ひとつながりの明日

【旧】鹿田甘太郎

序 からあげ定食


 ジーンズのポケットに突っ込んでいた携帯電話が、かすかに震える。

「おっ、メールだ」

 普段から電話をかけるわけではないので、私になにか連絡があるとすれば、ほとんどはメールだ。まあ、両親がたまに電話をかけてくることならある。最近はあんまり連絡も来てない気がする。まあいいか。

 時代の後端を行く折りたたみ式携帯電話を取り出して、パカっと開く。

「でも、迷惑メールかなあ」

 と、頭を掻きながらため息をひとつ。

 友達に勧められるがままに、携帯ゲームやオンラインゲームをはじめてからというものの、私に関係のないメールが頻繁に来るようになった。よくわからないけど、そういうところに登録すると、いろんな悪いひとが私のアドレスを見つけて、メールを送りまくるらしい。……みたいなことを友達が言っていたけど、実際のところよくわかってない。とりあえず、迷惑メールにはほとほと困っている。消せば済む話だから、気にしてないけど。

 新着メールを見ると、1件の表示。受信ボックスを開く。


『おめでとうございます! あたなは1000000円を受け取れます!』


 はい、出た。本当にありがとうございました。

「あーやっぱり迷惑メールかー、削除削除」

 ていうかあたなって。あなたでしょ。迷惑かけるならせめて誤字脱字キチンとなおしてからにしたほうがいいんじゃないかな。これじゃ騙されたほうも報われない。しかも100万円て。釣れるかどうかまた微妙な数だなあ。騙すなら1億円とかにすればいいのに。いや、それこそ現実的じゃないのかな?

 メールをゴミ箱に放り投げ、再び携帯をポケットにしまう。

 平日の街中、それも昼間は人通りが少ない。時折すれ違う人はいるけど、みんなどこか重い空気を纏っていた。さっきすれ違った若いサラリーマン、―たぶん営業マンだろうけど、彼の目からは光が失われていた。そうそう、家を出たときには、キャデラックとでも言うのかな、長くて大きい車からお召し物を着せられたステレオタイプお嬢様が出てくるのも見かけたけど、すごく陰鬱な表情をしていた。昼前に立ち寄った書店からは、入った瞬間入れ違いでものすごい勢いで青年が一人駆けていった。なんだったんだろう。あとカフェから出たときには病院の前に人だかりができてたっけ。野次馬は嫌いだから何となく近寄らなかったけど、今になって気になってきた。

 そんな、昼下がりの金曜日。

 小腹が空いたので、いつもの定食屋を見つけて暖簾をくぐる。相変わらず愛想のよいおばちゃんの案内を受けて席に座り、メニューを開く。おいしそうな写真がたくさん並んでいるけれども、うん、やっぱりこれに限る。

「からあげ定食、一人前!」

 あいよ、とおばちゃんはニコニコ笑う。

 メニューを閉じてポケットに入れた携帯を取り出す。

 メールは来ていない。朝から迷惑メールはたくさん見てきたが、肝心のメールはいつまでたってもその姿を見せない。私の心は磨り減り過ぎてサラサラである。

 ため息ひとつ、携帯を閉じる。

 こうして、私はまた、据膳の完成を待っている。



       ◯


 迷惑メール、というものがあります。

 携帯電話、スマートフォン、もしくはパソコンのアドレスを持ったことがある人なら、一度は経験したことがあるかもしれません。

 いろんなサイトに登録していると、一日何十件、ひどい人は何百件とメールが送られてきます。そのなかの大半は、虚偽の当選通知であったり、登録した覚えのないサイトからの通知です。興味本位でメールの本文を見てしまうと、ひどいときにはウイルスやスパイウェアに感染する恐れがあります。

『あなたは当選しました!』

『あなたが百万人目の登録者です!』

 毎日のように似通ったメールが送られてきて、あなたは気が滅入ったり、最終的にはメールアドレスを変更せざるを得なくなるでしょう。それくらい、これらの迷惑メールは人を困らせ、時には間違った方向に導くこともあります。あなたがこのジャンクメールに下す結末は、もちろんメールそのものを削除してしまうこと。なぜならそれがもっとも効果的で簡単な方法だからです。こうして毎日、何千何万という迷惑メールが消去されていきます。

 ある日。

 いろんな人の携帯に同じメールが送られました。

 そのメールには件名はありますが、本文はありません。

 件名に書かれてあるのは、たった一行の質問文でした。


『明日、生まれ変わるとしたら、あなたはどうなりたいですか?』


 メールの送信元は分かりません。宛名がないので、誰に対して送ったのかも、まったくもって分かりません。メールを開くと、先ほどの質問が、空白の本文とともに携帯の画面に広がります。少し特殊な迷惑メールです。ちょっと不思議だとは思っても、他の迷惑メールと同じように消してしまうでしょう。自分と関係のないメールに興味を持つなんてことはそうそうありません。

 でも、そういう人ばかりではないというのも、また事実。

 ここでは奇人とでも呼ぶべきなのでしょうか。このような目的も分からない奇天烈なメールに、返信した人々がいるのです。

 本当に、いろんな人がいます。


『窮屈な暮らしから抜け出したい』と書いた人がいます。

『別に何も変わらなくていい』と書いた人がいます。

『生きたい』と書いた人がいます。

『空白に戻して、全てをやり直したい』と書いた人がいます。

『彼女と同い年になりたい』と書いた人がいます。


 これらの人々は、全員が何らかの希望的観測をもって書いたわけではないでしょう。暇つぶし、愚痴、備忘録、はたまた悪戯という可能性もあります。

 しかしこの人たちは、自分の元に訪れた謎のメールに対して律儀に返信しました。

 ……それはつまり、どういうことなのでしょう?

 そして、メールを送った彼らは、一体どうなるのでしょう? 



 これは、偶然と必然の交じり合った、いくつかの短いおはなし。

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