第6話 目黒栄子という女
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燦燦と降注ぐ陽光の眩しき一筋を顔に受け、嘉瀬は目を覚ました。布団を翻すと、てきとうに畳んで、一擲(いってき)するが如く、乱暴に押入れに投げ込んだ。頭を掻きながら、カップラーメンにお湯を淹れ、蓋上に藍色のケースのついたスマホをのせた。刹那、嘉瀬のスマホが震動した。着信音が室内に響く。
慌てて嘉瀬はスマホを取った。着信相手は橘だ。
_______どないしたんや。
_______日時が決まった。三日後の晩の二時。大阪港にアメリカ行きの貨物船が来る。出航は二時半。都合、合うか。
_______大丈夫や。問題ない。マッポ(警察)に足だけ辿られへんようにせぇよ。何かとめんどうやから。
_______わかってるわ。野良ついて(ヤクザになって)何年なると思ってんねん。
_______おまえ、たしか、五年ちゃうんけ。
_______アホぬかせ。十五年や。そんじょそこらの猿どもとは格が違うで。
_______たいして変わらんやろ。オリンピックが間に五回あるだけや。
_______んな話はええんや。ところで暁のこと。考えてくれたか。
_______お前が連れきたけりゃ、連れてきたらええやんけ。その代わり、足手纏いになるようやったら、手縛った縄、石にくくって、瀬戸内海に沈めたるからな。そんくらいの覚悟あるんやったら、連れてこい。ガヤ起こしてもお前一人で、収拾つけや。それが条件や。
_______煮るなり焼くなり好きにせんかい。やけど、あのアホ、混ぜるんやったらその程度の脅しやっても通用しまへんで。
_______嘘こけ。そんなら、尻ひっぱったいても連れてこい。俺が大阪一のビジネスマンにしたるわ。
_______あまくないよ。ビジネスの道は。
_______なにを語っとんや。お前に何が語れるねん。ビジネスのいろはのいも謂えへんくせに。
_______いはいい加減や。てきとうにやっとったら何でも身につく。そういう社会や。
_______いなげな(変な)社会になったなぁ。学歴社会やからやろか。
_______そうやな。学歴社会はとんでもない
_______まぁええわ。二日後に大阪港やな。
_______謂い忘れ取った。港の近くに「悶」っていう風俗があってな。そこで集合や。「悶」の中でリンって女、指名して待っといてくれ。世間話でもして。
_______知ってるで。ほんまは風俗嬢の皮被った、是枝真紀や。いまじゃ、夔夜叉会の最高顧問でっしゃろ。出世しはったな。
_______知っとったか。まあ、あいつも元芥組やからな。芥組は殆ど、解散状態やろ。あんまり組員もおらんようやし、早いとこお前も戻ったほうがええんとちがうか。
_______直に戻る。でも今の俺は戻れへん。
_______なんでや。なんかあったんかいな。
_______悪い。もう切るで。麺が伸びる。
_______ちょまて・・・・
プツッ
電話を切った。
カップ麺を口に放り込むとゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。
煙草を一本、銜えると白いシャツの上に黒いパーカーを身につけ、クリーム色のガーゴパンツを穿き、財布を握ると家を飛び出した。
行くのはいつもの雀荘。
表向きは普通のバーだが、カウンターの奥の珠暖簾を潜った先に、麻雀台が四台並んでいる。バーの経営者が芥組と同じく驫木会の傘下にある源組の元幹部であるため、賭け麻雀が日常的に行われている。
一局くらいは打とうとは思っているが、行くにはもう一つ理由がある。
ある男と待ち合わせているのだ。
お洒落に飾られた重い扉を開ける。バー中に高らかに鈴の音が響いた。
いらっしゃいませと謂いながらバーテンダーが此方を振り向く。
「目黒はおるか。一局打ちたいんやけど。」
「30分1000円です。目黒さんが来たら声かけるので。」
ハキハキと若いバーテンダーが謂った。嘉瀬は小さく、手を挙げて、
「ほんなら、頼むで。」
と愛想笑いをしながら、謂った。どうも好かん奴らだ。
暖簾を潜ると、二人組の男が話しかけてきた。松原と天宮だ。二人とも元芥組で今でも嘉瀬のことを慕っている。
「先輩じゃないですか。どうしたんすか。一局打ちに来たんすか。」
嘉瀬は部下からは先輩と呼ばれることが多い。出で立ちがなんとも大人っぽいからなんだそうだ。
「いや。目黒栄子っちゅう女と待ち合わしてんねや。」
「誰すか。その女。もしかして先輩のこれすか。」
天宮が小指を立てる。
「アホか。昔の知り合いや。」
「ですよね。先輩に女ができるやなんて、明日、朝鮮からミサイル飛んでくるぐらいありえへんわ。」
松原の発言を天宮は制した。
「ありえる話してどないすんねん。お前、今の国家情勢について考えたことないやろ。わかってから話さんかい。」
松原はムッとした顔になって、
「わしがんなこと真面目に考えるかい。考えてんのは午後の競馬のことだけや。お前みたいな仁義もへったくれもあらへん、ボンクレと一緒にすな。胸糞わるいけぇ。」
二人の会話は次第に激しい口論に発展し、松原が天宮の胸ぐらを掴むと同時に取っ組み合いがはじまった。嘉瀬は麻雀台の上で胡坐を掻いた。
周りの男達の飛ばす野次と罵声に混じって、鈴の音が聞こえた。
罵声を散らしあう二人の逆立った髪の毛を掴んで、頭同士を突き合わせた。
「うっせぇなあ。頭の悪い猿どもがキーキー喚きよってからに。発情期か、お前ら。しょうもないゴロ(喧嘩)なんかして、おもろいか。」
「やけど、松原が仕掛けてきよったから・・・。しゃあないっすよ。」
「どっちが売ってきたかはまた別や。まだぐちぐち謂うんやったら、外でやれや。目障りやねん。早よ、去ね。」
嘉瀬は松原の膝を勢いよく蹴った。おもわず、蹲る。
「同じ芥組やったいう戯言(ざれごと)ぬかしとったら、あかんぞ。俺は躊躇せえへんからな。時と場所を考えれへん奴は、俺は大嫌いや。」
そして天宮の頬を殴った。天宮の体は衝撃で吹っ飛び、パイプイスに体が激突する。いつつつと声をあげながら、脾腹を擦りながら、天宮は立ち上がった。
「すまんな。ちょいと待たせた。」
暖簾に向かって、嘉瀬は叫んだ。暖簾がふわふわと揺れて、整った輪郭の女性が顔を出した。黒い瞳に、肩にかかった薄茶色の長髪。艶やかな肌合いが薄暗い照明の光の中で、揺れる。
「久しぶりね。嘉瀬くん。」
彼女はこの状況でにっこりと微笑んだ。
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