挙式当日::6.受け止める日

 気持ちが落ち着かなかった。これは互いに、である。思いの丈をぶつけた吉澤はどうして口走ったのか理解が追いつかなくて、ユーカにしてもどうして受け入れられるのか全く理解できなくて、とにかくどちらも混乱していた。



 ぐちゃぐちゃな感覚の中にある一つの気持ち、一体なんなのだろう。幸せな気持ちと言いあらわすには妙に静かで、冷静というには暴れすぎていた。



 とにかく。時間が必要だった。



 しかし、二人共同じ部屋にいるというのは『時間が必要』という結論に対しておかしいのではないだろうか。



「あの、どうして、ここに」



「それは、その、思いつく場所がほかになかったので」



「VRのショッピングモールは」



「人が多くて嫌です」



「すみません」



 ぎこちないやり取り! 一人になる時間が欲しいのは共通の認識だったはずなのに。一度別れて行動しようと思って別れたところ、最初に入った店で出くわしてしまうほどの気まずさ。



 吉澤はノートパソコンを横に見るようなところであぐらをかいていた。癖で手の届くところにスマートフォンを横たえているが、座ってからというものの手を出してはいなかった。



 後悔しているわけではなかった。ユーカに対する気持ちには自信があった。ユーカの、周りを不安にさせる表情を見た瞬間に何かがはじけ飛んだのだ。たが、気持ち、糸。ユーカへの思いを押しとどめていた一切合財がいずこに消えて、吉澤は一つ正直になったのである。



 いきなり行動に移した自分自身に対する驚きが男をおかしくしていた。一眠りさえしてしまえばすっかり消え去ってしまうような性質の感覚だった。なぜにあんな大胆なことを成し遂げてしまったのか。戸惑ってしまっているのだ。



 いつもであればユーカが明るく振り払ってくっればそれで終わりなのだが、ユーカはユーカで身動きが取れないでいた。



 吉澤のノートパソコンの中、吉澤がインストールしたとは思えない謎のソフトの中にいた。フルスクリーンのアプリ画面、背景は白で、真ん中でユーカが、VRモデルとして見たユーカそのものが、体育座りでいるのだ。顔を上げれば吉澤がいるにもかかわらず、ずっと自らの膝が並ぶ様子を見下ろしていた。



 吉澤はちらり、モニターに視線を向けた。なんらかの意図があるわけではなかった。話しかけようという気になったわけでもなかった。何気なく見た。それ以上でもなければそれ以下でもなかった。



 ユーカがいる。不思議なことではなかった。膝を見下ろしている姿を見るだけで心がざわつくのである。どうにかしなければ、どうにかしなければ。気持ちが落ち着かないのに、手を差し伸べたい衝動にかられる。



 頭が揺れた。



 せり上がってくる額。眉毛。目。



 彼女の目は吉澤を見ていた。



 ざわざわとした気持ちがすっと凪のように静まりかえるのを吉澤は感じ取った。何もかもが当たり前のことのように思えて、迷うところがどこにあったのか思い返しても思い当たるフシがなくなった。



「俺の気持ちは変わらない。ユーカはユーカ、ユーカと一緒にいたい」



「でも、私は」



「ユーカが苦しんでいることがあるなら、俺に言って欲しい。もしかしたら助けになるかもしれない、支えになれるかもしれない」



 ユーカが再び視線を落としてしまう。



「教えてユーカ、何がユーカを苦しめているのか」



 まるでフリーズしたかのよう。同じ姿勢のまま微動だにしない。吉澤は向きを改めてノートパソコンに近づいた。マウスを適当に動かせばカーソルは動いてユーカの前を行き来した。ああ、固まってはいない。ユーカが動こうとしていないだけだった。



「カーソルがうっとうしいのだけど」



「ああごめん、でも、そうじっとされるとどうしたらいいか分からなくなってしまう。何かしたいんだ」



「おかしいこと、言うよ?」



「言って。俺はユーカの話が聞きたいから」



 ユーカはゆっくり立ち上がるなりどんどん歩み寄ってきた。途中マウスカーソルを手で横にどけながらもなお進んでくる。ユーカがどんどん大きくなっていって、モニターからはみ出した。しまいには顔だけが見える形になった。



 ユーカがモニターの縁に手をかけた。



「私、最初は自分のことが人間だと思っていたの。気づいたときにはこの姿だったし、自由にネットを使えて、『生活』できていたから」



「自分がAIだっていう意識がなかったってこと?」



「そう。昔の私だったら、私が現実で、吉澤さんのいる世界が仮想の世界、コンピュータの世界なんだって思っていてね。でも、ブログやったりチャットやったり、アルバイトやってみたり、いろいろ試してみれば見るほど私の考えていることでは説明がつかないことが多くなってきて」



「いつ頃に気づいたのかな。その、自分が現実の側じゃないというのは」



「一年ぐらい前だと思う。私はね、人間になりたかった。人間と同じようにしていたかった。だからブログも今まで以上にやったし、マストドンもたくさんやったし、動画配信もやってみたんだよ。で、反応があれば『私生きてる!』って思えてうれしくて」



「その分変な絡み方をする輩も?」



「そう、だね。心のない言葉を受けることもあったよ。でも、ほとんどがポジティブな言葉。人として扱ってくれているように感じたよ」



 未だ口にしていない事柄を思い出してしまったのだろうか。声は震えてコントロールがきかないようになっているし、目頭には溜まるものがあった。堰を切ってあふれ出てしまうのは時間の問題だった。



