三 ほとんどの悪を吐き終えたら①

 まったく人間は無用心な生き物だ。

 たとえばたった一枚の薄い板に簡単な鍵をかけただけで、それを完全に信頼する。叩いてしまえば簡単に割れたり壊れたりしてしまいそうなものに全幅の信頼を置くなんて甚だ愚かな行為だ。本当に賢い人間なら、大事なものは常に携帯しているか、多くは金に換えてスイス銀行に預けている。まあ、愚かな人間のおかげで、俺の生活は成り立っているわけで、そのあたりは感謝しよう。

 俺が生業としているのは俗に言う空き巣行為であり、今日もこうして、朝から旅行に出かけている家族の住む一軒家に闖入を試みた。事前の調査で今日から二泊三日の旅行に行くことは判明済みなので、他人の妨害を受けることなく、金目のものを悠々と漁る。駐車場に車はない。郵便なんかが来ても居留守を使えばいいだけだ。

 多くの人は旅行に財布などを持っていくので、旅行中の家は盗るものが少ないと思うだろう。だが多くの空き巣――少なくとも俺は大金を求めてはいないから、貴金属みたいな盗られたと分かりやすい高級品よりも、ゲームソフトなどの大量に売っても疑われにくく、かつ無くなっても「ソファの裏に落とした」「親に隠された」などすぐに空き巣のせいだと思わないものに手をつける。

 金銀プラチナを盗ったところで、安い革ジャンに穴あきジーンズの男が売ろうとしても、疑われるか、足元を見られるだけ。

 ならば、初めから値段の高くないものを盗めばいい。

 今日は高価買取のゲームソフトとオーディオプレイヤーをリュックに詰め込み、勝手口を閉めて家を後にする。少し造りが古い家は勝手口に必ず網戸がついていて、完全にシャットアウトすることはできない。仮にそうでなくとも、勝手口の鍵が空いていたなどとなかなか気づきはしない。空き巣はこういったポイントを好む。

 最寄の喫煙スペースを探し出し、俺はポケットから煙草を取り出した。

 平日の住宅街は閑静だ。田舎なら多少の近所付き合いがあるだろうが、郊外となれば見知らぬ男がふらついていたところで誰も怪しまない。怪しまれるようになったところで、場所を変えてまた空き巣を繰り返せばいい。場所が変われば人も変わる。隣町の空き巣被害など、結局誰も気に留めていない。ま、空き巣としては好都合だ。

 まだ吸い足りない煙草を灰皿に押し潰し、足早に歩き始める。


 俺は場所を変えた。

 前々から目をつけていた一軒家は、今日も静まり返っていた。

 商店街の裏通りには小さな新興住宅地があるのだが、その端っこに位置づけられる赤い瓦葺きの家は車が停まっていない。さらに郵便受けには郵便物が大量に溜まっているので、その二点から誰も住んでいないことはなんとなく予想できた。出不精なだけかもしれないが、そんな人間が新興住宅地の一軒家に住むとは思えない。

 おそらくすでに空き家となっているんだろう。

 だから、今日の最後の獲物はこの家だ。

 住宅地は平日昼間と言えど、それなりに人通りがある。今回は以前バイトをしていた宅配業者の制服を来て、侵入を試みることにした。

 空の段ボールを脇に抱え、門扉を開ける。庭は手狭で、数歩進めば玄関にたどり着く。庭は雑草が荒れ放題なので、ここからも放置状態が続いていることがわかる。念のため、玄関のチャイムを押して確認する。が、数回押してしばらく経っても足音の一つ聞こえない。やはり、誰もいないようだ。俺は心中でガッツポーズする。

 俺はいつも、流れ作業として玄関のドアを開けようとする。

 普通の民家ならば鍵は閉まっているので、これはあくまでも確認だ。もし閉まっているのなら、行為を終えた後も鍵を閉めたままにしなければ、すぐに空き巣被害に遭ったと分かってしまう。実は人がいる可能性だってある。

