おもちゃ遊び

おもちゃ遊び::1.最近のおもちゃはすぐに壊れてしまって困る)

 薄暗い部屋の中に煌々と光るモニターが眩しかった。



 目に痛みを与えるようなその光に照らされる男が一人。頬がこけて何も食べていないかのような雰囲気だった。目は虚ろ。メガネ越しに見える目と顔の輪郭が不釣り合いとなっているところ、相当に度のきついメガネらしかった。



 西村敏之の一日は端末のロックを解除するところから始まる。とはいってもキーボードを叩いてログインするなんて面倒なやり方ではない。ただモニターの前に座ればよい。座ればウェブカメラが西村の姿を捉えて、勝手に顔を認識して、西村の顔であることを認識する。西村がどれだけ精気を失っていても、座りさえすれば全て自動でやってくれる。



 ログインした後は何をするか? いいや、何もする必要はない。『全て自動でやってくれる』。



 端末の中には彼の奥さんが住んでいる。心象的には、棲みついている、とするのが西村の思いに忠実かもしれない。それは端末に入り込み、あらゆるデータの所有者情報、アクセス権限を書き換えてしまった。



 西村の端末であるはずなのに、西村にはコントロールするすべがなかった。



 西村に与えられているのはただログインする義務だけ。端末を使う目的たる数々のソフトを動かす権利を奪われた。シャットダウンもできなければ、アクセス権限を取り返す方法もなかった。電源ボタンを長押ししてみた。電源ケーブルを引き抜いた。何もかもが無駄だった。



 電源ボタンを押したところですでに無効化されていたし、電源ケーブルを引き抜こうとすれば、自動的にリベンジポルノと個人情報を晒すと脅された。いつ入手したのか分からない画像。VRで妻だったものと交わった画像だけかと思いきやどこぞの一室を捉えた実写の動画や写真が交ざっていた。



 策を失った男にできることは、ただログインすることだった。二十四時間ログインしなければケーブル引き抜きと同じことをすると釘を刺されていた。



 犯罪だ。強要罪、脅迫罪。訴えれば警察が対応してくれるかもしれない。



 相手が人であれば。



 相手はAIである。人ではなくものとして扱われるから、人対人である犯罪は適用されない。そんなAIを作った人が罰せられるならありえるだろうが、しかし、このご時世、AIがAIを作る時代、あるいは産む世界。AIを作ったAIを罰することはできなくて。



 とどのつまり制御できない。西村の認識はその程度だった。



 さて、モニターの中に関心を戻してみよう。



 殺風景な画面である。なにせ本来なら表示されるアイコンやタスクバーが表示されていない、本当に何もすることができないデスクトップだった。背景色の白色が眩しかった。マウスカーソルも表示されていないほどの改ざん具合で、もはや端末としての存在価値を失っていた。



 こんな画面をひたすら見せられればもう、やつれて精気を失うのも当然の成り行きである。やめたくてもやめられず、ひたすら人間的でない画面を見せられ続けるのだから。



 無機質な画面が変わった。白いウィンドウが最大表示されるだけ。無機質なところは全く変わらなかった。タイトルバーにアプリの名前がないし、タイトルバー隅の最小化だとか最大化だとか閉じるとかのボタンもなかった。



 一切のことを教わらずに画面を見せられれば、大概はいたずらアプリあるいは本当のウイルスソフトだと思ってしまうだろう。実際、乗っ取られた端末で勝手に動いているのだからウイルス認定されても仕方がない状況だが。どちらにせよ、西村には何もできないし、何かしようという気持ちもなかった。



 端末のファンが回るかすかな音。それのみが聞こえる薄闇の空間はなんなのだろう。真っ白な画面。変わったようで変わっていない状況。ソフトが立ち上がっているらしいが、結局白くて変わっているように見えなかった。



 西村はしかし、目の前にある状況が示すものをすぐさま理解したらしかった。真っ白な画面に対して顔を引きつらせていた。何もなかった顔面に汗の玉がいくつも生まれているのだ。



 口に溜まったつばを飲みこんだ。



「としくん、お待たせ」



 甘ったるい声が発せられると同時に白い画面に女が歩いてきた。まるでモニタの向こう側が舞台であるかのように、右手側から堂々と姿を現した。ラフなTシャツとジーンズという服装だった。脇腹の贅肉がTシャツ越しに見えた。



 西村は更に激しい反応を見せる。体が震えていた。揺さぶられているかのような激しい痙攣に似たそれ。なのに椅子からは飛び退くことができないでいる。磔にされたかのよう。手足を縛られて、目の前に焼きごてをちらつかされているような。



「それじゃあ、始めましょうねえ」



 西村はこれから何が催されるのか知っている。開演の言葉。女がそれを発した数秒後には舞台の端に戻ってゆくと思えば鎖を引っ張って真ん中に戻ってくる。ピンと張った鎖の先には、女。知らない女。全裸にされた女AIが引っ張られてきた。顔を真っ赤にして下ばかりを見ていた。全裸にされている恥ずかしさ、首輪と鎖というパーツの屈辱からか。



 見ず知らずのAIを西村のもとにさらけ出した女はまず黙って何も進めない。ただただ犠牲者が辛い思いをしているのを眺めるばかりである。



 ややあってから女が次のステップに移る。ほら、言うぞ。いつものセリフ。



「ほら、こいつ、あの時の女に少し似ているでしょう?」



 言った。五寸釘を刺してぐりぐり回すようないたぶりだ。



 あの時の女。



 西村はちらりと全裸を見るだけで何も答えなかった。どうして答えられようか、女が口にした『あの時の女』とはまるで似つかないのだから。前回辱めた女にはなんとなく似ている雰囲気を感じるが、前回が既にあの時ではなかった。



「なによ関係なさそうな顔して。としくんのせいでこういうことをしなきゃいけないんだから、私だってやりたくてやっているわけじゃないんだよ? こうくんの妻として、正しい道に戻してあげるのだから」



 決まって女は自らが信じている正義を振りかざした。いつもと変わらない流れだった。西村の顔を見ていれば、何をすべきなのかすぐに分かるものというのに。女は、西村の妻と主張するそのAIは。



「それじゃあ、『壊しちゃう』ね」



「やめて、やめて」



「なんで? あなたみたいなのがいるととしくんが惑わされちゃうから、そんなのが存在していていいわけないじゃない」



「いや、いや!」



「うるさいわねじゃあ最初は言葉と手足のメモリを壊しましょうね」



「いや! や! や! あ! あ!」



「うわあ、メモリがグッチャグチャだね。これじゃあもう二度とまともにしゃべれないね。それじゃあ、今度はどのメモリをおかしくしようか。前に何も考えないで適当なアドレスを壊したら確か、勝手にエッチなことをし始めてそのまま動かなくなっちゃったんだよねえ、としくん覚えている?」



「あ! あ! あ!」



「でもさあ。としくんは楽しいかもしれないけれど、私はあんなの気色悪くて嫌だからなあ。うーん、でもまあいっか。それじゃ、壊れてね」



「あ! あ!」



 ウィンドウの中で繰り広げられる一方的な行為。AIが身動きの取れないAIを少しずつ破壊し、狂わせる趣味の悪いショー。



 今日も一人、身元の分からない人工知能が犯され消滅する。



 西村は唯一の観客として、狂った女の凶行をただただ見るほかなかった。

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