第195話 スタート

 うらら子先生によるテスト走行を終えて、柏原さんがチューニングしたR32スカイラインは、ついに完成した。

 完成はギリギリで、決戦の朝になっちゃったけど。


 テスト走行を終えた先生が、車を一旦ピットに入れる。

 決戦の日、空は晴れていて、サーキットの上空は雲一つなかった。

 徹夜明けでサーキットに来ていて、ちょっとテンションが高い僕達。



「最後に、みんなで綺麗に磨こう」

 完成したR32を前にして朝比奈さんが言った。

「うん、そうだね」

 僕達「卒業までに彼女作る部」の部員は、手分けして車を磨く。


 初めて見たとき、外観がやつれていて、古ぼけた印象がぬぐえなかったこの車は、エアロパーツやリアウイングが取り付けられ、車高も落ちて凄みが増している。

 アルミホイールの隙間から覗く金色のブレーキキャリパーとか、僕の拳が余裕で入る太さのマフラー、フロントバンパーから見える大きなインタークーラーも大迫力だ。

 内装はほとんど剥がされて車体の金属が剥き出しになってるし、ロールバーが組まれて、運転席だけにバケットシートが載せてあった。

 まさに、速く走るためだけに作られた車だ。


 そんな車体をみんなで丁寧に磨いた。

 水洗いしたあと、乾かしてワックスをかける。

 千木良なんて、自分が使った食器も洗ったことがないお嬢様のくせに、油で汚れながら、丁寧にウエスをかけていた(今日の千木良は良い子だから、あとでご褒美に入念にほっぺたすりすりしてあげようと思う)。


 みんなで磨いてピカピカになった車体は、宝石のように輝く。

 僕達は、しばらく満足げに車体を眺めた。


「それじゃあ、最後にこれを貼って完成にしようか」

 柏原さんが言う。

 柏原さん、手になにかペラペラの紙のようなものを持っていた。

 それをスカイラインのドアにあてがう。


 それは、白い文字のステッカーだった。

 ステッカーには、「卒業までに彼女作る部」って書いてある。

 角が丸い、可愛らしいフォントの文字だった。


「うちの部のみんなで作った車だから、これを貼ろうと思ってさ」

 柏原さんが言う。

 柏原さんは、左右のドアに貼る分と、ボンネットに貼る分、そして、リアウインドウに貼る分の四枚のステッカーを用意していた。

 僕達には内緒でこれを作ってたらしい。


「こんなの貼ったら、カッコイイ車が、一気にモテない男の哀愁あいしゅうを帯びた車になっちゃうけど」

 千木良が言った。

 確かに、AE86に貼られたステッカー以上のミスマッチ感だ。

 卒業までに彼女作る、とか、メッセージ性が強すぎる。


「いいんだよ、これは僕達の記念の車なんだから」

 柏原さんが笑った。

 柏原さん、真っ白い歯が見える良い笑顔だけど、笑顔の奥に、もう勝敗は分かっているって感じの寂しさも見えた。


「よし、貼らせてもらおう!」

 僕が言って、みんなで四枚のステッカーを車体に貼った。

 貼ってみると、ガンメタリックのボディーに白い文字が映えていい感じだ。

 「卒業までに彼女作る部」って書いてある文字は、やっぱり、アレだったけど。


 貼り終えたところで、車の前に並んでみんなで記念写真を撮った。

 柏原さんを真ん中に置いて、周りをみんなで囲む。

「ほら、部長も前に来いよ」

 柏原さんに言われて、僕は柏原さんに抱っこされるみたいな感じで写真に納まった。


 そういえば、千木良が、「私にお父さんに勝てるアイディアがある」とか自信ありげに言ってたけど、結局この決戦当日まで、それがなんなのかは分からなかった。

 この車のコンピューターは千木良が調整したから、それになにか秘密でもあるんだろうか?

 エンジンの性能を飛躍的に上げる仕組みとか、先生の運転がプロドライバー並になるチートプログラムを組んだとか、そんな秘密兵器が。




 僕達の準備が整ったところで、ピットからお父さんの車が出てくる。

 同じR32スカイラインでも、目が覚めるような真っ白なボディ、それが、傷一つないくらいにピカピカに磨かれていた。

 外観はほぼノーマルに見えるのに、近くにいると、エンジンの音が内臓を揺らすように響く。

 僕達の「卒業までに彼女作る部」号は派手な迫力があるけど、お父さんの車は、外観は普通で中身がすごい、まさに羊の皮を被った狼って感じだ。


 ピットレーンに車を停めて、中からお父さんが出てきた。

 190を越えるイケメンのお父さんに、女子達の目がハートになる。

 お父さんはダークグリーンのレーシングスーツを着ていた。

 小脇に抱える青いヘルメットは、現役のレーサー時代に使っていたものということで、スポンサーのロゴとかがたくさん付いている。



 車から降りたお父さんと、柏原さんを中心に並んだ僕達が対峙たいじした。


「つみき、分かってるな」

 お父さんが短く言った。

「うん、もちろん」

 柏原さんがお父さんの視線を正面から受けて頷く。

 絶対に勝てないって分かってても、一度勝負を受けたからには、約束を守るってことなんだろう。

 柏原さんらしい、堂々とした態度だ。


「よし、始めようか」

 お父さんがヘルメットを被った。

 こちら側のドライバーであるうらら子先生もヘルメットを被る。

 勝負に及んでうらら子先生はどんな顔をしてるんだろうか?

 ヘルメットのバイザーを下ろすと、もう、その表情が見えない。


「先生、くれぐれも無理だけはしないでくださいね」

 柏原さんが言った。僕達もそれに頷く。

 先生のことだから、生徒のためにどうにかして勝とうと無理して、事故でも起こしたら大変だ。

 柏原さんの言葉に、先生が親指を立てて応えた。



 お父さんが車に乗り込んで、いよいよ勝負が始まるってときになって、

「ちょっと、もう一回、おしっこね」

 うらら子先生がそう言ってヘルメットを被ったままトイレに向かった。

「だって、緊張するんだもの!」

 先生が走って行く。


 緊張で張り詰めていたこの場が、少しだけ和んだ。

 先生はそれを意図してたんだろうか。

 まあ、違うんだろうけど……


 トイレから帰ってきた先生が、ばつが悪そうに無言で車に乗り込んだ。

 シートに身を沈めて、四点式のシートベルトを絞める。


 仕切り直して、今度こそ対決が始まった。


 先行するお父さんのスカイラインがスタートする。

 遅れて、僕達のスカイラインも走り出した。

 僕達は急いでコースが見渡せるピットの上の観覧台に移る。


 そのままコースをゆっくりと二周走ったところで、いよいよ勝負の十周が始まった。

 この十周以内にお父さんの車を抜けなければ僕達の負けだ。

 柏原さんは、お父さんの自動車修理工場を継ぐのを諦めることになる。



 お父さんがアクセルを床まで踏んで、その後を「卒業までに彼女作る部」号が追いかけていく。

 二台が発する気持ちいいエンジン音が、山裾に響いた。

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