第62話 日焼け止めクリーム

「日焼け止め、塗ってほしいな」

 烏丸からすまるさんが、小首を傾げて言った。

 悪戯っぽい目で僕を見る烏丸さん。

 烏丸さんの首筋を、玉の汗がゆっくりと伝った。


 僕に日焼け止めクリームを渡して、烏丸さんは背中を向ける。

 水着の女子に、日焼け止めクリーム塗ってほしいって言われるって、男子が選ぶ、夏の砂浜で起こったら嬉しいシチュエーション、六位くらいに入るんじゃないだろうか。


 ここで塗らないっていう選択肢せんたくしはないと思う。


 だって、烏丸さんが日焼けしたら大変だし。

 そう、僕は別に、エロいこととか考えてるわけじゃなくて、あくまでも、烏丸さんのお肌のことを考えて塗ってあげようと思うのだ。

 そう、背中に手が届かない烏丸さんを、エロいこととか関係なく、助けてあげるだけだ。



「わっ」

 背中を向けている烏丸さんが、声を出した。

「西脇くんの手って、冷たいんだね」

 烏丸さん、背中を向けたまま、下を向いてしまう。

「えっと、すごく手が柔らかくて、指が細くて……」

 もじもじしている烏丸さん。

「あんっ! 変な声出してごめんね。でも、西脇くんの手つきが、その、すごくやさしくて、あっ!」

 烏丸さんが、体を強張らせる。

「西脇君、ダメだよ、塗ってほしいのは背中だけなんだから、そんな、前のほうに手がきてるし! そこは! きゃっ!」

 びくん、って体を反らせる烏丸さん。

「もう! そこはダメだってば!」

 そう言って振り向いた烏丸さんが見たのは、自分に日焼け止めクリームを塗っているアンドロイドだ。


「わあああああああああああああああああああああ!」

 烏丸さんの声が、浜辺に響いた。


 柏原さんが僕から取り上げた日焼け止めクリームを、アンドロイドの「彼女」が、烏丸さんの背中にやさしい手つきで塗っていた。

 チタンとドライカーボンの骨格の上に、オレンジ色の筋肉が盛られたアンドロイドが、烏丸さんの後ろに立っている。

 まだ頭が付いてないから、頭の位置にはカメラとセンサーがあるだけで、背中に頭脳の代わりになるコンビューターのバックパックを背負った「彼女」。

 その操作は、千木良が手にしたタブレット端末からしていた。


 悲鳴にびっくりして、新体操部の部員が、烏丸さんと「彼女」を取り囲む。


 僕はなぜか、その後ろで、柏原さんと綾駒さん、千木良と朝比奈さんににらまれて、正座させられていた。


「まったく、油断もすきもあったもんじゃない」

 腕組みの柏原さんが言う。

「いくら、彼女いない歴=年齢だからって、日焼け止めクリームなんて幼稚ようちな手に引っかかるなんて」

 綾駒さんが、僕のことジト目で見ていた。

「やっぱり、男って馬鹿ね」

 千木良も偉そうに言う。


「西脇君、夕ご飯抜きにしちゃうぞ」

 そんなこと満面の笑顔で言う朝比奈さんが、一番恐い気がする。



「なんなのこれ?」

 烏丸さんが、まだ小刻みに震えながら「彼女」を見た。


「私達、が作っている。アンドロイドだよ」

 柏原さんが、「彼女」と肩を組んで言う。


「クリーム塗ってくれた感触はどう? 本物の人の手が塗ってるみたいだったでしょ?」

 綾駒さんが続ける。


 僕と烏丸さんが、背中に日焼け止めクリームを塗る塗らないとか話してるあいだに、民宿の二階で座っていた「彼女」を起動して、浜辺に持ってきた我が部の女子達のチームワーク……


