第186話 お泊まり会

 これは誰のパンツだろう?


 うちの風呂の脱衣所で、洗濯機の上に、僕が知らないパンツとブラジャーが置いてあった。


 上品な臙脂えんじ色で、レースを贅沢ぜいたくに使った真新しいパンツ。


 僕が知る限り、これは妹の野々パンツではない。

 野々がこんなパンツもブラジャーも持っていないことを、僕は断言できる。


 とすると、今、風呂場からシャワーの音や洗面器からお湯を流す音が聞こえるけど、これは中に野々が入ってるってわけじゃないってことだ。


 危ない危ない。


 野々かと思って、危うく普通に風呂場のドアを開けるところだった。




 東京アンドロイドオリンピックの予選会のあと、夜を徹して行われた焼き肉パーティーをして、家に帰って眠った僕は、夜になって起きてひとまずシャワーを浴びようとした。

 そしたら、風呂場にこんなパンツを置いた先客がいたのだ。

 念のために言うと、これは母のパンツでもないと思う。

 パンツの他に、僕と同年代の女子が着るような、ブラウスとか、キュロットスカートとかが脱いであるし(それに母はゴールデンウイークで旅行に出かけていて家にいない)。


 だとしたら、これは一体、誰のパンツだろう?


 様々な可能性を考えてみたけど分からなかった。

 もしかしたら、僕にまだ見ぬ妹かお姉ちゃんがいて、その彼女を突然我が家で引き取ることになったとか、そういうことだろうか?

