第231話 ピンボール
「ビル越えでも道なりでもない、良い方法考えたよ」
渋谷のスクランブル交差点に作られたティーグラウンド、そこで香が笑顔を見せた。
香は、面白い悪戯を考えた、って幼い子供が言うときのような笑顔をしている。
「香が考えた方法でやっていい?」
小首を傾げて訊く香。
その大きな目がキラキラ輝いている。
「うん、香ちゃんのやりたいようにやればいいよ」
僕は答えた。
僕達がそんなふうに話しているあいだにも、前の組の人達が、次々にファーストショットを決めてコースに出て行った。
みんな、ビルの上や道路に向けて、豪快にボールを打ち出していく。
だけど、ビルを越えられなかったり、うまく曲がらずに街路樹にぶつかったりして、苦戦する選手が多かった。
さすがに、みんなこんなコースを想定した練習はしてこなかったんだろう。
上手く打てたとしても、ここは街中だから、ボールが看板の裏や物陰に入り込んだり、
ここは整備されたコースとは比べものにならない障害物の量だ。
そういうのを避けるには、ホールインワンとは言わずとも、一打でグリーンに乗せる必要があった。
「ミナモトアイさん」
アナウンスの声に紹介されて、いよいよ香の番になる。
ファンの人が見に来てくれていて、所々から歓声が聞こえた。
香は手を上げてその歓声に答える。
「がんばって」
僕はそう声を掛けながら一番ウッドを渡した。
「うん、馨君、見守っててね」
香はそう言うと、クラブを持ってティーグラウンドに上がる。
スクランブル交差点の真ん中にあるティーグラウンドは、さながら香のライブステージだった。
スクランブル交差点に集まった無数の人達の視線が香に集まる。
交差点を囲む大型スクリーンも、すべて香を映していた。
香が、ティーにボールを置いてスタンスをとる。
某1○9の円筒形の建物に向けて視線を定めると、二回三回と素振りをした。
この方向に向けてスイングするってことは、香は道なりにボールを打つって決めたんだろうか。
少なくとも、ビル越しに直接カップを狙うことはしないようだ。
素振りをしていた香が動きを止めた。
真剣な顔でボールに向き合う。
プレーが始まるのを悟って、観客が静かになった。
一瞬だけ、都会の真ん中が
ゆっくりとクラブを振り上げた香が、1○9に向けて豪快に振り抜いた。
残像でクラブが飴みたいに曲がる。
ボールが空気を切る音が交差点に響いた。
ボールは、まっすぐに円筒形の建物に向けて飛んでいく。
だけどあれ? ボールはそのままビルに向けて一直線に進み続けた。
右にも左にも、曲がる気配がまったくない。
そこにいたみんなが、あっと思った瞬間、ボールは建物にぶつかった。
そのまま、円筒形の壁面にはじかれてボールが角度を変える。
弾かれたボールは、道の反対側のビルにぶつかって、また角度を変えた。
そのボールが、また、反対側のビルの壁面で曲がる。
そうやって、ボールがビルの谷間を跳ね回った。
香がいう「良い方法」っていうのは、これのことだったんだろう。
ビル越えでもなく、道なりに曲げることもなく、ビルにボールをぶつけて、強引にボールを曲げたのだ。
ゴルフボールは、渋谷の街をピンボールの台にして飛んでいく。
だけど、こんなふうに打って、ちゃんとグリーンの近くにボールは落ちるんだろうか?
ティーグラウンドのこの位置からだと、ボールが落ちた場所はまったく見えない。
でも、そんなのは僕の愚問にすぎなかった。
「ミナモトアイ選手、ピン側、わずか30センチにつけました!」
アナウンスの声が聞こえて、香のボールがどこに飛んだのかが分かった。
交差点の大型スクリーンに、ボールの弾道とグリーンを映したリプレイが映る。
ビルの間をジグザグに跳ね回ったボールは、グリーンの隅に落ちてコロコロと転がると、カップの30センチ手前で止まった。
まるで、ボールが意志を持ったような動きで、ピンそばにピタッとつける。
香の奇跡的なショットに、静まり返っていた観衆から大歓声が上がった。
ひいき目なしに、今までで一番盛り上がったと思う。
「みんな、ありがとー!」
声援に笑顔で応えながら、香がティーグラウンドを降りた。
「やったね」
僕達はハイタッチで喜び合う。
「香ちゃん、あれ、ちゃんと計算してたの?」
僕は訊いた。
ビルの壁面を跳ねながらボールを飛ばしたあの
「うん、さっき、コースの下見をしたとき、建物を見て、こうすればいいんじゃないかって気付いたの。ここの障害物を逆に利用してやろうって思ったの。建物の形を三次元スキャンして、壁の材質から跳ね返る強さを計算して、ビルの間に吹く風とか、ボールの変形とか、何回もシミュレーションしたの」
香が、けろっとした顔で言った。
「ちなみに香は、このちょっとの時間に、154万パターンのシミュレーションをして、最適なショットを導き出してるわ」
僕がつけているヘッドセットから、千木良の声が聞こえる。
千木等はずっと香をモニターしてたから、その判断に至る行程を見ていたのだ。
「香は、建設会社の
千木良が続ける。
いつになく千木良の声が興奮していた。
「えへへへ……」
当の香は、そんなことおくびにも出さずに涼しい顔をしている。
二打目、グリーンに上がった香は、30センチのパットを簡単に沈めて、パー4の一番ホールでイーグルを取った。
香と同じ組の他の三人は、パーが二人とボギーが一人。
全体でも、このホールでイーグルを取ったのは、香の他には、しーちゃんとちまちゃんだけだ。
しーちゃんは、ビルを高々と越えるショットで、よもやホールインワンっていうスーパーショット、ちまちゃんは、まるで魔法みたいに道なりにボールを曲げるショットで、グリーンに乗せた。
こんな感じで午前中9ホールを回った香は、しーちゃんとちまちゃんに続いて三位につけて、午後からの9ホールは、しーちゃんとちまちゃんがいる最終組になった。
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