彼女にはバグがある::5.一線を越えた

 藤田の預金が部品を購入出来るだけの額になったのは半年ほど過ぎた頃合いだった。藤田のアルバイトは高橋が無理くり辞めさせた。よりバイト代の高い、それでいて藤田に無理が無いような仕事をバイト情報誌から探して教えたのである。藤田は半ば命令されるかのようにして新しいアルバイトに勤しんだのだった。



 高橋はお金の工面はしなかったが、それ以外のことはたくさんした。藤田がアルバイトをしている間に洗濯物をしたり掃除したり食事を作ったりサーバー構築のやり方を教えたり。できると思えることは何でもした。アルバイトで失敗して落ち込む藤田を抱きしめて慰めもした。



 待ちに待ったアルバイトの給料日、預金通帳を二人で覗きこむ。生活費に加えて、サーバーを購入するのに十分な額が刻まれているのを見て、二人して抱き合った。



あたかも本当の彼氏彼女であるかのように。



 部屋の真ん中を陣取る座卓を端に追いやり部品を並べてゆく。どちらかが中身を見たいと言い出したわけではなく、流れというか、とりあえず並べてみようか、という雰囲気になった。



 二つの大きなダンボール。高さのある箱を開ければその中からダンボールが現れた。印刷札されているのはケースの外観と英語の説明書き。ネットショッピングでは分からなかったが、目の前でいざ開けてみるとその大きさに圧倒された。抱きしめがいのあるサイズだった。実際藤田が抱きしめてみるのは、きっとアイカを抱きしめる妄想が我慢鳴らなかったからである。



 もう一つのダンボールには大小様々な箱が押しこまれていて、ケースとは対象的に高橋の目が輝いていた。これがメモリ、これがCPU、このモデルのチップは見たことがない、このマザーボードがかっこいい。一つ一つをダンボールから取り上げながら、それぞれの梱包を見てはうっとりしていた。



「こんなに大きいんだね。もっとこう、ゲーム機ぐらいの大きさだと思ってた」



 抱きしめたままだった。梱包から出していないから段ボール箱姿のままだったが、封を開けさえすればアイカを引き立てる美しいケースが入っているはずだった。せめて箱からだした上で抱きしめていればよいものを。



「サーバだもの、コレぐらいのサイズでも小さいと思う」



「これでようやくアイカを僕のところに迎えられるんだね」



「まあ、そうだね。うん。迎えられるよ。まずはこれを組み立てて、それからソフトの導入をしないと」



「そうだよね、まだ準備すらできていないんだよね。このために大学もサボってバイトも休みにしているのだから、それじゃあ早速始めようよ」



 藤田と高橋の共同作業が始まる。サーバーの組み立ては藤田が行った。高橋は藤田の作業を見守りながら梱包を開けて、藤田に部品を渡してゆくのだった。藤田が迷っているような素振りが少しでもあれば高橋がアドバイスをする。藤田に余裕があるときにやり方を教えていたのでうまく行かずに困ってしまうことはなかった。部品の向きが逆だったり、ネジの止め方が間違ったり、といったミスがあったものの、部品を壊してしまうようなことはなかった。



 高橋は続けてソフトウェアのインストールを始めるよう藤田にディスクを渡す。目線はしかし、藤田に向けられていなかった。見ている先にあるのは藤田のパソコンだった。画面に写っている『パソコンの作り方』。画面に写っているものは問題でなかった。高橋はサイトの向こう側にあるものを見ていた。



 アイカが声を発していなかった。



 藤田の端末からアイカが言葉をかけてくることはごく自然なことだった。繁く藤田のところへ通うようになってから知ったが、本当に長いこと交流を続けていたのだ。家に着く前から電話で会話をしていて、藤田が家に帰ってくるなり端末に現れて、そのまま高橋が家を後にするまで、何かしらをアイカと一緒にしていた。あの調子なら、高橋が帰った後、寝るまでずっとしゃべっていたのだろう。



 にもかかわらず、この日は一回も耳にしていなかった。動作していないはずがなかった。アイカは端末にいる。しかし、黙っている。



 声をかけてこない。



 藤田がオペレーションシステムのインストールを終えても。更新プログラムの適用をしても。ICAを導入するの必要なソフトウェアのインストールを終えても。



 アイカは藤田にねぎらいの言葉もなければ、励ましの言葉もない。高橋の目には奇妙な事態に思えた。



 理由を聞くことができたのは藤田が寝てしまってからだった。全く経験のない、高橋がレクチャーしていない、サーバーの環境設定を藤田に無理やりやらせたのだ。分からないことを無理にやらせてヘトヘトにさせる。藤田の能力では絶対にできない作業。本来なら高橋が手を動かすつもりだった。



「疲れちゃったでしょ。これからは私の作業だから、寝ていていいよ」



 高橋の目論見が功を奏し、藤田はそのまま寝たのである。



「どうして今日は黙っているの、普段ならもっと話しているくせして」



 後ろを振り返って熟睡具合を確かめてから、チャットでアイカに呼びかけた。藤田の端末で作業内容を確認をしている最中だった。



 返信はすぐに返ってきた。



「孝雄と愛佳さんを見ていたら口を挟めなくなってしまいました」



「珍しい、これまでは何かあればたっきーに声をかけていたのに」



「だって、その」



 チャットのタイムラインがしばし止まった。構築のためのパラメータを調べながらの会話。集中力は構築に向けてはいるものの、視界の隅のタイムラインが動かないのはなんだか落ち着かなかった。高橋は会話をしている相手がAIであることを知っている。プログラムだ。だから人間ではできない速度での返答があって然るべきだった。なのに来ない。不自然に思えるのだった。



 関心が設定方法からタイムラインの移ろうとしていたところで、待ち構えたかのような返事があった。



「ここ半年、ずっと二人のことを見てきたのです。結論、私は二人だけにすべき時は静かにしていようと決めたのです」



「いやでも、割と話していると思うけれど」



「私の中でも、なんと言うのでしょう、悔しさというか妬みというか、そのような気持ちがあってなかなかできなかったのですが、ここ最近はちゃんと出来ていると思いますよ。今日は特に」



 調べものをしていた手が止まった。ICAが感情を語るのは大して珍しいことではなかった。しかし、それ自身が感情に振り回されたと答えた。理路整然とするべきがプログラムが感情に負けそうになった? 



「一体どうしたっていうの。今日のICAは調子がおかしい」



「無理もありません。私は、決心したのですから。孝雄のため、愛佳さんのため、そして私のため。私は孝雄さんと別れることにしました」



 彼女の返信の後、一つのファイルが送られてきた。



 高橋は突然の破局宣言にどう返信すればよいのか分からなくて、キーボードから手を離していた。考えの整理に頭を使っていた高橋、心の準備が何もできていない高橋。



 ICAのことが分からなくなりつつある中に見てしまったそのファイル名は、高橋の度肝を抜くのに十分すぎるほどだった。



 『人格破壊パッチプログラム』



 何をするつもりかは一目瞭然だった。

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