第131話 無芸大食

 短くて濃厚だった冬休みが終わった。

 僕達はコタツを出て、いつもの学校生活に戻る。


 そう、僕達はいつかコタツを出ないといけない。

 いつまでも、コタツの中や朝比奈さんの太股ふとももの上で生活するわけにはいかないのだ。



 新学期になって、始業式で見るうらら子先生は、ビシッとしたいつもの敏腕びんわん教師に戻っていた。

 スーツも着こなしてるし、タイトスカートも決まっている。

 まとめた髪に一本の後れ毛もなかった。


「ほら、そこのあなた。列を乱さない!」

 先生が目の前の生徒に指導する。


 うらら子先生の前で、生徒も、他の先生もシャキッとした。


 この先生が冬休みのあいだ、ゆるいスエット姿で酔っ払いながら、しつこいくらいにコタツの中で僕の足に自分の足をからめてきたとか、考えられなかった。

 酔うとキス魔になるとか、おっぱいをしきりに押しつけてくるとか、考えられない。

 僕がそんなことを考えているのを見透かされたのか、一瞬先生と目が合ってにらみ付けられた。

 後で「ゴメンね」って可愛く謝ってくれると分かっていても、ドキッとする。



 始業式が終わると、ホームルームがあって、午前中で授業は終わった。

 雅史やクラスメートとしばらく話したあと、僕は部室に顔を出す。


 部室には、もうすでに部員のみんなが集まっていた。

 柏原さんに綾駒さん、千木良に朝比奈さん。

 うらら子先生も少し遅れて顔を出した。


 始業式のあいだ一人で部室にいた香は、みんなが来てくれて嬉しそうだ。



 みんなで玄関のお飾りや門松を片付けたり、台所や洗面所、トイレなんかの水回りに着けていた輪飾りを外した。

 冬休みのあいだにまっていたほこを掃き出して、部室に風を通す。

 散々お世話になったコタツ布団も天日干しした。


「先生、お腹、大丈夫だったんですか?」

 掃除しながら、僕は先生に訊く。

 パンツのボタンを飛ばすくらいだったのに、先生のお腹、近くで見ても引っ込んでいた。


「ああこれ、補整ほせい下着を着てるから大丈夫」

 うらら子先生がそう言って、お腹をぽんと叩く。


「脱ぐとまだぷよんぷよんだよ、見る?」


 先生、そういう、男子高校生の夢を壊すようなことは絶対に言わないでください。



 お昼ご飯には、朝比奈さんが七草ななくさがゆを作ってくれた。


「ああ、こういう、優しい食事もいいもんだねぇ」

 うらら子先生が、しみじみと言った。


 年末年始、肉ばかりの生活をしていた僕達の胃には、それが優しく染み入る。




 年明け最初の部活動は、「ミナモトアイ」の新年の挨拶の動画撮影だった。


 香に晴れ着を着せて動画を撮る。

 香が着たのは、縁起えんぎがいい朱色で七宝しっぽう柄の、華やかな着物だ。

 晴れ着はもちろん、うらら子先生の衣装の中から選んだ。


「先生、ホントになんの衣装でも持ってるんですね」

「なんでもは持ってないわよ。持っているものだけ」

 先生が、どこかで聞いたようなことを言った。



「みなさん、新年明けましておめでとうございます。愛の源、ミナモトアイです! お正月らしく、着物を着てみました。みなさん、どうですか?」

 そう言って、小首を傾げる香。

 振り袖をひらひらさせて、くるっと一回転する。

 毎日のように一緒にいる僕だってその笑顔に打ち抜かれるんだから、みんなもう、ここでとりこだろう。


「それじゃあね、アイ、お正月らしく、書き初めをしたいと思います」

 香がそう言って、打ち合わせ通り着物をたすき掛けする。


 そこで一旦カメラを止めて、八畳間の床に長い半紙を敷いた。

 香が用意していた筆を手に取る。


「それじゃあ、書きますね」

 香が、力強く腕を動かした。

 それを柏原さんがカメラで上から撮る。


「はい、どうですかみなさん。上手く書けたでしょ?」

 四文字の漢字を書いた半紙を、カメラに向けて掲げる香。


「カットカット」

 そう言って、千木良がカメラを止めさせた。


「香ちゃん、なんて書いたの?」

 綾駒さんが訊く。


 香の文字、達筆すぎて読めなかった。

 まだ、文字を書き始めたばかりの子供が書いたというか、なんて書いてあるかさっぱり読めない。


「え? 分からないの?」

 訊かれた香の方が不思議そうだった。


無芸むげい大食たいしょく、だよ」


 いや、なぜその言葉を選んだ……


 香はこの書き初めのために、歴史に名を残すような書聖しょせいの作品を機械学習したらしい。

 数千人の筆運びから、最高の筆致を体得したってことだ。


 確かに、文字だけ見れば大迫力だ。


「ネタとしては面白いけど、もう少し、分かるように書きましょうか?」

 先生が言う。


 分かるようにという、先生の言い方を、香は理解できないみたいだった。

 せっかく、最高の筆運びから学んだというのに、それを人間が読めないことが不思議らしい。

 逆に、ならばなぜ、人間はこれらの人物を書聖とあがめて、読めない文字を有り難がっているのかと、香はそう言わんばかりだった。


 仕方なく、うらら子先生が見本を書いて、香にはそれを真似するように頼んだ。


「どうですか? 『無芸大食』、この動画を見てる、あなたのことですよ!」

 香がSっぽく言ったから、この動画は絶対に再生数が伸びると思った。


 時々見せるSの顔がたまらないと、香はその道で有名になっている。


 そんな感じで、今年一本目の動画を撮り終えた。




「そうだ、今度の連休、久しぶりにみんなで課外活動しない?」

 撮影の片付けをしながら先生が訊いた。


「課外活動ですか?」

 僕が訊き返す。


「うん、これを見に行こうよ」

 先生が、スマートフォンの画面を見せる。

 みんなでその画面を覗き込んだ。


 それは、連休中に開かれる「東京アンドロイドショー」のホームページだった。


「アンドロイドに関する最先端が見られるから、そこで刺激を受けてこよう」


 先生が言って、誰よりも香が目を輝かせる。

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