第4話 嘉瀬卿平という男
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「遠藤さん。このファイル、なんですか。」
遠藤と呼ばれた爽やかなショートヘアの青年が振り返った。
「ああ、それね。要注意人物の名簿。若松本部長に謂われて、僕が作ったんや。澄川クンには謂うとらんかったね。」
澄川と呼ばれた若く、明るい目の色をした青年がおもわず、感嘆の声を漏らした。それを見て、遠藤がニヤッと笑う。
「中、覗いていいですか。」
子どもに引けをとらないほどの好奇心を澄川は言葉に込めながら謂った。
「いいよ。やけどこっから持ち出さんようにね。」
遠藤は澄川の無邪気な心を受け止め、その懇願に似つかぬ澄川の相当な興味を優しく、汲み取った。
目を輝かせて、澄川は頁(ページ)を捲(めく)った。
「よく、こんなに情報を集めましたね。大変だったんじゃないですか。」
感心しながら、澄川は訊いた。遠藤は頷いて、
「そうやね。なんせ、大阪には事件が星の数ぐらい起きてるのが現状やから。情報収集だけでもそこそこ、骨が折れたよ。」
やっぱりですか~と澄川は暢気そうに謂った。
「要注意人物って一口で謂っても色々あるんでしょう。殺人がやっぱり件数としては一番、多いんでしょうね。そこは悲しいな。」
悲しそうな表情を澄川は浮かべた。
この澄川という男。本当に素直で誠実な人間であり、女性の抱く理想の男性像に重なっている。そのため、課内での評判も高い。
確かに殺人の件数は全国的に見ても、大阪は多いほうで8位から10位辺りをうろちょろしていることが多いのも事実だ。
「そうやね。なかなか減らへんもんねぇ。」
遠藤は同じような悲哀の念を言葉に含ませながら、静かに謂った。
澄川が頁を捲るのをやめた。遠藤は手の止まったページをまじまじと見つめた。
NO23
名前 嘉瀬 卿平(かせ きょうへい)
年齢 29
罪状 殺人、強請、掏摸、盗撮(他者からの依頼による実行)、違法賭博、違法薬物(大麻、覚醒剤等)の所持、使用、詐欺(保険金詐欺、還付金詐欺等)、窃盗、公務執行妨害等。
備考 犯行は極めて悪辣。反省する素振りは見せたためしがない。芥組に帰属していたため(五年前に脱退)、任務の遂行による逮捕例も多くある。他者の委託による犯行も多く見受けられ、自主的に違法薬物を使用している。全ての犯行に対して、否定しており、犯行を認めら事例は殆どなく、殺人の1件のみ、長時間に及ぶ熱烈な尋問により、犯行を認めた。兵庫県神崎郡出身。現在、出所しているが執行猶予期間中。
専用書類に人物情報がこと細かに記載され、カラー写真が貼ってある。
精緻な顔立ちをした毫髪の男がこちらを見ている。途端、澄川の目が光った。
「この人、昨日、カフェに居ましたよ。年取ったおじさんと待ち合わせしてたみたいで、二人でなにか熱心に話してました。」
澄川は澄ました顔で謂った。遠藤は驚きを隠せない様子だ。呆気にとられたような表情をしてみせた。澄川はそれを見て、クスッと笑った。
「話の内容は聞こえんかったか。」
遠藤が身を乗り出して、訊いた。興味津々と謂ったところか。澄川は得意気な顔をして見せた。
「こんな雰囲気のカフェで男二人で来てるなんておかしいと思ったんで、耳を欹(そばだ)ててよく聞いてたんです。シゴトがどうとか小川組抗争がどうだったとか、謂ってたんですけど、はっきり聞き取れませんでした。」
遠藤は残念そうに顔を掌で覆った。
「そうか。残念や。あいつが次は何を企んでるか、わかると思ったんやけどな。じゃあ、あいつはもう、大阪に帰ってきてるんやな。」
遠藤は悔しそうに呟いた。
「外に出た後、この嘉瀬っていう男は大阪に居なかったんですか。」
澄川の問いかけに遠藤は黙って頷いた。
「そう。あいつは刑務所出てから、直に芥組の本部に呼び出されて、本部のある宮崎に。さっき澄川クンの謂ってた小川組抗争いうヤクザの喧嘩に参加してたんや。水守っていう部下に尾行させてたから、よう覚えてる。もっとも、水守も流れ弾に当たって死んでもうたけど。」
記憶が鮮明に蘇ってくる。そうだ。五年前の冬、驫木会の分家の小川組と芥組が抗争を起こした。ことの発端は小川組の三下ヤクザで、芥組の事務所の窓をおもしろ半分で割ったのが直接的な原因だそうだ。カチコミと呼称されるポピュラーな威嚇方法は同じ本家を持っていながら、起こるに相応しくない行為であるため、その際、芥組の幹部が小川組の三下ヤクザの乗る車のフロントガラスに向けて発砲。銃弾を受け、運転をしていた小川組の構成員である須賀章正(19)が死亡。カチコミの実行犯と思われる椿栄吉(22)も弾を受け、死亡。生き残った伊達緋伊都(21)が芥組の事務所に乗り込み、事務所を手当たり次第に掻き回したため、やむおえず、芥組の構成員が発砲。発砲した寺嶋祐樹(23)は急所を外したと語るが出血多量で死亡。この一件により、二つの組の間に亀裂が生じ、抗争に至ったというわけだ。
いや、これだけの情報じゃ足りない。嘉瀬について、まだ知っておかなくてはいけないことがある筈だ。
もう一度、自分の作成した資料を見て、遠藤は思った。
「澄川クン。ちょっと待っといてもらえるかな。」
遠藤はそう叫ぶように謂って、澄川が頷くのを確認すると、足早に資料室に向かっていった。
資料室のドアノブに手をかける。立て付けが悪いようで開けるといつも、軋んだ音がなるのだ。軌跡には埃や塵が溜まっていて、いつも穢い。
「葉月クン。<嘉瀬 卿平>についての記録。まだ残ってるかな。」
葉月と呼ばれた中年男がキーボードキーを打鍵する。一つ欠伸をして、
「あるよ。150~200番のとこさ。勝手に鍵、開けて入っちゃって。」
と謂った。丁寧に遠藤は礼を謂うと、鍵を葉月の手から奪うように受け取って、走っていった。葉月は首を傾げた。なぜあんなに急いでいるのだろう。
第二資料室の鍵を開け、中に入るとお目当ての資料を見つけるため、部屋の隅々まで目を通した。こっからが頑張りどころだ。そう謂って、遠藤は自分に言い聞かせた。
夕方、幾つかの資料を抱え、澄川の元に戻った遠藤の顔は意気揚々としていて、普段表すことのない血色のいい若い色を顔一杯に浮かべていた。
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