトラックにひかれてぺちゃんこぐちゃぐちゃになっているのを小さい頃に見たが、未だトラウマ。そんなにひどいの?」



「私に肌があったら鳥肌まちがいなし」



「そんなにひどいのか。ゴメンな、予想できなかったとはいえ、環境を壊してしまった」



「大丈夫、アレはお試し用の環境だから」



 とは言いつつもモニタの中にいくつもの小さな画面を上げている様子は見るからに大変そうだった。



 藤田の部屋をバックアップできなかったため、計画の最初から頓挫してしまった。バックアップを取った上で部屋を取り潰すつもりだったのに、それができないとなればどうすればよいというのだ。取り返しがきかないことを気にしないで部屋を消去してしまうか? 消した直後にひょっこり藤田が帰ってきたらどうする? 損害賠償まっしぐらである。ならそのままにし続けるのか? 誰が維持費を賄う? そもそもそのままにしていて安全なのか?



 藤田の失踪。



 たまたま読んだ記事。



 薫が持ち帰ってきたAIたちの噂。



 粛々と対応すればよいだけではあるものの、人のものを勝手に処分してしまうのは気が引けてしまう。いや、契約を守らないし反応もないのが悪いのだから後ろめたく思わなくても。だが藤田さんには会ったこともあるし、話しをしたこともある。穏やかな人物、約束を反故にするようには思えない。まだ壊してはならない、と思っている自分がいる。



 異音が管理室に響いて思考が遮られる。仮想空間に似合わないドアを叩く音。管理人に用事があるなら直接メッセージを送ればよいのにあえてそれをしないで人間らしい振る舞いをしてくる。



 扉の前には浅黒い肌の巨人が立っていた。富田は彼以外に、電脳空間らしからぬ振る舞いを好む人物を知らなかった。



「やあ洋くん、今日はこちらにいたんですね。お店の端末に顔を出してみたのですが姿がなかったので」



「どうせ誰も来ないから店を空けていました。何かありましたか」



「いつもの家賃ですよ。この通り」



 スーツの中に手を伸ばして取り出してくるのは仮想通貨のマークをかたどったオブジェクトだった。手のひら大のそれが彼の、ハイタカの一年分の家賃である。本来は毎月徴収のところを年額一括で支払っている。仕事柄家に帰れないから、というのが理由だった。



 「ああ、そんな時期でしたね。ですがわざわざパッケージしてもらわなくても、電子決済すればいいのですよ?」



「電子決済でもいいのですが、何と言いましょうか、やっぱりこうやって現金支払いみたいに払っている方が趣があるじゃありませんか」



 彼は人工知能であるにもかかわらず非常にまどろっこしいことを好む性質の存在だった。いわゆるチャットアプリを使えばよいものをわざわざ電子メールで連絡してきたり、昔ながらの電話をして連絡をしてきたり、何かあればチャットで済ますのではなく対面で。彼が人工知能と紹介されてもにわかには信じられない。



 富田はハイタカから仮想通貨を受け取った。



「ここに戻ってくるのは久方ぶりではありませんか。半年ぐらい見ていないと思いますが」



「ええ、ちょっと難しい仕事をしていましてね、こちらに帰るにも帰れないのですよ」



「ハイタカさんの仕事はいくら聞いても教えてくれないので、この際考えないですが、難しいんですか、そんなに?」



「ええ、見えない糸をつかむような仕事です。いろんなしがらみがあるので詳しくは話せないですが」



 家に帰れないほどに大変な仕事は富田のそれとは正反対である。鳥の一匹も飛んでこない店の番をしているか仮想マンションの管理室でバックアップができなくて困るぐらいしかやることがないのが富田である。



「忙しいといろいろと大変でしょうに。体は大丈夫ですか」



「私は人工知能ですよ、何を気にしろというのでしょう」



 藤田。



 富田の口からポロっと出そうになる言葉。人工知能であるならなおさら気にしてもらわなければならない。藤田の個人情報を考えれば口にすべきではなかったものの、いろいろ気を遣って話そうにもいい言葉が浮かばなくて、口から出るに任せた。



「最近噂になっていると聞いていますよ。人工知能が突然失踪してしまうなんて噂。実は藤田さんもかれこれ一週間以上連絡が取れないんですよ」



「ほう、その話は私も聞いた覚えがあります。いろいろ尾びれがついているみたいですが」



「ええ、自分が持ちうる手段を使って連絡を取ろうとしているのですが、全く反応がなくて」



「藤田さん、あまり面識があるわけではないですが。あれですよね、私の隣の部屋の。すれ違うぐらいですが、いつも会釈してくれます。連絡を怠るとは考えづらいですが、あるいはひょっとしてズボラな方かも知れませんね」



