第214話 ピラニア

「先生、研修がんばってくださいね」

「こっちのことは任せてください」

「裸で寝たら駄目ですよ」

「お酒もほどほどに」

「おみやげ待ってますね」

 部室の玄関で、僕達は研修に出かけるうらら子先生のお見送りをした。


 いつもの紺のスーツ姿で、スーツケースを引っ張っている先生。

 さっきまで散々行きたくないって愚図ぐずってたんだけど、僕達がなんとか服を着せて、お化粧させて、支度を整えた。

 スーツを着たら、なんとか凛々しい教師モードになったうらら子先生。


 やっぱり、うらら子先生は断然こっちの方がいい。


「行ってきます」

 先生はそう言って、玄関を出ようとする。


 ところが、そこでこっちを振り返って、

「西脇君、今すぐ荷物をまとめなさい」

 先生がそんなことを言い出した。


「やっぱり、心配だからあなたを先生の宿泊先のホテルに泊めることにする。西脇君は、先生が研修してるあいだ、そこで過ごしなさい。ほら、先生は聖職者なんだし、西脇君には指一本触れないって約束出来るから、その方が安全じゃない」

 うらら子先生が必死に訴えかける。


「先生が一番危ないじゃない」

 千木良がぼそっと言った。


「なんですって!」

 先生が片方の眉を釣り上げて、千木良は柏原さんの後ろに隠れる。


「先生、僕達は良い子にしてますから、大丈夫です。安心してお仕事がんばって来てください」

 収拾がつかなくなりそうだったから、僕が先生をなだめた。


 すると先生は、いきなり僕を抱きしめる。

 先生の胸に抱きしめられて、むせかえるような先生の香りに包まれた。

 先生からはいつものダージリンティーみたいな香りがする。

 すごく落ち着く匂いだ。

 僕は、抱きしめられたまま、先生の背中をぽんぽんする。


「うん、分かった。先生、がんばってくるね」

 先生はそう言うと僕を放した。

「いってきます」

 今度こそスーツケースを引いて、玄関を出ていく。


「いってらっしゃい」

 僕達は玄関で手を振って先生を見送った。


 先生が林の獣道に消える。

 先生が見えなくなっても、しばらくそのまま手を振り続けていた僕達。


「先生、行ったね」

 柏原さんが言った。


「行ったみたいだね」

 綾駒さんも言う。


「センサーから反応が消えたわ。先生、今度こそ大人しく研修に行ったみたい」

 千木良が手元のノートパソコンで警備システムを見ながら言う。


「さてと、私達だけになったね」

 烏丸さんが意味ありげに言った。



 女子達が僕を囲む。

「み、みんな、どうしたの? 落ち行こう」

 僕は言った。


 みんなが、僕を囲む。

 360度女子に囲まれていて、どこにも逃げ場がなかった。

 僕を囲むその輪が、徐々に狭くなる。


 僕は、この上ない身の危険を感じた。

 ピラニアの池に落ちて、骨になるまで食べられちゃうような危機感。



「さあ、それじゃあ、円陣組んで、部活動がんばりましょう!」

 朝比奈さんが言った。


「絶対金メダル取るぞ!」

「おーーーー!」

「卒業までに彼女作る部、ファイト!」

「おーーーー!」

 柏原さんが音頭をとって、そんな掛け声を掛ける。


 なんか、運動部みたいだ。


 僕は、円陣の真ん中で目をパチパチさせて驚きっぱなしだった。


「次は部長が掛け声を掛けてくれよ」

 柏原さんが僕の肩をポンと叩く。


「よし、香、テントに来てくれ。今日届いた新しいパーツを試そう」

 柏原さんが言って、香が「うん!」と元気よく返事をした。

「先輩、私も手伝います!」

 滝頭さんがついていく。


「それじゃあ、弐号機ちゃんは私が借りるね。ダンスの振り付けの詰めをしたいし」

 烏丸さんが動きやすいように髪を結び直した。


「私も、香ちゃんに見せる美術史の資料、用意しよう」

