第236話 ご褒美

 香が打ったパットは、カップを半周してからその中に吸い込まれた。

 空母「あかぎ」甲板上のグリーンに、カランと澄んだカップの金属音が響く。


 飛行甲板や艦橋にいる自衛隊員の人達が、拍手でたたえてくれた。

 海を隔てた競技場で沸き上がった地響きのような歓声が、ここにまで聞こえてくる。


「やったね! 馨君!」

「香ちゃん! 完璧!」

 グリーンの上で、僕達はハイタッチして喜び合った。

 本当はハグしたかったんだけど、カメラとか大勢の人達の目があるから、それは控える。

 香はもう、アイドルみたいに大人気になっていて、行動に気をつけないといけない。

 スキャンダルなんかになったら大変だ。




 あの香の水切りショットのあと、ちまちゃんとしーちゃんも同じようなショットを打ったんだけど、空母「あかぎ」の防衛用AIは香の打球の挙動をすぐに学習して、そのコースをふさいでしまった。

 二人のボールはレーザー兵器に打ち落とされて、何度打っても跳ね返された。

 結局二人ともリタイアした。

 17番ホールまでの二打差をひっくり返して、ゴルフ競技で香が優勝した。

 一種目とはいえ、僕達の香が、大企業や大学の研究室のアンドロイドを押さえて一位になったのだ。



「香ちゃん、やったね!」

 グリーン上で、しーちゃんが香を褒めてくれた。

「残念だけれど、私達の完敗だわ」

 しーちゃんのキャディーをしていた千木良のお母さんも、いつものキリッとした表情を崩して僕に笑いかける。

 その優しい笑顔に、思わず「おかあさん」って呼びそうになった。


「だけど、もう、これ以上は負けないわよ」

 千木良のお母さんは、どこか懐かしい匂いがする。




 勝利を決めたグリーンから、自衛隊のヘリコプターで競技場まで送ってもらった。

 競技場のフィールドの真ん中にヘリが降りて、香にスポットライトが当たる。


 香はそこで観客席からの大歓声を受けた。


 競技場の全周から送られるスタンディングオベーションの歓声は、しばらく鳴り止まなかった。

 満面の笑顔でそれに応えた香は、最後に大きくお辞儀して競技場を出る。



 スコアの確認をしたり、インタビューを受けたりして、僕達がみんなの所に戻れたのは、プレーが終わってから二時間後だった。


 控え室に戻ると、香はみんなに囲まれてもみくちゃにされる。

 女子達から、熱い抱擁ほうようの祝福を受けた。


「ほら、西脇君もおいで」

 うらら子先生がそう言って、僕ももみくちゃの中に放り込まれる。


 ああ、ここが天国か……


 そこは、いい匂いで、限りなく柔らかくて……

 体中に誰かのが当たっている。


 一瞬、意識が飛びそうになった。



「まあ、あんたのアイディアにはちょっとだけ感心したわ」

 歓喜の輪が一段落したところで、千木良が僕に向けて言う。

「香のキャディーとして、よく働いたわよ」

 千木良が珍しく僕を褒めた。

 そのあとでこっちに手を伸ばしてくるから、僕はいつも通り千木良を抱っこする。

 僕を褒めたご褒美として、強めに抱いておいた。



「さあ、私達も船に戻りましょう。本当はお祝いのバーベキューでもしたいんだけど、明日の競技もあるし、それに備えて今晩は早く休みましょうか」

 うらら子先生が言う。


 明日は、朝から水泳があって、料理に芸術種目と予定が詰まっていた。

 一日中東京の街をゴルフで駆け回ってたから、相当疲れていて、今日はぐっすりと眠れるかもしれない。


 そんなことを考えつつ船に戻って、それぞれの船室に分かれるところで、


「あっ、そういえば、ゴルフで香ちゃんが勝ったら西脇君になんでもするって約束したんだよね」

 烏丸さんが思い出したように言った。



 あっ…………そうだった。



「思い出さなくていいのに」

 千木良が舌打ちする。


「勢いで言っちゃったけど、あの約束有効なのかな?」

 綾駒さんが訊いた。


「僕は、一度口に出したからには約束は守るぞ」

 柏原さんがいさぎよく言う。