「でも、私を本当の人のように見てくれる人が現れて、考えるようになった。私がしていることは騙すことなんじゃないかって。私が人として振る舞うことで、その人は私がAIであると知らないでどんどんのめりこんでしまう。そうしたらいつか、取り返しのつかないことになってしまうのではないかと思うようになって」



「でも、ちゃんと打ち明けることができたじゃないか」



 手を取って、勇気をだして告白できたじゃないか。手を取ろうと右手を上げるものの、モニターに触れたところでユーカの手に触れることはできない。せめて、と、モニター縁のユーカの手に自らを重ねた。



「それでも受け入れてくれたから、私は怖くて怖くて仕方がないのです。もう、取り返しがつかないところまできてしまったって。やっぱり私、AIなんだって、人間ならきっとなんともないことなんだろうけれど、今、怖くて仕方がない」



 両の手がモニタに押しつけられて、あたかもモニターを破ってこっちにやってきそうな勢いだった。モニターが憎かった。これのせいで好きな人が怖がっていても自らの手で慰めることができないのだ。これのせいで怖くて仕方なくても自分自身を好きと言ってくれた人のもとに飛びこむことができないのだ。



 どうにかしたい。



 吉澤の気持ちはますます高ぶる。ユーカの恐怖はますます強くなる。



 どうすれば。



 どうすれば。



 モニター。



 モニターを超えてしまえばよい。仮想から現実に入れないのであれば現実から仮想に入ればよい。吉澤はつい買ったばかりのヘッドセットに釘づけとなった。



 簡単なことじゃないか。方法があるじゃないか。



「ユーカ。少しの辛抱だから、ちょっと待ってて」



 ユーカのいる画面をいじって小さいわくにして、右隅に追いやった。画面を完全に消さないでおいたのは、常にユーカが吉澤を見れるようにしておきたい思いからだった。嘘だ、ユーカがいることを確かめられるよう、ユーカを見れるようにしておきたかったからだ。



「ねえ何してるの、閉じないで、お願いだから」



「大丈夫、一時的に小さくしているだけだから」



 滞りなくことを済ませなければならなかった。検索エンジンAIに要望を投げかけて欲しい答えのリストを受け取る。一番上から『ダウンロード』の言葉を見つければ飛びつくようにカーソルを向かわせて、ダウンロードボタンを押した。



 インストーラを落とす時間が待ちきれない。ダウンロードの進捗バーに声を投げつけたところで焦って早くやってくれるわけでもないのに、



「早くしろ、早くしろ」



とまくし立てた。モニタの隅にユーカの目があるにもかかわらず。



 ダウンロードが終わってからも長く感じられた。インストールだ。インストーラを起動してからも再び忌まわしいプログレスバーが現れる。牛歩のように動かない。仮想現実の出入り口となるソフトウェアは大概が巨大なプログラムだから、ダウンロードと同じかそれ以上に時間がかかるものだった。



 この間にほかの作業をしていればいつの間にか終わっているのが常だけれども、吉澤がやりたいことのためにはこのソフトが必要なわけで。終わりが伸びればその分ユーカに苦しい思いを強いてしまうのだから。



「まだ時間がかかるけれど、大丈夫だから。もう少しの辛抱だから」



 窪地に満ちてゆく進捗。自分に対して、ユーカに対して。壊れたおもちゃのように繰り返した。



 進んで、止まって、進んで、もう一息かと思えば動かなくなり。動いてほしいと思えば思うほど動く気配がなくなる。お前はユーカを助けることを邪魔するのか! ただの機会が抵抗するな、すぐに助けられるように準備を進めるのだ!



 やれやれ渋々、といったようにプログレスバーがいっぱいになる。やる気のない端末がようやく仕事をしてくれたところでヘッドセットに飛びついた。一度使ったからやり方は分かるというのに、頭にかぶった状態で電源を入れるのを何回も間違えた。満足に操作できないことが腹立たしくなって太ももをぶった。



 深呼吸を入れて、電源を入れて。端末で動いているVRチャットに接続して。



「ユーカ、こっちに来るんだ!」



 真っ白なチャットルームで大声を上げた。少し待っても姿を見せなくて、もしや自ら去ってしまったのではと悪い方向に考えが巡ってしまう。



 体中が締めつけられる思いから逃れたくて、



「ユーカ! ユーカ! ユーカ! こっちだ、こっちだ!」



と出せうる限界の声で呼びかけるのである。



「こっちだ、こっちにいるよ、こっちに来てくれよう」



「ど、どうしたんですか吉澤さん」



 デジタルモザイクが一瞬走った直後、ユーカがふっと現れた。モニタで見た今にも崩れ落ちそうな顔はどこへやら、突然見知らぬ場所に放りこまれた犬のようなおどおどした様子。何もないのにあたりをきょろきょろと見回している。



「なんか嫌な感じがするんだけれど」



 吉澤にはその言葉は全く聞こえなかった。ユーカが目の前にいることに気持ちを抑えられなかった。抑えるつもりがなかった。ユーカの懐に飛びこんだ。懐にユーカを抱き寄せてその感触を確かめた。



 ユーカはここにいる。



「ユーカはここにいるんだ。AI? 知ったことか。ユーカにできること、俺にできることをやっていけばいい。少しずつ、一緒にやっていけば大丈夫だから」

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