第7話 橋の上

 「お前も肝が据わっとるな。」

 嘉瀬は缶コーヒー片手に呆れにも似つかぬ複雑な表情を見せた。腹に轟くような低い声で嘉瀬は唸った。

 難波橋。獅子像を背にして二人は並ぶ。阪神高速の架けられた堂島川はどこか懐かしみがある。中之島のビルの群れが斜陽が射す光を反射している。

 「そこは父親譲りかもね。」

 遠くを見つめながら、目黒は謂った。

 静かだ。穏やかな風が吹いている。冷めた欄干は嘉瀬にとってちょうどよかった。

 「そうやな。親父さんには、お世話になったな。」

 懐かしむように謂う。淡々とした表情には澱みはなく、吹っ切れたような色を出していた。だが色はぼかしたように曖昧ではなく、はっきりとした鮮やかさを保っていた。

 水面には小さな背が時折、走り、ピカッと光を放つと、水底に消えた。おそらく魚であろう。

 「でも、あの状況で笑えたわ。俺がアホ二人の仲介なって喚いてるときに。」

 目黒はふきだした。優しい笑顔を浮かべる。「なにがそんなにおかしいねん。」

 「あれは仲介やないよ。」

 なおも、目黒は笑う。萎えたような顔をして、嘉瀬は頭を掻いた。缶コーヒーに口をつける。ほのかに苦い。

 「仲介や。あっちがやってる喧嘩の間、入っただけやしな。」焦ったような表情を浮かべた。

 「いやいや。あれは喧嘩よ。」

子どもっぽい目をしながら目黒は笑う。

 そうか?と謂いながら、嘉瀬は目黒をまじまじと見つめた。

 「何?なんか私の顔に付いてる?」

 「付いてる。お前のパパが二つや。」

少々、冗談きついかと思った。大学生の頃、目黒はお小遣い欲しさに援交をしていた。別名、パパ活とかいうやつだ。それで色々とトラブルに巻き込まれ(詳しくは教えてくれなかった)、通っていた外大から退学処分を謂い渡されたそうだ。

だが本人はさほどきつく受け止めずにフフッと微笑んだ。あのときの顔で。

 「そうそう、冗談謂いにきたんやないんや。ちょっとシゴト手伝ってもらおうと思ってやな。」

 目黒は顰蹙してる様子だ。猜疑深い表情で、

 「どんな仕事?組の命令?」

と尋ねた。一瞬にして目黒の顔が曇ったので嘉瀬は幾分か動揺した。

 「芥はやめたからな。知り合いの組の指令の委託。手付金は100万。最高報酬は一億は軽い。」

 威勢のいい声で嘉瀬は謂った。「高い確率で当たる宝くじやと思てもらったらええ。」

 目黒は眉を顰めながらも、考え込んだ。

 「あんたは私の何を使いたいわけ?」

 怪訝そうな顔は晴れる気配はない。

 「カラダ(目黒が殴りかけた)っちゅうのは冗談で、お前のコミュ力や。英語できるやろ。」

 嘉瀬は目黒を顎で指した。目黒はゆっくり頷いて、

 「その仕事の趣旨はなに?何が目的なの?その組は。」

 「薬や。馴染みのある謂い方したらヒロポンやな。あの戦時中のビタミン剤。」

 目黒は野蛮ごとを嫌う。ダメもとで訊いたのだ。それに英語を話せる知人といえば目黒くらいで、殆どの人間関係をヤクザが構成していた。頼めるあては目黒ぐらいだ。

「安心せえ。見つかってもお前だけは逃がしたるから。」

「そういう問題やないよ。あんた、どうせへまするでしょ。」

 嘉瀬はあんぐり口を開いた。顎が外れたように口がうまく閉まらなかった。目黒はそんな心配をしていたとは。

 「アホ謂うな。そない簡単にへまするかい。」

 信用のない顔を目黒は浮かべる。

 「だいたいね。捕まったら、捕まったらで言い訳なんていくらでもできるの。そういうことじゃなくて、ろくに自分の組からの指令をうまくこなせない人が大見得切って、他の組の指令をうけるわね。」

 「そんな俺に、あいつは、橘はこの幹部に遷れるビッグチャンスを託したんや。期待にこたえへんほうが、俺は男として、一人の人間として情けないんとちゃうかな。」

 真剣な眼差しで彼女の目を見詰める。かつてない異様な空気が二人を包み込み、雨の匂いのする湿った風が吹いた。嘉瀬はいつになく冷静だった。喩えるなら人里離れた湖の湖畔のように落ち着き払っていた。

 「ほんとにアホっぽいなあ。人情やらなんやらで世界救えるくらいのレベルのセリフやよ。」

 「けったいな喩えすな。先、謂っとくと、人情なんかこれぽっちもない。これは引き受けた以上、俺の問題やからな。俺の認めた奴以外、へたに首突っ込んでもろたら困るんや。」

 遠くを見る目で嘉瀬は謂った。風で嘉瀬の髪がそろそろと靡いた。

 「いいよ。協力したげる。やけど、あんたがまた二の足踏んだら、そのときは助けれない。」本気の目で謂った。「それでもええね。」

 「ありがと。」

 おそらく常人には聞き取れないような小さな声で呟いた。

 「ん?何か謂った?」

 「は?何も謂うてへんけど。まさか流行りの耳鳴りでっか。目黒はん。」

 「あんたん中のマイブームはいったい何よ?次に流行るのは痛風かしら。」

 「あかん。ボケのつめが甘い。やり直し。」

 「何よ。あんたが余計なこと謂うからでしょ。」

 「いやまずね。そこはつっこまんとあきまへんんわ。わてら何年、漫才やってる思てんの。」

 「アホ。お前とコンビ組むなんてごめんや。」

 「おう。まぁ下手やけどそんなもんやな。」

 「え?出来てた?何点?」

 「2点。」

 「ズコー。」

 「昭和のアニメか!」


 ネオン街にもぽつぽつと明かりが点き始めた。空を闇が覆い、月が姿を見せる。

 月は橋の上で笑いあう二人を見守ると、雲に隠れた。夜はだんだん更けていった。

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