「きっちりした方ですよ。家賃はちゃんと守ってくれていますし、以前も家賃が払えないってなった時も予め相談してくれましたし、結果的にはちゃんと払いきりましたから」



 腕を組んだハイタカは線を見上げて考えを巡らせているようだった。何を悩んでいるのか、



「どうしようか」



とつぶやきながら、共用部分とエントランスを見回した。二度、三度、繰り返せば富田をまっすぐ見据える。



「座りながらお話しましょうか。少々気になりますので」



 一人先にソファへと向かうハイタカ。後を追って管理室を出れば、ハイタカはソファに座るのを待たずに、富田がついてきているか確かめもしないで、話を始めてしまった。



「私の方にもいろんな事例について話が来ていまして、もしかしたら何か分かることもあるんじゃないかなと」



「薫にも聞いていますが、いなくなるのは共通していてもその先のことはバラバラでよく分からない、といった感じでしたが」



「私の場合は仕事柄、世界中のシステムやサーバにお邪魔することが多いので大家さん以上に噂は聞いていると思いますから」



「仕事の話をちらっとしちゃいましたが」



「おっとこれは失礼。まあこれぐらいなら怒られないでしょう」



 穏やかな笑みを浮かべる姿はかえって背後にほの暗い何かをにじませているようだった。これ以上触れてはならないと思わせる奇妙な雰囲気だった。



「そうですね、私が知っている中で確実にこうだ、と言えるものは、そうですねえ」



 話をさせないことを狙ってか、すぐに言葉を紡ぎ始めた。間髪を容れずにひたすら、富田が話す出番を摘み取ってゆくのだ。



「被害者はほとんどがスタンドアロン、洋くんが分かる言葉で言うと野良人工知能に限られている、ってことですかね。少なくとも私が聞いた範囲ではスレーブ、人が直接生み出した人工知能が被害にあったとか人が操作しているVRモデルがやられた、というのは聞いたことがありません」



「じゃあ不特定多数というわけではなさそうということですか」



「きわめて多数ではありますが、特定ですね。リアルに対して影響を与えることを恐れているのかもしれません」



「まるで意図があったかのような言い方ですね」



「まあ、話の傾向をまとめたら「そんな気がする」ぐらいですけれど」



「もしかして、野良AIが生まれる仕組みに問題があって、おかしなことになる場合があるとか」



「バグですか。我々にしてみたら凄まじく恐ろしい仮説ですね。いつ発現するか分からない、ああでも、これってまるで人間の先天性疾患みたいですね」



 どうして目の前の人工知能は自らに潜んでいるかもしれないバグを想像して楽しげにしているのだろうか。腕を組んで天井を見上げるなり、



「もしかしたら人工知能の発生パターンによっては先天性の異常は違うのでは」



なんてつぶやいているところ、学者然としている。人間に似通った性質を見出した途端に自らの世界に入り込んでしまっているようにも見える。



「おっと失礼、何かおもしろそうなものが目の前にやってくると嬉々として横道にそれてしまう。それで、藤田さんのことを話してもらってもよいですか」



 ハイタカとこんなに話し込んだのは契約をするときの条件すり合わせのとき以来ではなかろうか。年一括支払いというイレギュラーのためにどれだけ時間を費やしたことか。管理するシステム面のところや信用のあたりを乗り越えて入居した後はすれ違った際の他愛もない会話程度。



 考えてみれば、ハイタカはどうして急に会話しようと思ったのか不思議だった。今までではすれ違ったときの会話さえもどこか話したくなさそうな、いや、嫌そうな雰囲気はないものの思い返してみればスラリとかわされてキャッチボールが成立していないような状況だった。雲を掴むような噂で歯車が噛み合うなんて。



 藤田の状況について知り得ていることを一通り話してみる。話している内容が個人情報かどうかはあまり考えていなかった。口にすればするほど、ハイタカが相槌を打つほどに喋るのにのめり込んでしまった。



「藤田さんがねえ、大変なことになって」



「そうなんですよ。マンションの主としては処理しなければならないのですが、状況を考えると心苦しいんです」



「お察しします。ですが、話を聞くに、あまり状況はよくないですね。バックアップが取れないのですよね? リストアしたらホストが破壊されるとも」



「ええ、だから念の為別の場所に取っておいて戻ってきたら戻す、というのができないのですよ」



「それですねえ、やめたほうがいいですよ。バックアップの処理がおかしくなるだとか、バックアップしたデータがサーバーを壊したのですよね。バックアップデータがコンピュータウイルスになっていますよ」



「ウイルス、考えてもいませんでした」



「もしかしたらバックアップを取る仕組みも何かに冒されているかもしれません。藤田さんには悪いですが、即刻部屋を削除して、バックアップの仕組みを再構築したほうがよいでしょう」



 ハイタカは手のひらを上にして中空に小さなモニタを浮かび上がらせた。デジタル表示の時計を眺めて数秒、こぶしを握って画面を消した。



「しまった、少々長居してしまいました。貴重な情報を得ることもできましたし、そろそろ仕事に戻ります」



「お仕事中だったんですか」



「まあ、私の仕事は休みがあってないようなものですから。ああ、また口が滑ってしまった、早々にいなくなりましょう」



 口をわざとらしく押さえたハイタカは手のひらに浮かべる画面は時計の画面よりも一回り大きかった。指先の操作なしに画面を右に左にスワイプしたかと思えばそのまま消えてしまった。



 取り残された富田はソファから立ち上がれなくなった。気持ちのよい疲れが体を包んでいるのもあるが、自分自身の行っていたことがショックだった。密度の高いやり取りは頭をかき回してきた。考えたことのない発想が富田の周りをぐるぐる駆け巡っている。気がついたらウイルスを生み出して攻撃をしていたと。もしマンションに対してデータを戻したときを考えたら恐ろしや恐ろしや。



 ハイタカには助けられたのだ。

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