「煮るなり焼くなり、どうにでもしてください!」

 滝頭さんが大げさに言った。


「なんでもって言っても、西脇君は紳士だから、変なこと要求したりしないよね」

 朝比奈さんが、ちょっとほっぺたを赤らめながら僕の目を覗き込んだ。


「も、ももも、もちろんだよ」

 僕は言う。


「エッチなのはいけないんだよ」

 朝比奈さんが付け加えた。


「今はちょっと思いつかないから、その件については、後日、みんなに何かしてもらうってことでいいかな?」

 僕が訊くと、みんなが頷いた。


「お手柔らかにね」

 朝比奈さんが言って、僕達はそれぞれの部屋に散る。



 僕も、自分の船室に入った。


 ドアを閉めた僕は、船室の窓を開けて夜の海に向かった。


「やったあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 僕は、海に向けて叫ぶ。


 そうなのだ。


 僕は、女子達一人一人に、なんでもさせることができる権利を得たのだ。


 こんなに嬉しいことはない。


 なにをさせよう。

 夢が広がりすぎる。

 朝比奈さんにはあんなことさせたり、綾駒さんにはあんなことさせたり、柏原さんにはあんなことさせて、滝頭さんにはあんなこと。

 千木良にあんなことさせたら犯罪になるかもしれない。

 烏丸さんにはあんなことで、うらら子先生には…………


 僕が夜の海を眺めながら妄想の翼を広げていると、


 トントン。


 誰かが僕の部屋のドアをノックした。


「西脇君、ちょっといい?」

 ドアを開けると廊下にうらら子先生が立っている。

「はい、なんですか?」

 僕が言うやいなや、先生は僕の船室に入って、後ろ手にドアの鍵を閉めた。


「先生、なにを……」

 言いかけたところで、先生がシャツのボタンを外す。


「先生! なにしてるんですか!」

 僕は、当然のことを言った。

 ボタンが外れた先生の胸元から、ダージリンティーみたいな良い香りが漂ってくる。


「なにって、先生もゴルフの勝負に勝てたらなんでもするって約束したでしょ? 西脇君は、先生にさせようって思ってるんじゃないの」

 先生が言って、また一つボタンが開いた。


 確かに、当たらずとも遠からずだけど……


「先生、マズいです!」

 そうだ、マズい。

 僕とうらら子先生は、生徒と教師で……


「女性に恥をかかせる気?」

 先生がうるんだ瞳でそんなことを言う。


 先生が迫ってきて、僕はすぐに部屋の隅に追い込まれた。

 ここは狭い船室で逃げ場がない。


「さあ、覚悟を決めなさい」


 ああ。


 その時、船室のドアが鍵がカチリと解かれた。

 ドアを蹴破るようにして、女子達が入って来る。


「まったく、油断も隙もあったもんじゃないわ」

 千木良が冷めた声で言った。


「先生の怪しい行動を見てマスターキーを取ってきたけど、間に合って良かった」

 腕組みした綾駒さんが言って、先生が「ははは」と苦笑いする。


「さあ、先生、行きますよ」

 うらら子先生は、柏原さんと烏丸さんに両脇を取られて僕の部屋から強制退去させられた。

 先生は、足をバタバタさせながら部屋を出て行く。


 ホッとしたっていうか、残念だっていうか……


「先生も先生だけど、西脇君もしっかりしないとね」

 朝比奈さんに釘を刺される。


「さあ、明日に備えてシャワー浴びて寝なさい」

「はい」

 なんか、尻に敷かれてる感じになった。


 いや、僕と朝比奈さんは、別に付き合ってるってわけじゃないんだけど。



「西脇君が男の子だってことは分かってるから、ちょっとくらいならエッチなことでもいいかも」

「えっ?」

「ほら、あの、なんでもするって約束のこと」

 朝比奈さんがそう言い残して部屋を出て行く。


 ちょっとくらい、エッチなことでもいい……だと……



 その晩、僕は疲れてたのにほとんど眠れなかった。

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