第66話 たゆたう

 僕の目の前に、水が入った二つのビニール袋が置かれている。

 僕は、それを手に取って目をつぶった。

 目を瞑ったまま、心を平静にして想像する。

 この、手にかかる程よい重さ。

 重すぎず、軽すぎず、僕の手を適度に刺激してくれるこの重さ。


 なるほど、これが朝比奈さんの重さか。


「もう! 西脇くん! それ持ったらダメ!」

 一人でえつに入ってたら、朝比奈さんに怒られた。

 ビニール袋は朝比奈さんに取り上げられる。


「あんた、なに恥ずかしがってるのよ。昨日、こいつに触られたじゃ」

 千木良がなにか言いかけたところで、朝比奈さんが千木良の口を手でふさいだ。

 千木良が手をばたばたさせる。

 ん? 朝比奈さん、何を言いかけたんだろう?




 合宿三日目、僕達は、昨日の議論の結果を反映させて「彼女」を改造した。

 水が入ったビニール袋は、柏原さんがダクトテープで「彼女」の胸に貼り付ける。


「見た目は悪いけど、重量バランスを再現するだけだからこれでいいよな。本物のおっぱいは、部室に帰って3Dプリンターで出力するから」

 柏原さんが説明した。


 水のままだとビニール袋の中で移動しすぎて、おっぱいの正確な挙動きょどうにならないから、中に高吸水性ポリマーを入れてゲル化させる。

 すると、ビニールのおっぱいは、絶妙な柔らかさで、たゆんたゆんな感じになった。


「触っちゃダメだよ!」

 僕がそれに触れる前に、朝比奈さんに注意される。


 べべ、別に、触ろうとなんかしてないし……


「ちょっと、確かめてみようか」

 綾駒さんがそう言って、ゲル化した水が入ったビニール袋と、朝比奈さんの胸を同時に揉んだ。

「あんっ! もう!」

 朝比奈さんが、悩ましい声を上げる。


「うん、良い感じ」

 綾駒さんが僕に向けて親指を立てた。


 僕は、高吸水性ポリマーと、水の分量を記憶に刻んでおくことにする。




 「彼女」の首の上には、ダミーの頭も載った。


 まだ、中身のコンピューターが入ってないから、頭の中には無線装置が詰まっていて、外部のコンピューターで処理した情報を飛ばしている。

 以前は背中にコンピューターを詰めたバックパックを背負ってたけど、それだとやっぱり重量バランスに響くから、別の手を考えたのだ。


「無線にしたことで起きる遅延ちえんは、無視できるレベルに抑えたわ」

 千木良が自慢げに言った。

 この天才のお嬢様、口は悪いけど、やることはちゃんとやってくれる。

 僕は、とりあえずその頭をなでなでしておく。


「もう! レディの頭を、軽々しくなでるんじゃないわよ!」

 口ではそう言うけど、千木良は僕の手に頭を押しつけてきた。

 だから、オマケで念入りになでなでしておく。




 頭とおっぱいをつけた彼女を、小学校の廊下に持ち出して、歩かせた。


「やっぱり、少し前のめりになるな」

 柏原さんが言う。

 それは、あれだけの重量のモノが前に二つ付くんだから、そうなるだろう。


「でも、こうやって歩き続けてれば、自分で学んで、少しすれば正しい姿勢になるわよ」

 千木良が言った。

 機械学習というやつで、わざわざこっちが教えなくても、「彼女」が自分で学ぶらしい。


 しばらく「彼女」に廊下を歩かせたあと、階段にも連れて行って、一階と二階を何度も上り下りさせた。

 ドアを開けたり閉めたり、椅子に座ったり立ったり、それを何度も繰り返していると、「彼女」の姿勢が良くなって、動きも滑らかになった。

 オレンジ色の筋肉と、チタンとカーボンの骨格が剥き出しなのに、時々、ドキッとするくらい、人間っぽい動きを見せるようになる。


 なんていうか、人の気配っていうか、ゴーストを感じた。



 「彼女」の熟成と平行して、資金稼ぎのために「ミナモトアイ」の動画も撮る。

 朝比奈さんがアンドロイドっぽいメイクをして、いつもの、パフスリーブの濃紺のメイド服に、襟の部分をセーラーカラーにした、男子の夢を具現化したような衣装に着替えた。

 僕は、そんな朝比奈さんにカメラを向ける。


「はいみなさん、こんにちは。愛の源『ミナモトアイ』でーす! 今日はね、私、小学校に来ています。それも、廃校になった田舎の小学校です。ね、雰囲気あるでしょ? 懐かしい感じだよね。あっ、でも、懐かしいって言っても、私、三歳なんですけどね」

 アンドロイドで、作られて三年しか経ってないから三歳っていう、定番ネタでチャーミングに笑う朝比奈さん。

 朝比奈さんは、キャラクターになりきって演技する。

 もう、しっかりこの感じが板に付いていた。

 レンズ越しだけど、ドキドキする。




 そんなふうにして、僕達は廃校を舞台に三本の動画を撮った。


「よし、それじゃあ今日最後の一本、汗を流すついでに、温泉動画撮りましょうか?」

 すると、うらら子先生がそんなことを言う。


 お、温泉動画だと……


「この山をもう少し登った所に、町営の温泉があるらしいの。朝と夕方は人が多いけど、昼間はあんまり人がいないみたいだから、撮影にちょうどいいじゃない。温泉動画なら再生数も稼げそうだし。それに、そこ、混浴こんよくだって聞いたよ」

