第一章 韓紅色の闘争
1
天井の色が変わる。赤から緑。それから青へ。白い雲のような形をしたものも見える。
あれは映像だ。と天井を見上げていた
周囲の歓声が耳障りなくらい大きく響く。その足元には、青年が倒れている。彼は気絶しているようだ。それは吉之が勝負に勝ったという何よりの証拠だった。しかしそのことに、吉之は喜んではいなかった。
地下闘技場での試合は盛り上がり、吉之は全戦全勝という記録をたたき出した。それは稀にみる良い試合だとその場にいた観客たちは思っただろう。そこにいる者たちは誰もが裕福な貴族たちだった。まるで品格の感じられない者もいれば、上品にふるまう者もいた。彼らは一様に何かを値踏みしているようであった。その視線はすべて吉之が独占していた。吉之が勝者であり、今回の目玉商品であったためだろう。
吉之は目線を落とし、近づいてきた審判の男を見る。
「優勝おめでとうございます」
審判は吉之に笑顔とマイクを向けた。
「あなたには、賞金とこの地下都市メイに永住する権利が与えられます。今のお気持ちをどうぞ」
吉之は顔をしかめて審判を見ていた。蝶ネクタイにタキシード。誰がどう見ても彼も貴族だった。対して吉之はぼろ布をただ羽織っただけの、誰がどう見ても貧そうな服装をしていた。
それもそのはずだろう。この闘技場の主催者は貴族であり、参加者は全員身分のない貧乏人なのだ。貴族たちの目には、吉之はその代表のようなものに映っているだろう。
吉之は審判の言葉には何も答えなかった。ただ一言呟く。
「放棄する」
「え?」
今度は審判が顔をしかめる番だった。
吉之の声はマイクを通して、闘技場の観客席に座っている貴族たち全員に伝わった。その瞬間には誰もかれもが言葉を失ったかのように、場内は静まり返っていた。
予想外のことが起こっているのだとわかる。
「えっと、なぜ。でしょうか」
審判が質問をする。
「答える義理はない。俺は賞金と永住権を受け取らない」
冗談を言っている顔ではなかった。
吉之がこれまでの試合で叩きのめしてきた敗者たちから、野次が入る。
「ふざけるな!」
「今までのは何だったんだ」
「再試合しろ!」
彼らが吉之の行動に納得がいかないのは仕方のないことではあった。敗者たちは皆、賞金と永住権が欲しいがために戦ってきた。それを優勝者である吉之が無下にした。信じられない行為だっただろう。
「本当に、良いですか」
審判が確認するように言った。
吉之は無言で頷いた。
優勝者が辞退するなど、この地下闘技場では初めてのことだったかもしれない。敗者たちは大抵賞金と永住権が目当てだろうし、優勝者たちは喜んでそれを受け取っていただろう。当然吉之もそうだと、皆も思うはずだ。
敗者たちが怒り狂う一方で、貴族たちは落胆の表情を見せていた。席を立つ者もいた。
無駄な試合だった。無駄な見世物だった。貴族たちはそう言いたそうだった。
審判は困っている様子だった。観客たちの吉之への興味が一気に離れてしまったことを理解したからだろう。しかし慌てた様子もなかった。まだ次がある。そう思っているのだろうか。
思い通りになった。と吉之は思う。彼は自分が悪者になってしまうのは覚悟していた。それも計算のうちであった。色式士になると決意して五年。やっとたどり着いた舞台だ。思い通りになってもらわないと困るとさえ思っていた。
「悔しかったら俺に勝ってみろ」
吉之は審判の持っていたマイクを奪うと、そう煽るように言った。
再試合は、二日後に行われることになった。
*
闘技場での出来事は、次の日にはもう街中で噂になっていた。普段から試合を見に行くことのない上層に住む富豪たちの間でも、話題になるほどだった。
地下都市メイは上層と下層にわかれており、上層は商売で裕福になった者などが住み、下層は貴族の身分を与えられた者たちが住んでいた。当然ながら、皇帝陛下も下層に住居を構えていた。上層には病院など主要施設がもうけられており、歓楽街や闘技場もそこにあった。下層の貴族たちは上層へ上がり、豪遊することが日常だった。
上層の中心地には大きな屋敷が建っていた。そこは研究所と呼ばれており、とある研究が行われていた。そこには初老の男性とその弟子の青年。そして少女が住んでいた。
「先生。どう思いますか」
弟子の青年。シノグが電子版の記事を見て、先生と呼ばれた初老の男、ヒイラギに尋ねた。彼は顎を手で触ると、にやりと笑った。
「私も動画を見てみたが、非常に面白い試合だったと思ったよ。彼は何の
「わかりません。むしろ、使っていなかったように見えました」
シノグは正直な所感を述べた。
「いや。使っていたんだよ。彼は」
ヒイラギが持っていた電子タブレットを操作して、映像を見せてくる。薄っぺらいガラスのような透明な板に闘技場と二人の男が映っていた。シノグは画面を注視した。そこには、季野吉之という名の少年が立っていた。動画の説明欄にはっきりとその名が明記されていた。
ぼろ布を羽織っている少年は、膝から下は袴が見えていて足には下駄をはいていた。
ヒイラギがある場所で動画を一時停止させる。
