四 戦い抜くための作法④

 俺は由美子のことを隠しながら、高校に行ってから転属するまでの経緯を話した。

 ヒロトは昔から俺の話を真剣に聞いてくれる奴で、まったく目を逸らさなかった。俺は不思議と泣きそうになってしまったが、すんでのところで堪えた。

 ひと通り話し終えたところで、俺はひとつ深呼吸をする。

「まったく、警察官ってのも楽じゃないぜ。おやじ、ビールおかわり」

「おいおい、あまり飲み過ぎるなよ」

 雅親が笑いながら言う。飲み過ぎないようにしたいところだが、本能がそれを許してくれない。

「そういやヒロトは、画家にはなれたのか?」

 流れで聞いたつもりだった。

 俺が警察官になると約束した時、ヒロトも画家を目指すと与して誓った。ヒロトは絵の才があるやつだ。勉強を続けていけば、絶対に有能な画家になる。俺は確信気味に思っていた。

 俺の問いかけを聞いて、ヒロトは一瞬だけ閉口した。

「いや、まだ見習いだ。バイトしながら、絵を描き続けている」

「そうか。お前なら大丈夫だ、ヒロト! 俺が見込んだ絵描きだからな、ハハハ」

「そりゃどうも」

 ヒロトは苦笑いしながら、ビールを一気に飲み干した。

 嘘だとすぐに分かった。嘘をついた時、手元にある食べ物を一気に食べたり、飲み物を一気に飲んだりするのは、ヒロトの昔からの癖だった。

「おやじ、俺もビールおかわりだ。ジョッキでな」

 なにかあったのか、聞いてみようと思ったが、やめた。

 俺に隠しごとがあるのと同じように、ヒロトにも俺には言えない何かがあるに違いない。そんなことで親友との話が詰まってしまうなら、いっそのこと飲みまくろう。

 俺はその夜、限界まで飲み続けようと決めた。

 それからのことは、よく覚えていない。

 ヒロトに対して偉そうになにか語ったり、おやじに対して演説のようなしゃべりを続けたような気もしたが、ここまで酒が回ったのは初めてだったので、記憶から抜け落ちてしまっている。

 気づけば俺は、ヒロトにアパートまで送ってもらい、そのまま玄関でうつ伏せになっていた。ヒロトが連れてきたのかも覚えていなかったが、ヒロトならきっとそうしてくれると思っていた。

 酔いが若干冷めてきた俺は、そのまま玄関で目を閉じた。

 明日は非番だ。荷物の整理も後にして、今夜は幸せな記憶が残っている内に、もう寝てしまおう。ふらつく頭でそんなことを考えながら、俺の意識は瞼の裏の世界へ、とろんと落ちた。


 翌日の夜。起きた俺のもとに、金池署からある連絡が来た。

 幼い少女が何者かによって、連れ去られてしまったと。

 すっかり目が醒めた。


 さらに明くる日、俺は同僚と金池の街を捜索していた。

 犯人はまだ、遠くまで逃げてはいないはずだ。だから諸君は金池の捜索に当たってくれ。それが上の考えだ。俺もそれには同意だった。

 誘拐犯はすぐには現場を離れない。警察による捜索が別の場所に移った頃、こっそりと移動を始めるのだ。だからまだ一週間ほどは、この街で逃亡の準備を始める可能性が高い。そこを押さえられなければ、おそらく捕まえることはできないだろう。

 だから最大限の力をもって、捜索に当たらなければならない。

 晴れやかだった気分から一転、俺の気分は緊張で張り詰めていた。

 誘拐も同じだ。愛すべき人同士を切り離す行為。

 だから俺はその犯人を捕らえて、然るべき罰を与えなければならない。

 俺のその信念を知っていた相棒は、俺の直感を信じて随伴してくれていた。単に俺の目が殺人鬼的に鋭かったから、黙って付いて来ていただけかもしれないが、俺は気にも留めなかった。

 幼い少女の誘拐なんて、許されざる行為だ。

 そんな蛮行を働く輩を、みすみす逃がす訳にはいかない。

 俺は青空広がる金池の街で、狩人のように目を光らせていた。



          【六月十日】



「二手に別れよう。そのほうが効率がいい」

 俺は相棒にそう提案して、単独で捜査を始めた。

 最低でも二人以上で捜索するように命じられているので、見つかればどやされるかもしれない。それでも構わない。一人でなければ、どうにも集中できなかった。自責の念があるのかは分からないが、こういう事件の時に複数で捜査していると、どうも効率が悪いような気がしてならないのだ。

 なにより、一人のほうが不思議と勘が働く気がする。

 俺は自分の感覚だけを頼りに、金池の都市部へ踏み込んだ。誘拐事件のことなど、知らないひとのほうが多いだろう。まだ、大々的に報道はされていない。混乱に乗じて犯人が逃げるのを防ぐためだ。だから街は今日も平常運転だ。

 犯人の顔は明らかになっていなかったが、連れ去られた少女の詳細は明らかになっていた。少女の叔父と称する人物が証言したのだ。警察は少女のことが割れていると犯人に知られないように、その事実を秘匿した。そうすれば、犯人も油断して街を離れるのが遅くなるかもしれない。そこをつけば、すべて片がつく。

 小さい子どもを連れた人に注意を走らせながら、俺はある通りへ出た。

 すぐに、そこにできていた人だかりに気がついた。

「……何か、催しでもあるのか?」

 そう呟いた刹那、俺の目はある男と、その男と手をつないだ少女を捉えた。

 少女の姿は紛れも無く、誘拐された少女のそれだった。髪型も、履いている靴も一致している。俺の目に間違いはなかった。

 なかったはずなのに、俺はしばらくその場で立ち尽くした。

 すぐにでも飛び出して、犯人の両手に手錠をかけてやりたいところだった。

 でも、それができなかった。

「嘘だろ……ヒロト?」

 その少女を連れていたのが、一昨日酒を飲み交わしたばかりの親友、橘博人だったのだ。

 見間違えるはずがない。目つきや引き結んだ口元も、一昨日会ったばかりの友人と全く同じだった。自分の目を疑いたかった。画家を目指していたはずのヒロトが、まさか誘拐に手を染めているなんて現実のものとは思えなかった。何か理由があるに違いないと思いたかった。

 視界が揺らいで、少しだけ気分が悪くなった。俺は一体、どうすればいいんだ?

 すると次の瞬間、ヒロトは少女を置き去りにして、突発的に走りだした。

 もしかして、感づかれたか。俺はぐらついていた頭を振り払って、ヒロトの後を追って人混みの中に飛び込んだ。

 何はともあれ、どうしてこんなことをしたのか問いたださなければならない。

 一人の警察官として、俺は誘拐犯を裁く必要がある。

 ヒロト自身にあの日誓った言葉を呟きながら、俺は野次馬の間を縫って走った。


 ビルの上から落ちてくる人の姿など、俺の目には映っていなかった。

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