第228話 徹夜

 すぐに、香の分解が始まった。

 まず、ユニフォームを脱がせて水着を着せる。

 作業の間、僕の前で香を裸にするわけにはいかないってことで、うらら子先生が着せた(だけど、なぜその水着がスクール水着(旧型)なのかは謎だ)。


 水着に着替えた香を工作台に乗せて、電源を切った。

 工作台の上でまぶしいライトを当てられた香は、まさしく、これから手術を受ける患者のようだ。


「始めるよ」

 ブルーの作業着の柏原さんが、右腕と肩の境目の辺りに躊躇ちゅうちょなくメスを入れた。

 鋭利えいりなメスは、スッと、なんの抵抗もなく皮膚に入る。

 皮膚を切って、筋肉の代わりをしているアクチュエーターを露出させた。

 傷つけないように、丁寧にアクチュエーターのコネクターを外していく柏原さん。


 外したアクチュエーターは、やっぱり所々断絶していて、漏れた油がしたたっていた。

 油が赤みがかってるから、香が血を流してるみたいに見える。

 僕は腕の下にトレイを敷いて、雑巾で油を丁寧に拭いた。


 一時間かけて柏原さんがすべてのアクチュエーターを外し終わると、腕と肩をつなぐ関節があらわになる。

 そのチタンの関節を、ワインオープナーみたいな形の専用工具で外せば、それでやっと腕を取り外すことが出来た。


 体から外れた腕が、アクチュエーターの収縮でピクピク動いて、一瞬ひやっとする。


 この感じで、左腕と両足も体から外した。

 力仕事だから、柏原さんの助手は僕と烏丸さんが主になって作業する。


 柏原さんが左足を外してる間に、僕が右足を外した。


「西脇、手順、よく分かるな」

 僕の作業を見て柏原さんが言う。

「うん、なんか、毎日柏原さんが香を整備するところを見てたら、自然と分かる気がして」

 いわゆる、門前の小僧習わぬ経を読む、ってやつだろうか。

 僕は、柏原さんから指示を受けなくても、なんとなくどうすればいいか分かるようになっていた。


 二人で同時に作業して、両足を胴体から外す。


 両手足が外れたところで、右手と左足の接合部分を柏原さんが念入りに調べた。

 ドライヤーみたいな形の三次元測定器を当てて、部品の形を測る。


「どう?」

 僕が訊いた。

「ああ、やっぱり基部も変形してるな。ここも部品を交換しないと」

 柏原さんが眉をしかめる。


 すぐに柏原さんが部品を外しにかかって、僕は、弐号機から同じ部品を外した。

 僕と烏丸さんは、油まみれになりながら柏原さんを手伝う。


 工作室では、他に、しーちゃんのスタッフが、しーちゃんのチェックを終えて撤収てっしゅうしようとしていた。

 しーちゃんの方は、一日の競技を終えて、どこも問題なかったらしい。

 しーちゃんが、分解された香を心配そうに見ていた。



「はい、おにぎり握ってきたよ」

 作業してる僕達のために、朝比奈さんと滝頭さんが夜食を持ってくる。

 僕の手が油まみれだったから、朝比奈さんが「あーん」って、おにぎりを食べさせてくれた。


 今まで食べた中で一番美味しいおにぎりだったと思う。


 緊張して、おにぎりと一緒に朝比奈さんの指を噛んじゃったけど、これは断じて故意じゃない。

 おかずに付けてくれた鶏の唐揚げと卵焼きも、飛び切り美味しかった。



 作業が深夜に及んで、千木良のお母さんの会社の人が工作室に仮眠用のベッドを用意してくれた。

 船に積んであった、折り畳み式のベッドを幾つか並べる。



「はい、それじゃあ、私達は寝ておこうか」

 先生が言って、朝比奈さんと綾駒さん、滝頭さんがベッドに横になった。


「千木良も少し寝たら?」

 僕は、僕達のすぐ横でパソコンの画面を見つめている千木良に言う。


「いいわよ、まだ眠くないし」

 千木良はそう言うけど、もう、目蓋まぶたが半分くらい閉じていた。

 口調もふにゃふにゃで、今にも居眠りしそうだ。

「明日も香のことモニターしてもらわないといけないし、ちょっと寝ておこう」

 僕が言うと、千木良は渋々寝ることに同意した。

「ほら、お母さんのところで寝てこい」

 柏原さんが言う。