 盗みに入った時と同じ状態のまま出て行く。空き巣の鉄則だ。

 今回も俺は何の気なしにドアノブに手をかけた。

 どうせ開くはずはない。確か裏に網戸付きの勝手口があったから、そこから侵入しようかなと俺は考え始めていた。

 ところが、どうだ。

 俺は玄関戸を少し引いてみたところで、硬直した。

 予想とは裏腹に、がちゃ、と音を立てて、扉がわずかに開いたのだ。

 鍵がかかっていない。内側からチェーンをかけているわけでもなく、もう少し力を入れると、完全に扉が開いてしまった。額に冷や汗が流れるのを感じた。

「……おいおい、どういうことだよ」

 周りに人がいないことを確認して、小声でつぶやく。

 ほとんどの時間帯、この家に人が出入りしていないのはリサーチ済みだ。そういう家は大体鍵が閉められたままになっている。家の持ち主が、もしくは家主以外の業者なりが、空き巣に物品を盗られては困ると考えるからだ。

 しかし、この家の玄関に鍵はかかっていない。

 考えられる理由はいくつかある。鍵をかけ忘れた。実は中に人が住んでいる。近日取り壊しを行うので、業者が鍵を開けたまま放置している。先客が潜んでいる。どれも可能性としては十分あり得る。

 俺は足音を立てずに玄関へ入り、扉を閉める。

 大理石の玄関に靴はない。横にある靴箱も静かに開けて確認してみるが、雑巾やら何やらが放置されているだけで、靴は見当たらない。誰かが住んでいるという可能性は薄そうだが、なるほど先客がいる可能性は十分にある。まあ、同業者であれば協力すればいいだけのことなので、侵入しても問題なし――と結論付けた。にしても、空き家の割にやけに生活感があるな。

 玄関から見た構造は奥に細長い。

 左手は二階への階段、右手は廊下があり、奥にはリビングへ続くと思しき扉が開いたまま放置されている。全体の構造としては、普通の家と同じ二階が家族それぞれの部屋で、一階はリビングや水回りだろう。個人の部屋を回って物色するのもいいが、まずはリビングに金目のものが落ちてないが探すのがいい。

 そう思い、段ボールを置いて靴を脱ごうとした、そのとき。

「おじさん、だあれ?」

 小さな声が鼓膜を劈いた。

 全身に緊張が走り、肌から汗が噴き出す。

 すぐさま頭をもたげると、声の主がリビングの扉のそばに立っていた。チェックのパジャマを着た、幼い女の子だ。寝起きなのか、それとも俺を訝っているのか、半分だけ開いた両目でこちらを見ている。一瞬頭が真っ白になりかけたが、俺は一拍置いて質問に答える。

「……宅配便ですよ。お父さんに、お荷物を届けに来たんです」

 慣れた調子の営業スマイル。なにも問題はない。

 こういう事態の常套句ならいくらでも揃えてあるから、どんな問いかけをされても即座に答えられる自信がある。もしも空き巣に入った家に人がいた場合、工事業者や親の友人など、あらゆる手段を用いて空き巣だと思われないようにすることが必要なのだ。今回はまだ玄関口に入っただけなので、服装の通り宅配業者を装えば疑われることはない。あまつさえ相手は子どもだ。

「お父さんは、まだ帰ってきていないですか?」

 答えることなく、女の子はぺたぺたと玄関近くまで歩いてくる。

「帰ってきていないのでしたら、また配達に伺いますよー」

 俺は疑問を抱かれないよう、言葉を並べ続けた。

 誰も住んでいないという読みとは少し外れたが、おそらく親は出かけているのだろう。適当な理由をつけて再配達に来ると言って退散すればいい。何も問題はない。それにしても、まさかこんな古屋敷に住人がいるとは夢にも思わなかった。

 深呼吸し、鼓動が落ち着くのを感じながら、俺は段ボールを再び持ち上げる。


 だが。

「ううん、いないよ」

 ふるふると首を振る女の子の答えは、またもや俺の予想を裏切った。

「お父さんもお母さんもいないよ。ずっと前から」

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