第224話 初陣

 僕達が競技場に降りると、トラックでは単独種目の100メートル走の予選が行われていた。


 目の前を、選手達が飛ぶように駆け抜けていく。

 地面に足をほとんど着いてないから、実際、選手達は飛んでいるようなものだ。

 最低でも地面に十歩は足を着かないといけないっていう、ルールぎりぎりで走ってるんだろう。


 走者が起こす風で、僕が抱っこしている千木良の前髪が揺れて、可愛いおでこが見えた。

 可愛いから、とりあえずおでこをなでなでしておく。


 弾丸のように目の前を通り過ぎる選手達は、当たり前のように4秒台を出していた。


「ここが天国か……」

 機械大好きの柏原さんが、たくさんのアンドロイドに囲まれて興奮している。

 アンドロイドのほかに、持ち込まれた様々な工具にも興味津々だ。

 柏原さんは競技場の端にテープで仕切られているコーチエリアからはみ出しそうになって、係員の人に止められる。



 トラックの中のフィールドに目を移すと、そこでは単独種目の走り高跳びが行われていた。

 バーの高さは25メートルまで上げられていたけど、選手達はそれを軽々と乗り越える。

 助走からの踏み切りで、ピンボールの玉みたいに空に打ち上がった。

 25メートルでも、みんなまだまだ余裕がある。

 選手が一人飛ぶごとにスタンド全体から歓声が沸き上がった。

 25メートルの高さからマットにダイブするとき、くるっと一回転を決める選手もいて、より一層大きな歓声が上がる。


 僕のことなんか誰も見てないんだろうけど、競技場に立っていると、スタンドからみんなの視線を受けてるみたいで、ちょっと緊張した。



 しばらく待っていると、更衣室で着替えていた香が、ランニングとショートパンツのユニフォームに着替えてトラックに出てくる。

「香ちゃん!」

 僕の声に反応して、香が僕達がいるコーチエリアに駆け寄ってきた。


 香が出場する十種競技の100メートル走は、今行われている単独種目の100メートルの次だ。


「みんな、香がんばるよ!」

 香が、顔の前で二つ握り拳を作った。

 アンドロイドだから鼻息は出ないんだけど、鼻息が荒い気がする。


 香が着ているユニフォームは、うらら子先生の手作りだ。

 スクールカラーの深緑で、ゼッケンの布の下に、「卒業までに彼女作る部」っていう刺繍ししゅうが入っていた。

 まだ僕達の正体を明かすわけにはいかないから、こんなふうにゼッケンに隠す形になっている。



 香と同じように、十種競技に出場するアンドロイド全員が競技場に姿を現した。

 結局、十種競技にエントリーしたのは、香も含めて20体しかいない。

 体力に知力、そして芸術的センスと、総合力を求められる十種はそれだけハードルが高いってことだろう。

 当然、ほかの出場選手は、みんな大企業だったり、大学の研究室からの出身で、僕達みたいな高校生チームはなかった。

 大人ばかりのコーチエリアの中で、僕達は確実に浮いている。

 お前らなにしてるんだ? みたいに、冷たい目で見る人もいた。


「香ちゃん、練習通りに走ればいいからね」

 朝比奈さんが香に優しく声をかける。

「師匠、人間達に私達の能力を見せつけてやってください」

 滝頭さんは普段どおりだ。



 香の出走順は三組あるうちの一組目で、同じ組に、あの「ちまちゃん」もいる。


 僕達のすぐ近くにいるちまちゃんは、たくさんのスタッフに囲まれていた。

 体全体に、何か電極が付いた湿布しっぷのようなものをペタペタ貼っている。

 あれで体を冷やしてるんだろうか?

 ノートパソコンを持ったスタッフが何人もいて、常にちまちゃんの様子をモニタリングしてるみたいだった。

 そんなちまちゃんを見てたら、テレビで見たF1のピットを思い出す。

 金額的にも、それくらいの予算が注ぎ込まれてるんだと思う。


 ちなみに、ちまちゃんのユニフォームは、体操着にブルマだった。


 あざとい、あざとすぎる!