「すぐ行きましょう! 今行きましょ!」

 僕は、食い気味に言った。


「えー、山登るのぉ」

 千木良が不満そうにほっぺたを膨らませる。


「千木良、僕達は、健全な精神と肉体をきたえるために、ここに合宿に来てるんだぞ。山をちょっと登るくらいでくじけててどうする! 甘ったれるんじゃない!」

 僕は、部長として千木良を叱咤しったした。


 僕達は、「彼女」を作るという崇高な目的のために集まった運動部にも劣らぬ厳しい部活だ。

 だから、エロいこととか抜きで、温泉の動画を撮るために山を登るくらいやってのけなければならない。

 そう、エロいこととか抜きで。




 ブツブツ文句を言う千木良は、僕がおんぶして山を登った。

 舗装ほそうもされていない山道を登るのは、秘湯に向かってるって感じだ。

 僕達は、木々の枝やささを分けて進む。


 やがて、木々の香りに、かすかに硫黄の匂いが混じってきた。

 もう少し歩くと、湯気が漂う山小屋が現れる。

 常に湿気ているからか、小屋は全体にこけむしていた。



「源泉掛け流しで、お湯も豊富みたいだね」

 水音を聞きながら綾駒さんが言う。

 山小屋は脱衣所と風呂場の二間で、管理人のような人はいなかった。

 入ってる人もいないみたいで、脱衣所のかごも空だ。


 ここは、僕達で独り占めだった。



「それじゃあ、西脇君は撮影終わるまで外で待っててね」

 うらら子先生がそう言ってウインクする。

「じゃあな」

 柏原さんが僕の手からカメラを奪った。

「さあ、早く出て行って」

 僕は、綾駒さんに脱衣所から追い出される。

「ゴメンね」

 朝比奈さんが手を合わせて謝った。

「一緒に入れるとでも思ってたか、この変態!」

 千木良があっかんべーする。


 酷い、あんまりだ。

 混浴って、こんよくだから、一緒に入れるはずじゃないのか!




 僕は、温泉の外で、絶望の時間を過ごした。


 時々、女子達のきゃっきゃうふふする声が聞こえて、それが僕をさらに悶々もんもんとさせる。

 いっそのこと、お風呂に突撃しようと思ったけど、それを実行したら僕の人生は終わるだろう。

 終わらせてもいいけど、もう少し、生きていたい気もする。




「ああ、良いお湯だった」

 三十分ほどして脱衣所から出てきた朝比奈さんの顔は艶々だった。

「西脇君も、汗を流して来なさい」

 すっぴんのうらら子先生が言う。

 今の僕の場合、汗というより涙だ。

 血の涙だ。

「みんな、無駄に良いおっぱいしてたわ」

 千木良が、意地悪く言った。

「僕達、ベンチで涼んでるから、早く来いよ」

 柏原さんが、ポンと肩を叩く。




 失意の中、僕は脱衣所で服を脱いだ。

 引き戸を開けて風呂場に入ると、楕円形だえんけいの岩風呂は、半分が露天風呂になっていた。

 山裾に向かって一方が開けていて、景色が気持ち良く抜けている。

 そこから、海が見下ろせた。


 僕は、体を洗って湯に浸かる。

 お湯は、微かにとろっとしてる感じで、白濁はくだくしていた。

 ここまで山を登ってきた疲れも、一気にやされる。


 ここで、みんなと一緒に入れたらどんなに良かったか……



 だけど、ちょっと待て。

 ここって、さっきまで、我が部の女子達と、うらら子先生が入っていた湯船じゃないのか?

 源泉掛け流しで、少しずつ入れ替わってるとはいえ、みんなが入っていた湯船なのだ。


 そうか。


 僕は、湯船に手を入れてお湯をすくった。

 それを顔にこすりつけて、ゴシゴシ洗う。


 ふう。


 興奮と背徳はいとくが入り交じった感情がいた。


 でも、ここには誰もいないし、誰も見ていない。


「よし!」

 僕は、勢いをつけて湯船に潜った。

 さっきまで、女子達が入っていた湯船の中で、うつ伏せになって揺蕩たゆたう。


 僕は、そのお湯を全身で感じた。


 そのときの僕は、全てが幸せだった。

 まるで、羊水の中を漂う胎児のように全能だった。


「女子の残り湯、最高!」


 僕が独りごちて顔を上げると、なんということでしょう、目の前に、我が部の女子達と先生がいる。


 裸足のみんなが、腕組みして湯船の縁に立っていた。



「ちょっと可愛そうだったから、背中でも流してあげようと思って来てみれば!」

 ジト目の綾駒さんが言った。

「変態だー!」

 千木良が大げさに言う。

「西脇、中々レベルが高いな」

 柏原さんが失笑した。

「西脇君も、ちゃんと男の子ね」

 うらら子先生が深く頷く。


「ところで西脇君、早く前を隠した方がいいと思う」

 朝比奈さんに言われて、僕はすぐにタオルで前を隠した。



 その日以来、女子達が僕を見る目がちょっと変わった気がするけど、僕は、全然後悔していない。



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