第2章 基礎力向上実践合宿
先輩の失敗
月曜日の放課後。
「まず、諸君達に謝らなければいけない事がある」
神流先輩はそう切りだした。
本日の理化学実験準備室はいつもと違う雰囲気になっている。
何故そうなっているか。
実は明らかな原因があるのだが、それは後でとしよう。
「新入生がいきなり3人も来てくれた。となれば次は合宿だ。お互いの友好を深めると同時に探検力を養うには最適な行事だろう。そう思ってだ」
佳奈美と雅がもっともらしく頷く。
「それでだ。まずは楽しさ優先で、しかも近場で。費用等を考えたら当然の発想だと諸君も思ってくれるだろう。そう思って千葉県内のとあるキャンプ場で合宿する計画をたてた。
土曜日に皆が帰ってから、この部屋でパソコンを使ってだ」
やりたい事というのはそれだったのか。
そう僕は思う。
うん、ここまではなかなかいい先輩だなという話だ。
「約1時間後、私としては完璧な合宿計画を立案することに成功した。計画書を書いて、担当の小暮先生にメールで送った。公認同好会の活動は担当教師の承認が必要だからな。合宿だから寮員不在届も書いて貰う必要がある。
そうしたらこうなった訳だ」
そう言って神流先輩はため息をついた。
代わりに隣に座っているにこにこ顔の若い女性教師が後を引き継ぐ。
「それでは後を引き継ぎますね。
まずは自己紹介。学内探検部顧問で、普段は理科系教科を担当しております小暮彩香と申します。まあ皆さん授業でお馴染みですね」
そう、彼女の存在が理化学実験準備室の雰囲気を一変させている原因だった。
「まずは神流さんの計画書を見せていただいた感想から。
甘い、甘すぎます。いくら最初の親睦目的の合宿と言えど、合宿するからには基礎力を向上させる必要があるのです。
最低でも基礎体力の向上と、最低限のザイルワーク位はマスターしませんと。そうでなくては合宿をやる意味はありません。
勿論ジムで都会派クライミングなんて邪道ですわ。自然の中で鍛えてこそ実践に結びつくんです。この季節ですと沢登りなんて最高ですね」
そう、見かけは小柄でおとなしそうで可愛い感じのこの先生。
実は凶暴なまでの肉体派である。
授業でも既にやらかした。
「提案ですが、私と腕相撲をしましょう。誰か1人でも勝つことが出来たら。その際は今期の中間テストと期末テストは楽勝モードの問題にします」
この甘言にうちのクラスでも何人も挑戦した。
全員あっさり敗退した。
囲い込みのような反則技を使った某男子生徒さえもだ。
ちなみに僕はチャレンジしなかった。
面倒な事は避ける主義なのだ。
「そんな訳で合宿のお知らせです。期間は4月27日土曜日から4月28日日曜日。雨天順延。場所は奥多摩。交通機関は私の車。宿泊はテント予定です。
装備一式は私の責任で調達してきます。汚れてもいい服装と着替えだけは最低3回分持ってきて下さい。予算は5,000円で充分。以上です。
それじゃ、私はこれで失礼します。後は神流さん、宜しく」
言うだけ言って小暮先生は部屋を出て行く。
扉が閉まった後、神流先輩は大きくため息をついた。
「まあ合宿の必要事項については後で書いて渡そう」
「ありがとうございます」
ここは素直に礼を言っておこう。
先生が去って暫くした後、佳奈美が疑問を口にする。
「ところで何か問題があるのですか。先生の言った事そのものにはあまり問題を感じないように思われるのですが」
神流先輩は小さく頷いた。
「ああ。確かに言っていることは間違っていない。しかも揃えると金がかかる装備を先生自らで用意してくれる。愛車もデリカの4WDで先生を除いても7人までは乗車可能。
技術も確かだ。ワンゲルの顧問も兼ねているからな。何せ大学時代から国立登山研究所のリーダー研修だの講師研修だの行っているくらいだ。ただ……」
「ただ、何なのでしょうか」
先輩のニュアンスが何となく伝わったらしい。
雅が不安そうな顔で尋ねる。
「体力がありすぎるんだ、あの先生は。顧問だしこの
「体力があるのはいいことでは無いのですか」
「ものには限度がある」
そう言って先輩はまたため息。
「昨年は新人が私1人だったからな。先生は兼務しているワンゲルの新人歓迎合宿の方へ参加した。今回のここの合宿と同じように先生が書き直した合宿日程でだ。GWの1泊2日、場所はやはり奥多摩だったそうだ。
結果、新人5人のうち2人の人格が変わってしまった。脳筋主義者にな」
なんですと。
「何があったのですか」
先輩は深く深く頷いた。
「経験者に聞いた。ただただきつい、極限のような2日間だったそうだ。最小限の荷物だけを背負い、川を泳ぎ滝を登る。服は2日間同じ服のまま。寝場所は草や落ち葉を重ねた上にシート敷いてシュラフカバーに入ってごろ寝。テントなんて使わない。そもそもそんな物持って歩けないような極限環境。たき火はしたそうだが。
1日目は長い長い沢や滝を延々ひたすらに登り詰める。2日目はそれに加え最後は藪の中這い登っていく状態。気がついたら東京都最高地点に通じる登山道に出ていたそうだ。普通の登山道がこんなに歩きやすい物かと感動したそうだよ。そのまま雲取山経由で帰ってきて、車に辿り着いた後は即ダウン。学校に到着するまで意識が無かったそうだ」
「まさかそれを今回もやるんじゃないでしょうね」
神流先輩は首を横に振る。
「いや、あれをそのまま再現するつもりは無いと思う。先生本人も昨年反省していたようだしな。それに今回はテント泊とも言っているし。
でも合宿までに身体は鍛えておいた方がいい。老婆心ながらの忠告だ」
おいおいおい。
「退部届を提出していいですか」
「退部には担当教師の承認が必要だ」
つまり小暮先生自身の許可を取れと。
「ちなみに先生は新人が3人来たことで大変喜んでいる様子だ。
あとはわかるな。悪い事は言わないから諦めろ。あと明日から少し筋トレや走り込みをしておけ。私もそうする」
神流先輩がこれだけ暗い顔をしているという事は全ては事実なのだろう。
「普段はこっちの活動にはほとんど足を運ばないのだがな。新人3人というのが相当に嬉しかったらしい。
あと、ワンゲルから早くもメールで礼状が来ている。『こちらの懸念事項を取り除いていただき有り難うございます』とな」
うん、色々把握した。
明日から運動服を持ってくるとしよう。
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