「まだ、塗ってほしいか?」

 柏原さんが烏丸さんに訊いた。


「いえ、もう結構です」

 烏丸さんが肩をすくめる。


「これで、女子の体にクリームを塗るっていう経験もしたから、この子、また賢くなったわ」

 千木良が言った。


 まだ、女子の体にクリームを塗ったことがない僕は、「彼女」よりも経験値が低いのかもしれない。


「さあ、次は誰に塗ろうかしら」

 千木良が悪戯して、「彼女」を動かした。


 千木良は朝比奈さんをターゲットにして、「彼女」がその体に日焼け止めクリームを塗り始める。

「いや! もう、くすぐったい!」

 花柄ビキニの朝比奈さんが体をくねらせた。

 「彼女」の手が、朝比奈さんの脇腹とか股とかを触る。


「もう! 千木良ちゃん! ダメだってば!」


 僕、あとで「彼女」と握手しておこうと思う。





 海で思う存分遊んで満珠荘まんじゅそうに帰ると、女将おかみの千鶴さんと飛鳥さんが、お風呂を用意してくれてて、そのまま入るように言ってくれた。


「えーと、お風呂のことなんだけど」

 望月先生が説明する。


「大浴場の方は、人数が多い女子専用ってことにします。これから毎日、十一時まで開けてくださるってことだから、女子達は、それまでに各人、分散して入りなさい」

 先生が言って、女子達が「はい」って返事をする。


「それから、一人しかいない男子の西脇君は、満珠さんの母屋の方の内風呂を使わせて頂くことになりました。合宿で私達がいるこの期間は、満珠さん達も大浴場の方に入るそうだから、西脇君はそっちのお風呂を自由に使っていいわ」


 チッ!


 完全に場所を分けられたら、僕が時間を女子達が入ってるお風呂に行っちゃうとか、僕が一人で入ってるところに女子達が入ってくるとか、そういうラッキースケベが成立しないじゃないか!

 一週間も合宿期間があれば、そんなチャンスが、一回は必ずあると持ってたのに!


「女子達、西脇君のお風呂を覗きに行ったりしたらダメだよ」

 うらら子先生が言って、女子達が笑う。



「はい、それじゃあ、お風呂に入ったらお夕飯だからね」」

 望月先生が言って、女子達が部屋に着替えとかタオルを取りに行った。


「引き締まった新体操部女子達の裸が見られるぅ」

 綾駒さんの鼻息が荒い。

 女子の中に、一人だけ、ヤベー奴が混じってる気がするんですけど……



 部員のみんながお風呂に行っちゃったし、僕もお風呂に入ることにした。


 母屋の方に戻って、二階の自分の部屋(飛鳥さんの部屋)から、着替えとタオルを持って、お風呂に行く。


 家族の内風呂ってことだったけど、十分に広いお風呂だった。

 石の床で、湯船のわくだけひのきで組んであって良い香りがする。

 湯船も、五人くらい入れる大きさがあった。

 ここに一人だったら、大浴場じゃなくても広々と使えそうだ。


 僕は、洗い場で頭と体を洗った。

 日焼けしたみたいで、体がひりひりと少し痛い。


 ゆっくりと湯船に浸かって、足を伸ばした。

 天井近くの窓から、月が見える。

 ぼーっと月を見てたら、そのまま眠ってしまいそうなくらい気持ちよかった。


 実際、うとうとしてたら、誰かが脱衣所に入って来た気配がする。

 その影が、風呂場のドアの曇りガラスから見えた。


 飛鳥さんか千鶴さんが、僕の様子を見に来たんだろうか?

 それとも、脱衣所に洗濯機があったから、それを使うために入って来たのかもしれない。

 なにしろ、ここは満珠さん家族の生活空間なのだ。


 タオルを引き寄せて緊張してドアを見てたら、突然、ドアが開いた。


「きゃー!」

 一糸まとわぬ全裸の女性が入って来て、僕は思わず悲鳴を上げてしまう。


 さっぱりとしたベリーショートの髪。

 腕の筋肉がたくましい、腹筋が割れた凜々しい女性が立っている。

 年齢は二十はたちちょっとだろうか。


「ああ、そっか。私達は大浴場の方を使うんだったね。朝、母さんから言われたのを忘れてたよ」

 その人が、頭をかきながら言う。


「ごめんね。びっくりさせちゃったね」

 その人が真っ白な歯を見せた。


「私はこの家の長女の満珠美咲みさき。君は、合宿に来た高校生で、唯一の男の子でしょ? よろしくね」

 美咲さんって名乗ったその人が、握手のために手を差し出してくる。


「西脇馨です。よろしくお願いします」

 恐る恐る手を出すと、その人が僕の手を固く握った。


「私は、漁師と、遊漁船の船長してるの。夕飯で、新鮮なお魚とか、サザエのつぼ焼きとか出すから、楽しみにしててね」


「はい、ありがとうございます」


「君達のために、朝から漁に出てたからね。この一週間、もう、一生分の美味しいお魚食べさせるから、覚悟しておいて」

 美咲さんがそう言って微笑む。


「なにか、好物の魚とかある?」

 美咲さんが訊いた。


 っていうか、美咲さん、長話の前に、タオルで前を隠すとか、してください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る