 ちまちゃん同様、三組目で走るしーちゃんも、多くのスタッフに囲まれていて近付けなかった。

 しーちゃんは、頭にたくさんのコードが付いたティアラみたいなのを被っている。

 香が遠くから手を振ると、しーちゃんは小さく手を振って反応してくれた。



「十種競技の参加選手は集合してください」

 まもなく、審判員がコールをして、囲んでいたスタッフが離れる。

 単独種目の100メートル予選が終わって、いよいよ香の出番だ。


「香ちゃん、頑張って」

 僕は香の目を見て言った。

「うん!」

 香が無邪気に答える。

「ファイト!」

 烏丸さんが体育会系の声援を送った。

 みんなで口々に言って香を送り出す。



「ただいまから、十種競技、一種目目の100メートル走を行います」

 競技場にアナウンスが流れた。

 係員に従って、香がスタート地点に立つ。

 スターティングブロックを自分に丁度いいように調整する香。


 一組目に走るのは七人だ。

 香は第二コース、そして、ちまちゃんは第六コースだった。


「第二コース、ミナモトアイさん」

 アナウンスに呼ばれて、香が手を挙げる。

 スタンドから、そこそこの声援が上がった。


「第六コース、Tyrellタイレル Typeタイプ23 Chimaちまさん」

 ちまちゃんの時は、段違いの声援が飛ぶ。

 ちまちゃんはもじもじしながら控えめに手を挙げた。

 その仕草に心を射抜かれる者多数。


 七人全員の紹介が終わると、いよいよスターターがピストルを構えた。



「位置について、よーい」



 パンッ!と、スターターピストルの音に続いて、香がロケットのようにスターティングブロックから飛び出す。


 低い姿勢から数歩で最高速に達する爆発的な加速は、練習どおりだ。

 そこから、一歩一歩、地面を思いっきり蹴って飛ぶように走る。

 浮き上がろうとする体を、香はねじ伏せながら前に倒した。

 強烈に手足がしなってるのに、顔は全くの澄まし顔だ。

 走ってる瞬間は、そんな香が恐いと感じたりする。


 だけど、それ以上に恐い存在があった。

 小さなちまちゃんが、弾丸みたいに僕達の前を駆け抜けていくのだ。

 一歩で20メートル以上進んでいると思う。

 顔に浮かべた満面の笑みとのギャップが凄い。


 勝負は一瞬で終わった。


 香は、一組目の七人の中で四位でゴールする。

 正直、ビリじゃないことにほっとしたって言ったら、香に怒られるだろうか。


 スクリーンに記録が表示されると、スタンドからどよめきが起こった。


 その原因はちまちゃん。

 ちまちゃんの記録は、4秒22だった。

 これは、さっきの単独種目の100メートル予選記録より速い。

 単独種目の方に出てたら、確実に金メダルだ。

 観客がどよめく中でも、ちまちゃんはふるふると震えている。


 一方で香の記録は、4秒92だった。


 僕達は跳び上がって喜ぶ。

 僕は、女子達一人一人ときつくハグをした。

 学校のグラウンドではどうしても5秒を切れなかったけど、本番でそれが切れたのだ。

 香は、練習以上の力を出してくれている。


 十種競技の100メートルの計算式、「25.4347×(18-4.92)の1.81乗」で計算すると、香の得点は2669点(小数点以下切り捨て)。


 ちまちゃんの得点は、2934点。


「まあ、上々の滑り出しじゃない」

 うらら子先生が言った。

 優勝候補のちまちゃんと、一種目目で300点以上の差がつかなかったのは、確かに上々かもしれない。



 だけど、そんな僕達の考えが甘いってことはすぐに思い知らされた。


 三組目で走ったしーちゃんが、3.96秒っていう、4秒切りの世界記録を叩き出したのだ。

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