 あるいは、魔界のプリンセスが、人間界を視察するために、我が家にホームステイしに来たとか。


 謎のパンツを前にいろんな可能性に思いをせてたら、風呂場のドアがガラッと開いた。



「あっ、先輩。お邪魔してます」

 ドアの隙間から顔を出したのは、滝頭さんだった。


「いえ、大したお構いもせずに」

 あまりのことに、僕は頓狂とんきょうな返しをしてしまう。


 滝頭さんはいつもの三つ編みを解いて、後頭部でお団子にまとめていた。

 お風呂で温まってほっぺたが真っ赤で、後れ毛が濡れている滝頭さん。

 滝頭さんの鎖骨さこつの辺りで、肌がお湯を弾いて玉になっている。



「先輩、あの、私、お風呂から出たいので、脱衣所から出てもらえますか?」

 ドアの隙間から滝頭さんが言う。


「あっ、ごめんごめん」

 僕は、急いで脱衣所を出た。

 ここは我が家で、なんで謝ってるのか、分からないけど。



「滝頭さん、なんで、うちにいるの?」

 Tシャツと短パンに着替えて脱衣所から出て来た滝頭さんに、僕は当然の質問をした。


「はい、ゴールデンウイーク中に、野々ちゃんと『お泊まり会』しようって約束していたので、それでお邪魔しました」

 滝頭さんが言う。

 滝頭さんからは、シャンプーの甘い香りが漂ってきた。


「へえ、そうなんだ」

 そういえば、野々と滝頭さんはクラスメートだった。

 いつの間にか二人は「お泊まり会」をするような間柄になっていたらしい。


「でも、あれ、洗濯機の上にあったの、滝頭さんのパンツじゃないみたいだったけど」

 僕が知る限り、滝頭さんは学校ではしまパンを穿いていた。

 滝頭さんがあんなパンツを穿いてるのは、見たことがない。


「はい、お泊まり会なので、勝負パンツ穿いてきました」

 滝頭さんが得意顔で言った。


 滝頭さん、勝負パンツって、一体なにと戦うんだ…………



「お兄ちゃん、凜ちゃんに変なことしてないでしょうね」

 僕達が話してるところへ、二階から野々が下りてきた。

 タンクトップに短パンの野々。


「滝頭さんが来るなら来るって、言っておいてくれないと」

 僕は野々に文句を言った。

 僕にだって準備がある(色々と)。


「朝言ったよ。でもお兄ちゃん、眠そうな顔して聞いてなかったんじゃない」

 野々に言われた。


 確かに、泥酔でいすいしたうらら子先生に一晩中愚痴ぐちを聞かされて眠れなかった僕は、朦朧もうろうとしていて、今朝、野々の話を聞いていなかったかもしれない。


「凜ちゃん、部屋行こう」

「うん」

 二人は仲良く二階に上っていく。



 それにしても、今日の滝頭さんはいつもと違った。


 後輩部員に、「妹の友達」という属性が加わるだけで、なんだか生々しく見えてきた。

 僕の部屋と野々の部屋は壁一つでへだてられてるだけだし、壁の向こうに滝頭さんがいると思うと、なんだか今晩は落ち着かない夜になりそうだ(親もいないし)。


 って思いながら僕も二階に上がって自分の部屋に入ると、その滝頭さんと野々の二人が、僕の部屋の床に置いたクッションの上で、くつろいでいた。


「二人とも、なんでお兄ちゃんの部屋でくつろいでるんだ!」


「だって、どうせ後でゲーム機とか借りに来るし、野々の部屋より、お兄ちゃんの部屋で遊んでるほうが面倒臭くなくていいでしょ?」

 野々が言う。


「それに、お菓子とか食べて野々の部屋が汚れたらやだし」

 それは僕の部屋だって汚れたら嫌だが。


「まあ、いいじゃない。JK二人を常備してる部屋なんて、うらやましがられる以外のなにものでもないでしょ」

 野々が屁理屈を言った。


 結局、押し切られる形で、野々と滝頭さんが僕の部屋に居座った。

 僕は、野々と滝頭さんと一緒にゲームしたり、お菓子を食べながら話したり、床に寝っ転がってごろごろしたりした。

 いつもの委員長みたいな姿じゃなくて、緩い格好の滝頭さんが新鮮だった。

 無防備な胸元とか、短パンから見える太股とかにドキドキする。



 そんなふうに夜遅くまで三人で遊んでたら、眠そうな顔をしていた野々が、僕のベッドで寝てしまった。


「野々、ほら、寝るなら自分の部屋のベッドに行かないと」

 僕は野々の肩を揺り起こす。


「もういいよここで、眠いもん」

 野々はそう言って動こうとしない。


 普段からこうやって時々僕のベッドで寝てしまう野々。


「滝頭さんも、ここで寝たらダメだよ」

 野々の隣で、滝頭さんまで眠ってしまった。


「先輩、もう、眠いですぅ」

 滝頭さんもベッドから下りる気配はない。


 仕方ないなぁ。


 やむを得ず、僕も薄着の二人と一緒にベッドに寝るしかなかった。


 だけど、僕はちゃんと忠告したのだ。

 だからしょうがないんだ。

 それに、これは僕のベッドだし。

 裁判したら、絶対に僕が勝つと思う。


 僕はそう考えて、二人が横になるベッドに入ろうとした。


 野々と滝頭さんの間に寝転がろうとしたところで、僕は野性的な勘で、その動きを止めた。


 すぐに窓のところに行って外を見る。


 このパティーン。


 僕が二人と一緒に寝た途端に、部屋に千木良とかうらら子先生とか、柏原さんが入ってきて、怒られるパターンだ。

 抜け駆けは許しません、とか、訳の分からないことを言われて、なぜか僕が正座させられて、こっぴどく叱られる姿が脳裏をよぎった。

 部員の女子達は、どういうわけか、僕の部屋に盗聴器でも仕掛けてるみたいに鋭いのだ。


 僕だって、過去の苦い経験から学んでいる。


 窓から外を見ると、そこには千木良のセンチュリーも、うらら子先生のランドクルーザーも、柏原さんのクロスカブもなかった。

 綾駒さんや、ラスボス的な朝比奈さんの姿もない。


 ひとまず、安心する。


 でも、このまま二人と一緒に同じ部屋で寝るわけにはいかなかった。

 いつ、部員の女子達が急襲きゅうしゅうしてくるか分からないからだ。


 やむなく僕は、隣の野々の部屋に行った。


 そこで、野々のベッドに一人で寝ることにする。



 野々の匂いがする枕に頭を沈めて、電気を消そうとしたときだ。


 野々のチェストの、三番目の引き出しと四番目の引き出しの間から、白い封筒みたいな紙がはみ出しているのが見えた。


 野々のチェストの三番目はTシャツとかブラウスが入っている引き出しで、四番目はパンツとかブラジャーが入っている下着の引き出しだ。


 そんなところに隠すように入れてある封筒ってなんだろう?

 興味を引かれる。


 いや、ダメだ。

 人として、倫理的にそれを見てはいけない。

 でも、兄として…………



 野々には悪いと思ったけど、僕はベッドから起き上がってそれを引き出しの間から引き抜いた。


 白い封筒の中には、一枚の便箋びんせんが入っている。

 ホントに済まないと思ったけど、僕はそれを読んでしまった。


 なんだこれは!


 内容を読んだ僕は凍り付く。


 それは、野々がストーカーにからまれていることを示すような手紙だったから。

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