「ここを見てくれ。手が橙色に光っているだろう」
「確かに。でも、具体的な変化は見られません」
シノグは首を傾げた。
「そこが面白いところなんだよ。いやあ。研究者冥利に尽きる。少しだけ進めるよ」
動画をコマ送りにしたヒイラギは、それを再び止める。映像は吉之が対戦者を殴っているところで止められた。
「ここ。わかるかな。彼の腕が不自然に肥大している。布を羽織っていたのはこれを隠すためだね」
こうしてよく見ないと気づかないことだった。シノグは目を見開いた。
動画を再生すると止まっていた映像が動き出し、対戦者はありえないほどの勢いで吹っ飛んで壁にめり込んでいた。ともすると一瞬見逃してしまいそうだった。
「なら彼は、自分の腕を強化でもしたのでしょうか。そんなことが可能なんですか」
シノグが尋ねると、ヒイラギは満足げにほほ笑んだ。
「可能なのだろうな」
「自分の体を強化した際の副作用というか。反動とかはないのでしょうか」
「あってもおかしくないが、どうだろう。本人のみぞ知る。だろうな」
ヒイラギは肩をすくめた。彼は元より地上で暮らしていたが、色式研究の第一人者という理由で地下へ連れて来られたと聞いた。
色の力が発見されたのは四十七年前。地上都市彩の色がほとんど鬼に喰われてしまい、人が襲われるようになってからだった。
鬼とは、人間よりはるかに大きな身体を持つ闇のように黒い化け物だ。四肢を持ち、上部に角を一本生やしていることから昔話に出てくる『鬼』ではないかということでそう呼ばれるようになった。鬼そのものが出現したのは少なくとも百年以上前であり、それ以前の記録は全く残っていない。それは誰かが故意に抹消したのか否か。かつて神の国と呼ばれていた理由を、今は誰も知らなかった。
色の力は素質があり、それを理解することができれば自在に操ることが可能だった。その力を使うと鬼は唸り声をあげて倒れた。つまり鬼に唯一対抗できる力であった。人々は力を操る者のことを色式士と名付けた。組織を作り、育成のために養成学校まで設立されていた。
闘技場へ集められた参加者たちは全員、その色式士であった。むしろそれが絶対条件だった。貴族たちは色式士たちを集めて戦わせ、楽しんでいたのだ。貴族たちにとってその力は物珍しいものだった。そして同時にとても疎ましいものでもあった。
「ねぇ。二人とも。何を見てるの?」
ヒイラギとシノグの会話に興味津々な目を向けていた少女が、いつの間にやらシノグのすぐそばに来ていた。シノグの持っているタブレットを覗き込んでくる彼女。カナタの黒い髪の毛がシノグの鼻をくすぐった。
「ちょっと、カナタ。邪魔だよ。見えない」
「いいじゃん。ちょっとぐらい。二人だけずるい」
よほど楽しそうにでも見えたのだろうか。彼女は頬を膨らませて少し不機嫌そうだった。
その姿を見てヒイラギは顔を綻ばせていた。
「はは。いいじゃないか。見せておやり」
ヒイラギはカナタに対してはいつも甘かった。シノグもカナタのように頬を膨らませてしまいたかったが、眉間にしわを寄せるだけにとどめた。
しばらく食い入るようにカナタは映像を見て「すごい!」と一言声を上げた。カナタは面白いおもちゃを与えられた子どものようにはしゃいだ。
「この人、かっこいいね!」
他人に興味を持つなんて、カナタにしては珍しいことだった。
ヒイラギとシノグが目を丸くしているのにも気づかずに、カナタは画面の中の彼に夢中だった。一体何が彼女の琴線に触れたのかはわからない。
「なら、彼を見に行ってみるかい」
ヒイラギの思いがけない言葉に、シノグはカナタに向けていた視線をヒイラギに移した。
「先生、なんてことをいうんですか。あんな場所、カナタ一人で行かせられません」
シノグは声を荒げた。
闘技場は世間知らずのカナタをそう安々と送りだせる場所ではなかった。貴族たちはともかく、万が一にでも野蛮な色式士たちに目をつけられたら何をされるかわからないとシノグは心配だった。
「ちょうどいいじゃないか。君も一緒にいってあげれば。私は用事があるし、君も彼に興味があるという顔をしているよ」
ヒイラギの指摘に、シノグは何も返せなかった。図星だった。確かにシノグもこの季野吉之という珍しい色式を使う人物に興味はあった。それにシノグが一緒なら問題が起こることはないと言いたいのだろう。ヒイラギはカナタのことを心配していると同時にシノグのことを信頼してくれている。
「ですが。彼がまた闘技場へ現れるとも限りませんし」
シノグは表情を変えずに言った。
闘技場へ行き、もし目当ての彼が来なかった場合を考える。
「いや。彼は現れると思うよ。彼が他と違うのならばの話だが。彼には彼の考えがあって辞退したのだと思うからね」
「意味が――?」
シノグは首を傾げた。ヒイラギの言葉の真意がさっぱりわからなかった。
当然、カナタもだ。彼女もシノグと同じく首をかしげていた。
ヒイラギだけがわかったように笑っていた。
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