2
部屋は本棚で囲まれていて、机には書類が積まれていた。窓辺には観葉植物が置いてある。毎日のように仕事に追われていたら、そういう癒しを求めるようになるのだろうか。
吉之は思いながら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているシノグとカナタを横目で見た。
「学校で、学ぶ――?」
シノグが困惑した顔をして言った。
「ああ。シノグくんは柊の弟子だから知識が豊富な先生として働くほうでもいいと思うんだが、どうだろう」
京太郎の提案に、シノグは動揺を隠せないでいるようすだった。そんなこと、考えたこともなかったのだろう。自分が誰かにものを教えるなど。
一方、シノグが考え込んでいる横でカナタは首をかしげていた。
「学ぶとか働くとか。色式を教えてもらえるってこと?」
「そうだね。色式の正しい知識と使い方について。他の生徒たちと共に先生に習うんだ」
京太郎が言うと、カナタは両手をあわせて笑顔で言った。
「それって素敵ね! 考えたこともなかったわ。ヒイラギ先生もシノグも、色式のことは一切教えてくれなかったから」
「それは――」
シノグが何かを言いかけたが、カナタは気にも留めずにシノグに向かって言った。
「全てが終わったら、シノグは先生になる道があるのね。良かったね、シノグ!」
屈託のない笑顔で言われたものだから、シノグはどう返せばいいのかわからないといった表情をしていた。
ここまで来る道中も、たびたびそういうことを口にすることはあった。カナタは自分がいなくなった後のことをよく考えているようだった。
京太郎が息を吐いた。
「ふう。どうやら、塔へ行くのは止められそうにないかな」
カナタが眉をひそめている京太郎のほうを向く。
「あなたの提案はとても素敵だと思うのだけれど。それでもやっぱりあたしは、これがあたしの役目だと思っているから。あなたがあたしとシノグのためを思ってくれているのはわかるの。でも行きたいの。これは先生のためでも、世界のためでもない。自分のため。自分のことを知りたいから行きたいの。だから連れて行ってください。お願いします」
深く。深くカナタが頭を下げた。そんなカナタを見たのは初めてだった。
吉之は目を丸くしていた。シノグもカナタを見て驚いている様子だった。
カナタにとって塔へ行くということは自分の出生を知る事と同義なのだ。怖くないわけがない。それをこの場で一番理解できるのは吉之であるはずだ。地上から地下へ、自分の父親を探しに降りた吉之にこそ、彼女の意思を尊重する権利がある。
「――俺からも。頼む。カナタとシノグを、ゼロの塔まで送り届けてやってくれ」
「吉之……」
シノグが今どんな気持ちでいるのか。吉之には想像できない。
「それは君の役目では?」
京太郎が首を傾げた。
「最初はそうだったが。今は状況が違う。それはあんたが一番わかっているはずだ。俺は俺のせいで起こった問題を、片付けなければならない。その問題に、こいつらを巻き込むわけにはいかないんだ。だから俺の代わりの護衛を派遣してほしい」
吉之は、はっきりとそう口にした。ヒイラギも、カナタとシノグのように怒るだろうか。とふと思った。けれど、そうしないと二人を守ることが出来ないと思った。これが吉之なりの二人の守り方なのだとそう主張したかった。
「あげは会と色式士協会の問題かな。あれは君が根本の原因になっているという噂だね。吉之くんがメイで何をしたのか、大体の事は渡辺正太郎くんから聞いている。彼は必死に君が本当は何をしたかったのかと説明してくれたよ。あの地下闘技場がどんなことをしていたのかもね。私も最初は信じられなかったが、藪を突いたらあっさり真相がわかったよ。わかったうえで今後は希望者がいても誰も闘技場へ参加させないと決定したよ。だからその点は安心してほしい」
京太郎が優しい眼差しで、吉之のほうを見て言った。
吉之が容赦なく殴って気絶させたあの青年が、吉之の誤解を解こうとしてくれていたことに少しだけ驚いた。
「あいつが……」
「君がシノグくんとカナタさんを私に任せるということは、君は君の本来の役目を放棄するということになる。君は一体、何をしようと考えているんだ。まさか、君がこの抗争を止められるとでも思っているのかね」
京太郎が真剣な表情で尋ねてきた。吉之は真面目に言葉を返す。
「とんだうぬぼれかもしれないが。思っている。俺はこれからあげは会に戻って、自分の首を差し出してでも、止めるつもりだ」
「そんなことが本当にできると思うかい?」
「他に方法がない」
「それは、君の中でだろう。私は君が首を差し出したところで、止まらないと考えている。何故ならあげは会は、組織的に見えて、実のところ個人的なんだ。それは君も知っているはずだ。個人が動き出したらそれはもう、組織ではなく個人なんだよ。だからこちらも、一対一での戦闘を考えている」
京太郎の言葉に、吉之は思わず唇をかんだ。
「仮に、吉之くんがあげは会の頭。下田に首を差し出したとしよう。それで下田が君を殺したとしよう。下田がその後仲間に何を言っても、止まる奴は止まるし、止まらない奴は止まらない。あげは会はそういう奴らの集まりだろう。あげは会の件については、君が何をしてもしなくても。遅かれ早かれこうなることはわかっていた。ただ都合よくきっかけが起こってくれた程度にしか、下田も思っていないだろう」
「あの人とあんたの間に、何か因縁でもあるのか」
吉之はふと疑問に思う。
「なかったら、こんなことにはなっていなかったかもしれないとは思うよ。昔話をしよう。少しだけ長くなる。付き合ってくれるかな」
京太郎がそう言って、側にあった木製の長椅子に視線を向ける。
吉之はシノグとカナタと目を合わせて、そして頷いた。
「短めに頼む」
吉之が京太郎に向かってそう言うと、京太郎は笑って「善処する」と言った。そうして秘書が淹れたお茶を呑みながら、話を聞くことになったのだった。
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