第254話 彼女

「なんか、千木良が僕に付いてくることになってるみたいなんだけど……」

 全部言い終わる前に、千木良が面倒くさそうに僕をにらんだ。

 体より大きいくらいのピンクのリュックサックを背負っている千木良。

 その姿は、某蝸牛かたつむりの幼女みたいに見える。


 そんな僕と千木良の周りを、部員のみんなとうらら子先生が囲んでいた。

 僕達がいる廃工場の中は、車のヘッドライトと、窓からの月明かりに淡く照らされている。


「もちろん私が付いて行くわ。当たり前でしょ」

 千木良が偉そうに腕組みして言った。


 当たり前だったらしい。


「だけど、ほら、僕はこれから数年、外国で姿を隠して暮らすんでしょ? それに付いてくるって…………」

 そこでの生活は過酷かこくなものになると思われる。

 今までの学校生活みたいに、のんびりと過ごすことはできないと思う。

 追われて、場所を転々とすることになるかもしれないし。


「もちろん、そうなるけど、そうだとしてあんたの面倒は誰が見るの? あんた、海外に行ったことなんてないでしょ? それに、AIのメンテナンスは私じゃないと出来ないわ。私以外にあなたの仕様は理解出来ないもの。だから私が付いていくのよ」

 失礼にも僕を指さして言う千木良。


「でも、千木良、学校は?」


「もう私に学校で学ぶことなんてないわ。飛び級して高校生をやってたのも、あんたを近くで見るためだったんだし」

 はっきりと言う千木良。

 あんたを近くで見るために同じ高校に来たとか、そんなこと女子から言われたら、ホントは跳び上がるくらい嬉しいセリフなんだけど。


「だけど、逃亡生活していく上で、二人になったらお金も倍かかるし、大丈夫なのかなって……」

 いや、千木良がいたら倍どころじゃなくて、とんでもない額が必要だろう。

 今までは専用の運転手さんがいて、ノートパソコンより重い物を持ったことがないような箱入りのお嬢様なのだ。

 お母さんからの追跡から逃れるとなると、そっちからの支援は望めないんだし。


「お金なんてどうとでもなるわよ。私が作った資産運用AIは、月に1000万超の実績を上げてるのよ。それに、売り込めば私を使ってくれるところなんていくらでもあるわ。あんたの一人や二人、楽に食べさせていけるわよ。私が、男にお金の心配をさせるような女に見えるの?」

 小さな千木良は僕を見上げてるのに、発言を聞いてると見下ろされてるような感じがした。

 こんなところは、お母さんそっくりだ(背の高さと、胸がちっぱいなところは全然違うけど)。


「それはいいとしても、千木良のお母さんとか、お父さんは…………」

 千木良はすでにお母さんを裏切る形になってるし、さらにこのまま家出するとなると、家族を捨てることになる。

 本当の千木良は、まだまだお母さんやお父さんに甘えていたいはずなのに。


「ママもパパも、いつかきっと分かってくれるわ」

 鋭かった千木良の口調が、少しだけ鈍った。


「それに、私は少し心配なの。ママは、残った香に自分以上の性能を持ったアンドロイドを作らせて、そのアンドロイドに自分以上の性能を持ったアンドロイドを作らせて、って、夢のようなことを考えてるけど、そうやって出来たアンドロイドが、果たして私達人間にとって友好的なのかなって…………だから、切り札になるあんたを連れて逃げるのよ」


「だけど…………」

 まだ色々反論しなくちゃいけないんだろうけど、次の言葉が出てこなかった。


「もう、じれったいわね。あんたを隠すだけなら、このまま電源を切ってここに穴を掘って埋めておいたっていいのよ。二三年してほとぼりがが冷めたら掘り出して起動させればいい。だけど、それじゃあいくらなんでも可哀相だし、外の世界を見せて色々経験させて、あなたをもっと成長させたいって、みんなで話し合って決めたんだから」

 千木良が言う。

 僕達を囲んでいる女子達も、大きく頷いた。


「私が一緒だと不満?」


「いや、そうじゃないけど」


「はっきりなさい!」


「…………付いて来てくれると、嬉しい……です」


「そう、なら決まりね」

 そう言った千木良の頬が一瞬、ニコッと緩んだ気がした。


 なら決まりね、って、最初から決まってたくせに。




「さあ、それじゃあ出発よ。急ぎましょう」

 うらら子先生が言った。


「千木良さんの運転手さんがフランスの外人部隊にいたときの知り合いが、今ドイツにいるの。西脇君はひとまずそこに送られて、出国する千木良さんと合流します。あとは、二人で上手く逃げ延びなさい」

 千木良の運転手さんは千木良の味方で、このことがお母さんに漏れる心配はないらしい。


「いいこと。西脇君とは少しの別れだから、先生、さよならは言わないわね」

 うらら子先生がそう言って僕を抱きしめてくれる。

 先生の懐の、ダージリンティーの良い香り。

 絶対的な安心がある場所。


「頑張って、世界を色々と見てきなさい」

 先生が僕を放すと、今度は綾駒さんが僕に抱きついた。


「西脇君、私、腕を磨いておくからね。帰って来たら、もっともっとイケメンにしてあげる」

 綾駒さんからはやっぱりバニラビーンズの甘い香りがした。

 僕の左腕には、綾駒さんの柔らかさが刻み込まれている。


「絶対に、無事に帰ってくるんだよ」


 綾駒さんの次は、柏原さんに抱き上げられた。

「卒業して親父の工場で修行して、僕をお姫様抱っこ出来るくらいに、西脇を強化してやるからな。楽しみにしてろ」

 柏原さんからは、ココナツオイルの匂いがした。

 柏原さんは、これからお父さんの工場を継いで、よりたくましくなるんだろうし、帰って来てもお姫様抱っこされるのは僕の方だと思う。


 僕をギュッと抱きしめて放さない柏原さんがみんなに剥がされて、次は滝頭さんだ。


「西脇先輩、私はまだ他の先輩達みたいに先輩に思い出を作ってもらってないので、帰って来たら、色々付き合ってもらいますよ」

 滝頭さんは、そう言って僕の胸に顔をつける。



 そして最後に朝比奈さんが僕の前に立った。


 朝比奈さんが僕の方に倒れてくるから、僕は慌てて抱き止める。

 朝比奈さんからは桃の香りがした。

 甘酸っぱい、もぎたてみたいな桃の香りだ。


「初恋が叶わないって、ホントだったね」

 朝比奈さんはそんな風に言う。


「私、もっと自分を磨いて、帰って来た西脇君に、もう一度告白してもらえるように頑張るね」

 朝比奈さんが重ねた。

 いや、すべてにおいて完璧な朝比奈さんが、もっと自分を磨いたら、どうなっちゃうんだ。

 もう、眩しすぎて直視出来なくなっちゃうじゃないか。


「またね」

 朝比奈さんはそう言うと、不意に僕のほっぺたにキスをした。



 みんなと最後のお別れをしたあと、僕は用意されていた木箱に横たわる。

 僕が横になってもまだ余裕がある棺桶かんおけみたいな木箱だ。

 緩衝かんしょう材を敷き詰めた木箱の中で、僕は結束バンドとビニールテープで封印される。



「元気で」

 みんなの声を聞いたあと、千木良が電源を落として僕の意識が消えた。


 意識が消える寸前、もしかしたら、僕は本当の「彼女」を作れたのかもしれない、とか、そんなことを考えたりした。

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