 綾駒さんが居間のちゃぶ台に山のような資料を積む。


「さて、私も、私の美しいコードに磨きをかけてこようーっと」

 千木良がコンピュータールームに向かった。


 部長の僕がなんか言わなくても、みんな自発的に動く。

 先生がいなくなった途端、だらけるとか、ふざけて遊び出すとか、そんなのは杞憂きゆうだった。



「みんな、この部活を守りたいんだよ」

 朝比奈さんが言う。


「だって、この部室が使えなくなったり、この部活がなくなったら大変だからね。せっかく西脇君が作ってくれた部活だもん。こうして、みんなと一緒にいられなくなるのは嫌だし、オリンピックでは結果を出さないと」

 朝比奈さんが続けた。


「みんな、西脇君とずっとここにいたいんだよ。それは、私だって…………」

 朝比奈さんが、そこで言葉を止める。


「うん、ありがとう」

 僕が言うと、朝比奈さんはとびきりの笑顔を見せてくれた。


「さあ、私は、お掃除するね」

 朝比奈さんが言う。

「じゃあ、僕は、洗濯と布団干しをする」

 部活動に一生懸命になってるみんなを、少しでも快適に過ごさせてあげたい。

 僕は、みんなのサポートに徹することにした。



 先生がいなくなっても、僕達は全力で部活をした。


 暑い中、目一杯部活をして、疲れたら縁側で少し昼寝をして、起きて、おやつにかき氷を食べる。

 朝比奈さんが香と一緒に作ってくれたのは、こしあんと練乳がたっぷりかけてある、抹茶かき氷だ。


 おやつのあと、夕飯まで部活をして、夜は久しぶりにグラウンドでタイム計測しよう、なんてみんなで話してたら、空がにわかに曇り始めた。

 黒い雲があっという間に空を埋めて、まだ夕方なのに辺りが真っ暗になる。


「きゃ!」

 遠くで雷の音が聞こえて、千木良が僕にしがみついた。

 雷鳴はだんだんとこっちに近づいて来る。


 林の中に冷たい風が吹いた。


 まもなく、ぽつぽつと雨粒が落ちてきたと思ったら、すぐにどしゃぶりになる。

 まさしく、バケツをひっくり返したような雨になって辺りが煙った。


 僕達は部室の中に入って窓を閉めた。


 縁側の窓から外を見ていると、ひょうも降ってきて、ピンポン球くらいのやつが中庭に転がる。

 雨音で大きな声を出さないと会話出来なくなった。


 僕達がいつも通っている獣道が川のようになって、雨水が外へ流れていく。

 それは激流になった。


「あの道が通れないと、もう、外に出られないし、外からもここに入ってこれないな」

 柏原さんが言う。

 この部室は、林の中にあって外から見えないし、陸の孤島のようになってしまう。



「なんか、先生がいないとちょっと心細いね」

 朝比奈さんが言った。

「先生、お父さんみたいだったもんね」

 綾駒さんも言う。

 20代でお父さんみたいと言われてしまう先生もどうかと思うけど、確かに先生が僕達のお父さん的存在なのは確かだ。


 女子達がぎゅっと、僕の周りに寄り添ってきた。


 こういうとき、部長の僕がなんか勇ましいことを言って、みんなを安心させないといけないんだろう。


「さあ、いつも通りご飯を食べて、お風呂に入って、夜は部室の中で出来る活動をしよう」

 僕がそう言って、みんなが頷いたときだった。


 直前に、外が一瞬昼間みたいに明るくなったと思ったら、


 ドーーーーーーーーーーーン。


 と、耳元で爆弾が爆発したような音がして、部室が揺れた。

 次の瞬間、目の前が真っ暗になる。


「きゃーーーーーーーーーーー!」

 って、女子達の悲鳴がサラウンドで聞こえて、四方八方からみんなが僕に抱きついてきた。


 雷が近くに落ちて停電したみたいだ。


 暗がりで誰が誰だか見えないけど、僕はみんなを抱きしめておく。

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