「私もここでいい」

 だけど、千木良はそう言って工作室のベッドに横になった。


 せっかくお母さんと一緒にいられるチャンスなのに、千木良は僕達の近くにいたいって思ってくれてるんだろう。

 そんな千木良の心意気が嬉しい。

 これは、ご褒美として、オリンピックが終わって部室に帰ったら、昼寝とかで思いっきり添い寝してあげようと思う。




 徹夜作業で手足の交換が終わったのは、午前三時過ぎだった。

 大仕事を終えて、柏原さんが手にしていた工具を置く。


 テストのために、香の電源を入れて再起動させた。

 香が目をパチパチさせながら上半身を起こす。

 まだ皮膚が付いていないむき出しの手足で、工作台から立ち上がる香。


「どう? 香ちゃん」

 僕が訊く。


「うん! すっごく動きやすいよ。前と全然変わらない」

 香が、手を回したり、屈伸くっしん運動しながら言った。

 手足の指先まで繊細に動いていて、移植は成功したようだ。


「今度の手と足は、大切に使うね」

 そう言って笑う香。


 香の軽口を聞いた柏原さんが、やり遂げたって感じで大きめのため息を吐いた。

 そこで力尽きた柏原さんは、すぐ横の柱にもたれ掛かる。

 そのまま床に倒れそうだったから、僕は慌てて抱き留めた。


「大丈夫?」

 って訊くと、柏原さんは静かに頷く。

 潤んだ目を上目遣いにする柏原さん。

 いつもカッコいい柏原さんを、この瞬間、可愛いとか思ってしまった。


 くっつくと、やっぱり柏原さんからはココナツオイルみたいな匂いがする。


 僕はそのまま柏原さんをお姫様抱っこして、ベッドに寝かせた。


「僕が西脇にお姫様抱っこされるとはな」

 柏原さんは、そんなこと言いながら眠りにつく。


「柏原さんばっかりずるい」

 烏丸さんが言って僕に手を伸ばしてくるから、烏丸さんもお姫様抱っこしてベッドに寝かせた。



「さあ、ここからは私の出番だね」

 仮眠から起きた綾駒さんが手にゴム手袋をはめた。

 朝比奈さんや滝頭さん、うらら子先生も起きる。


 再び香を工作台に寝かせて、電源を切った。


 スモッグ姿の綾駒さんが、骨格と筋肉の上に皮膚をかぶせて、充填じゅうてん材を入れながら形を整えていく。

 アクチュエーターの凸凹が分からなくなるように、皮膚との隙間に充填材を詰める、職人技的な作業だ。


 香の隣には、香と同じようにスクール水着を着た朝比奈さんが立った。

 モデルとして、綾駒さんの造形の見本になるためだ。


「もう! 西脇君、そんなに見ないで」

 朝比奈さんが言った。


 まずい、疲れてたこともあってか、なにも考えず朝比奈さんの体を凝視ぎょうししていた。

 僕は、口を開けてだらしない顔をしてたかもしれない(それにしても、朝比奈さんにまで着せるなんて、うらら子先生、スクール水着(旧型)を何着持ってきてるんだ……)。


「ほら、西脇君も寝なさい。あとの作業は私達がやっておくから」

 うらら子先生が言う。


「いえ、僕はまだ平気です」

 眠いけど、作業を最後まで見届けたかった。


「だめよ。オリンピックはまだあと三日もあるんだし、あなたに倒れられたら大変だもの」

 先生が言う。


「だけど……」


「西脇君寝て。水着なら、あとでたっぷりと見せてあげるから」

 朝比奈さんがほっぺたを真っ赤にしながら言った。


 いや、僕は別に朝比奈さんの水着姿を見ていたくて起きてるわけじゃないんだけど(まあ、言質を取ったから、後でじっくりと水着を見せてもらおう)。


 みんなの言葉に甘えて、僕も寝かせてもらった。

 柏原さんと烏丸さんに挟まれて寝る。

 相当疲れてたらしく、横になったらスイッチが切れたみたいに眠ってしまった。


 そのまま深い眠りに落ちて、夢も見なかった。





「西脇君、起きて」

 目が覚めると、二人の朝比奈さんが僕の顔を覗き込んでいる。


 どっちが香でどっちが朝比奈さんか、まったく分からなかった。

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