第8話 白桃

 夕暮れの教室に、朝比奈さんが入ってきた。

 そして、信じられないことに、我が「卒業までに彼女作る部」に入りたい、なんて言う。


 その言葉の意味が理解出来なかったのは、僕だけじゃなかった。

 綾駒さんも、柏原さんも千木良も、一瞬固まってその意味を考える。


 間違いない、僕の目の前にいるのは、確かに朝比奈さんだ。

 朝比奈さんの深い輝きを宿す目は、少しうるんでいた。

 白磁のように白い肌が、夕焼けのオレンジに染まっている。


「私を、この部活に入れてください」

 朝比奈さんは、柔らかそうな唇で、はっきりと繰り返した。


 朝比奈さんからは、もぎたての白桃みたいな香りがする。



「ここは『卒業までに彼女作る部』なんだけど」

 やっとのことで、僕は言葉を絞り出した。


「はい、分かってます」

 朝比奈さんが、正面から僕の目を見て言う。


「でも、どうして?」

 僕は訊いた。

 訊かずにはいられなかった。


「うん、だって、ここにいるみんな、学校中にポスター貼ったり、チラシ配ったり、放課後もこうして毎日残って入部希望者の受付をしたり頑張ってるのに、最後の一人がいなくて、部として認められないって聞いて、それなら力になりたいなって」


「力になりたいって、そんな理由で入部しようって思ったの?」

 朝比奈さん、僕達に同情したってことなんだろうか?


「うん、それもあるけど……」

 朝比奈さんはそこまで言って、少し間を置いた。



「さっき西脇君が、下駄箱で私のこと、可愛いとか、美しいとか言ってくれたから。そんなこと、目を見て言ってくれたの、西脇君が初めてだったから。そんなふうに言ってもらえたら、私にも役に立てることがあるのかなって、思ったの。私を必要としてくれてる人がいるんだなって、嬉しかったの。私を必要としてくれるんだったら、その『彼女』のモデルになってもいいって、思ったの。さっきは突然、あんなふうに言われて、びっくりして『ごめんなさい』って言っちゃったけど、ホントは、嬉しくて、嬉しくて、仕方なかったの」


「あ」

 変な声出た。


「朝比奈さん、それは、他の男子が、君のような人に声を掛けるのはおそれ多いって遠慮えんりょしてただけで、誰もがそう思ってたと思うぞ。君は誰からも必要とされてるぞ。この西脇が、はじ外聞がいぶんもなく、真っ正面から思ったことを言っただけで」

 柏原さんが言った。


「そうだよ、だまされちゃ駄目! この西脇君は、超がつくほど鈍感で、女心がまるで分からない、ぼけぼけのぽんぽこぴーだから」

 綾駒さんが言う。


「この男は、変なひらめきと、向こう見ずな度胸だけはあるからな」

 千木良が言った。


 なんか、ひどい言われ方してる気がするんだけど……


 綾駒さんや柏原さん、千木良と知り合いになってから、まだ、数日しか経ってないし、僕の何が分かるって言うんだ。



「ううん、そんなことない。だって、西脇君は、本当にんだ目をしているもの」

 朝比奈さんが、胸の前で手を組んで言った。

 いや、朝比奈さんの目の方が、澄んでるから。


 朝比奈さん、いい人過ぎて、逆にやべー人なんじゃないかって思えるほどだ。

 ど天然の疑いあり。

 純真すぎで、詐欺師とかにころっと騙されそうだ。


「だから、この部活に入れてもらって、私を『彼女』のモデルにしてください。私の顔でも、声でも、仕草でも、なんでも使ってください」


 なんでも、だと……



「本当に、いいのかな?」


「本当に、いいんです。これ、入部届ですよね。私、これ書きます」

 朝比奈さんは机の上に重ねてあった入部届を手に取って、すぐに必要事項を書き込み始めた。


 朝比奈さんって、書く字まで綺麗だ。



「最後に、もう一回確認するけど、本当にいいんですか?」

 僕は、入部届を受け取りながらもう一度訊いた。

 しつこいかもしれないけど。


「はい」

 朝比奈さんが深く頷いて、腰まで届きそうな艶々した黒髪がふわっと揺れる。



「それじゃあ、お願いします。一緒に『彼女』を作りましょう」

 僕が言ったら、朝比奈さんが「はい」って、飛び切りの笑顔を見せてくれた。

 僕が吸血鬼だったら、一瞬で灰になってただろう。


「よし、なんだか分からないけど、良かった。一緒にやっていこう」

 柏原さんが朝比奈さんと握手した。


「ま、よろしくね」

 腕組みしたまま、しゃかまえて言う千木良。


「朝比奈さん、一回、抱きしめていい?」

 カワイイ女の子好きの綾駒さんは、我慢できなかったらしい。

 一回と言いながら、五分くらい抱きしめ続けたから、柏原さんと二人掛かりで綾駒さんを引き剥がす。



 とにかくこれで、我が「卒業までに彼女作る部」の部員は五人揃った。

 揃ってしまった。

 まさかそのうちの四人が女子で、さらにその一人が朝比奈花圃さんになるなんて、考えもしなかったけど。


 これで、「彼女」が作れる。

 朝比奈さんがモデルになってくれて、最高の「彼女」が作れると思う。




「よし、あとは顧問こもんの先生だな」

 柏原さんが言った。


 そうだ、部員の最低人数をクリアしたけど、そっちも問題だ。

 むしろ、そっちの方が、難しいのかもしれない。


 僕達、生徒の話を聞いてくれるような先生は、もう既にどこかの部活の顧問になっている。

 あとは堅物な先生だったり、無気力で生徒のことに関心がないような先生で、「卒業までに彼女作る部」なんていっても、相手にしてもらえそうにない。



「私、それについては一人、心当たりがあるの」

 ところが、綾駒さんが自信ありげだった。


「絶対に顧問になってくれそうな先生を一人、知ってるよ」

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