第34話 延長戦

「なんで、あんた達まで来るのよ!」

 膝の上の千木良が、不満げに言った。

 さっきから千木良は、キャベツ太郎の袋を手にして、サクサクと良い音をさせながら食べている。

 僕の膝の上で食べるから、ノートが粉まみれになった。


「だって、勉強は、こうやってみんなでする方が、はかどるでしょ?」

 綾駒さんが千木良の頭をなでなでしながら言う。

 そんな綾駒さんのなでなでに対して、レディの頭をなでなでするなと千木良が文句を言うまでが、お決まりの流れだ。



 僕達、「卒業までに彼女作る部」の部員は、千木良の勉強部屋のテーブルに、みんなで教科書とノートを広げていた。

 部室でしていたテスト勉強の延長戦を、千木良の部屋でやっている。

 そして、顧問であるうらら子先生も、僕達に勉強を教えるていで、ここに来ていた。



 僕が千木良の車に乗ったあと、部員のみんながそれをうらら子先生に報告すると、仕事中だったはずの先生が車を出してくれたらしく、全員でこのマンションに乗り付けて来た(柏原さんはバイクを学校に置いてきた)。


 僕と千木良が勉強していた部屋に上がってきた女子達は、千木良に、「抜け駆けは駄目だぞ」とか、意味の分からないことを言っていた。


「まったく、うるさくて迷惑だわ」

 千木良は口では文句を言ったけど、決して出て行けとは言わない。

 逆に、執事の男性に、みんなの飲み物やお菓子を持ってくるように指示したり、他の部屋からクッションを持ってきたり、世話を焼いていた。



「先生、千木良にこんな大きなバックが付いてるって、どうして教えてくれなかったんですか?」

 勉強しながら、柏原さんが訊く。

 大きなバックって、世界的企業のCEOをしている千木良のお母さんのことだろう。


「だってほら、千木良さんのご両親が、娘は普通に育てたいっておっしゃって、特別扱いしないでくださいってことだったから、これは、黙っておいたほうがいいって思ったの」

 先生が出されたケーキを食べながら答えた。


 娘を普通に育てたいって、マンションのワンフロアを全部部屋にして、学校までセンチュリーで送り迎えする生活は、全然普通じゃないと思うんだけど。


「クラスの誰にも言ってないから、このことはここだけの内緒だよ。千木良さんも、そのほうがいいよね?」

「ええ。可愛すぎる私に吸い寄せられる男だけでもウザいのに、財産のことまで知ったら、全ての男子が私に近づいて来るでしょ。そんなのめんどうだから、内緒の方がいいわ」

 すごい高飛車な発言だけど、実際千木良は可愛いから仕方ない。

 僕が小学生で千木良がクラスメートだったら、絶対ちょっかい出してたはずだ。

 意地悪しちゃうくらい、気になってたはすだ。



「千木良ちゃんのお父さんは、大学でなんの研究をしてるの?」

 朝比奈さんが訊いた。


「人工知能の研究よ。パパはそっち方面の権威けんいだし、最近は発達心理学の研究にも力を入れてるわ」

 なるほど、千木良がアンドロイドに興味を持ったのは、お父さんの影響なのか。


「千木良に兄弟はいるのか?」

 柏原さんが訊く。

「いいえ、いないわ」

 千木良は一人っ子だった。


「里緒奈、今まで黙ってたけど、私が、生き別れたお姉ちゃんだよ」

 柏原さんが千木良に手を差し伸べる。


「勝手にうちの子になるな!」

 千木良がキャベツ太郎の粉を飛ばしながら言って、みんなが笑う。



「でも、本当に、僕のことお姉ちゃんと思ってくれていいぞ。僕は、兄と弟に挟まれてて、妹とか、あこがれてたんだ。千木良みたいな可愛い妹だったら、大歓迎だ」

 柏原さんが千木良の目を覗き込む。

 褐色でショートカットの柏原さんは、同性でもドキッとするようなイケメンだ。


「か、可愛いとか! お世辞言っても駄目なんだからね!」

 千木良が顔を真っ赤にして言う。

 千木良は戦闘的だけど、やっぱり、攻め込まれると弱いタイプだ。

 柏原さんに見詰められた千木良がもじもじしてるのが、膝に抱いている僕には分かる。


「二人が姉妹になった状況の、百合系の薄い本ください」

 綾駒さんが、興奮して言った。


「千木良ちゃん、私もお姉ちゃんって呼んでほしいな」

 朝比奈さんが言う。


「僕のことも、お兄ちゃんって、言っていいぞ」

 僕が言ったら、

「あんたは嫌!」

 千木良が僕だけ拒否した。


 ひどい。

 なんで僕だけ……




 そんなふうにして二時間、僕達は千木良の部屋で勉強した。



「終わったー!」

 二時間でなんとか、僕はテスト範囲の残り全ての勉強を終えた。

 千木良の協力もあって、僕は、人生で初めて、テスト前にすべての範囲に手をつけるという、偉業を成し遂げた。


「千木良、ありがとう」

 僕は素直にお礼を言う。


「別にあんたのためのしたわけじゃないわ。あんたのテスト結果には私の成績もかかってるから、仕方なく教えてあげただけだし」

「でも、千木良の説明、本当に分かりやすかったし、すごく勉強になった」

「あんた、年下の私に教えられて、そんなこと言ってて、プライドはないの? でも、あんたは素直で教えやすかったわ。まあ、明日のテスト頑張りなさい」

「うん、今回はいけそうな気がする」

「だといいけれど」

 千木良がキャベツ太郎で汚れた手をパンパン払う(だから、僕のノートが粉まみれだって……)。



「よし、それじゃあ、明日テストだし、みんな今日は早めに寝て、十分に睡眠をとること。いいわね」

 先生が先生らしいことを言って、僕達が「はい」って返事をする。




「それじゃあ、気をつけて帰りなさい」

 千木良がエレベーターホールまで僕達を見送って、そこで別れた。


 そこから地下駐車場まで、白髪の執事の男性が案内してくれる。


「皆様、もしよろしければ、このようにお嬢様を訪ねて、またお越しください。私ども、いつでも、お待ち申し上げております」 

 エレベーターの中で、執事さんが言った。

 優しい笑顔で、語り口が柔らかい執事さん。


「お嬢様、喜んでおりました。あんなに楽しそうなお嬢様を見るのは、私、久しぶりでございます」

 千木良、あんなにツンツンしてた感じなのに、あれでも楽しそうだったんだろうか?


「お嬢様、部活に入ってから、生き生きとしています。それも、皆様と一緒にだからなのでしょう。本日、皆様とお目にかかって、それが分かりました」

 執事さんが言うのに、いやいや、と、謙遜けんそんする女子達。


「これは、社交辞令などではありません。是非とも、気軽にお越しください」

 執事さんが、深く頭を下げた。


 長いエレベーターが地下に着いて、扉が開く。



 地下駐車場で、うらら子先生のランドクルーザーに乗った僕達を、執事さんとお手伝いさんが並んで見送ってくれた。


「美味しいケーキも鱈腹たらふく食べられるし、ホントに、時々、来てあげようか」

 うらら子先生がふざけて言って、女子達が頷く。



 先生が運転するランドクルーザーの車窓から見える千木良のマンションを眺めながら、あんな高い塔の上で一人になった千木良のことを考えて、ちょっとだけ感傷的になった。


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